愛着回避と愛着不安がいずれも強い愛着スタイルは、恐れ・回避型愛着スタイルと呼ばれる。

対人関係を避けて、ひきこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯綜し、不安定なものになりやすい。

一人でいることは不安で、人と仲良くしたいと思うが、親密になることで強いストレスを感じたり傷ついてしまうという矛盾を抱えている。

それは、人を信じがたいが信じられないというジレンマでもある。

それゆえ、恐れ・回避型愛着スタイルには、疑り深く、被害的認知に陥りやすいという傾向がある。

自分をさらけ出すのが苦手で、うまく自己開示できないが、その一方で、人に頼りたい気持ちも強い。

不安型愛着スタイルの人のように器用に甘えられない。

さりとて、回避型愛着スタイルの人のように超然とばかりもしていられない。

人間嫌いなのに、人と関わり、相手を信じようとするばかりに、そこで傷つくことも多くなる。

しかも、親しい関係になって、相手を求めたい気持ちが強くなるほど、うまくいかなくなる。

相手の些細な行動も、自分をないがしろにしているように受け取ってしまい、信じられなくなってしまうからだ。

恐れ・回避型の傷つきやすさや不安定さは、養育者との関係において深く傷ついた体験に由来していることが多い。

まだ愛着の傷を引きずり続けている未解決型の人も多い。

いまも傷口が閉じないまま、クレバスのように裂け目を露出させている状態であり、不安定な構造が表面にまで口を開いているわけだ。

そのため、些細なきっかけで不安定な状態がぶり返し、混乱型の状態にスリップバックを起こしやすいと言える。

混乱型は、虐待された子どもに典型的にみられるもので、愛着対象との関係が非常に不安定で、予測がつかない状況におかれたことで、一定の対処戦略を確立することができないでいるものである。

年齢とともに、対処戦略を確立して、一定の愛着スタイルをもつようになるのだが、別離体験や孤立的状況などにより、愛着不安が高まったり、愛着の傷が再び活性化すると、混乱型の状態に戻ってしまうことがある。

境界性パーソナリティ―障害は、愛着という観点で言えば、混乱型に逆戻りした状態だと言える。

混乱に呑み込まれると、情緒的に不安定になるだけでなく、一過性の精神病状態を呈することもある。

愛着障害だった漱石の苦悩

漱石の精神疾患をめぐっては、これまでも諸説あったが、愛着障害と考えると、漱石を苦しめた症状を過不足なく説明できるだろう。

ベースは回避型愛着スタイルであろうが、愛着不安も強いところがあり、恐れ・回避型愛着スタイルと言うこともできるだろう。

恐れ・回避型愛着スタイルの漱石は、自分のことを表現するのが、とても不器用だった。

それゆえ、文学作品という体裁をとって、間接的に自分の傷ついた心を表そうとしたとも言える。

恐れ・回避型愛着スタイルの漱石の作品は、いかに自分の正体を見破られないように隠蔽しつつ、かつ自分を表現するかという二つの相反する要求の微妙なバランスの上に成り立っていた。

漱石がようやく自分の愛着の傷に正面から向き合うのは、晩年の作品『道草』においてである。

その前に書かれた随筆『硝子戸の中』でも、自分の幼時を回想したエピソードが出てくるが、江藤淳も指摘の通り、曖昧模糊として距離があり、他人事のように淡々と語られるのである。

これは、回避型愛着スタイルの特徴でもあるが、過去の記憶を隠蔽してきたことの結果でもあった。

その一方で恐れ・回避型愛着スタイルの漱石は、自分の評価や周囲の反応というものに非常に敏感だった。

少しでも自分をないがしろにされたと思うと、激しい怒りを抑えることができなかった。

些細なことで妻や子どもを怒鳴りつけたり、下女を辞めさせたり、次々と勤め口を変わったりしたのである。

晩年の恐れ・回避型愛着スタイルの漱石は、東京朝日新聞の社内でも孤立し、居場所を失いつつあったが、責任を全うし、生活を維持していくため、作品を書き続けるしかなかった。

しかし、職業作家という立場は漱石を追い詰め、被害妄想や幻聴といった一過性精神病症状と胃潰瘍が何度もぶり返した末、命を奪われることにもなったのである。

恐れ・回避型愛着スタイルの漱石はえん人癖を抱える一方で、仕事抜きの交友や手紙のやり取りを好み、膨大な書簡を残している。

人から頼まれると、無理をして講演や旅行に出ることも多かったが、たいていその後で、吐血をして病床に伏すということを繰り返した。

恐れ・回避型愛着スタイルの漱石に色恋沙汰といえるエピソードがあまりないのは、基本的に回避型愛着スタイルのゆえだろうが、一つ例外的なエピソードがある。

恐れ・回避型愛着スタイルの漱石が晩年に京都にプライベートで旅をしたとき、文学芸ことして知られていた、祇園の磯田多佳という女性を紹介された。

恐れ・回避型愛着スタイルの漱石は、十歳ほど年下のこの女性がすっかり気に入ったらしく、翌日北野天満宮に一緒に出掛けるという約束をした。

ところが、多佳はそれをすっぽかしてしまった。

恐れ・回避型愛着スタイルの漱石にとっては、それがよほどショックだったらしく、その後、胃痛で臥せってしまい、皮肉なことに、多佳のところに二泊もせざるを得なくなったうえに、妻が迎えにやってくるという最悪の首尾となった。

恐れ・回避型愛着スタイルの漱石は、その後も多佳と手紙のやり取りをするたびに、天満宮のデートをすっぽかされたことについて、「うそつき」と言い、恨み節を書かずにいられなかった。

そんなことを言えば嫌われるとわかっていても、自分の受けた傷の方に心を奪われるのが、このタイプの特徴でもある。