悪意の人、好意の人

年寄りは何かをやるとき、まずまわりに「いい年をして・・・」と言われるのではないか、と思う。

しかし心の底では彼ら自身もやりたいのである。

ただ、他人に悪く思われることを恐れてできないでいるのだ。

だから、実際にやっている人に妬ましさを感じて、悪意に満ちた批評をするのだろう。

対人恐怖症、社交不安障害の人も同じである。

だからといって、すべての人が悪意に満ちた眼でみているわけではない。

悪意に満ちた人の眼ばかり気にしていると、結局、好意的な人とつきあう機会を逃してしまう。

そして、悪意に満ちた人に対して「理想の自分」を見せるよう、無意味な努力を始めたりする。

世の中には、歌の下手な自分、英語の下手な自分、水泳の上手な自分、字の上手な自分、なんでもいいから「ありのままの自分」を見せることを極端に恐れている人がいる。

これが、対人恐怖症、社交不安障害の根をなすものである。

そういう人は、今まで悪意の人に囲まれて生きてきたのである。

悪意の人は、他人の不完全さに容赦ない批判を加える。だから、悪意の人に囲まれて生きている人は、ありのままの不完全な自分を見せまいとする。

そして「完璧な自分」を演じようと懸命に努力し、疲れ果ててしまうのです。

ところが世の中には悪意の人がいれば好意の人もいる。

好意の人は、決して、他人に完璧な人間など求めていない。

その人が弱点をみせたからといって軽蔑するわけでもなければ、陰口をたたくわけでもない。

しかし、悪意の人に囲まれて生きてきた対人恐怖症、社交不安障害の人は、他人は自分を傷つけるものと信じている。

だから好意の人に接しても、ありのままの自分を見せると「悪く思われるのではないか」と自分の弱点を隠してしまう。

他人を傷つけようとしている悪意の人というのは、その人自身が欲求不満なのである。

その人自身、他人から悪く思われることを恐れて、自分がやりたいことをやらないできた人なのである。

他人を傷つけることで自分の欲求不満を解消しようとしているのである。

他人を不必要なほど悪く言う人は、自分が悪く言われることを不必要なほど恐れている人なのである。

このような人は、口で否定するものを、心の底で求めているのである。

したがって悪意の人自身、低い自己評価に苦しんでいる。そのため、他人を自分と同じところまで引きずりおろそうとしたり、また、自分と他人をごまかして、なんとか優位に立とうとするのである。

自分の弱点を隠し、完璧な自分を演じようとどりょくすればするほど、悪意の人との関係が広まっっていく。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は、そんな人とは違った世界に行くことである。

自分の弱点を素直に出してもつきあってくれる人が好意の人なのである。彼らは、決して、他人を悪くいって傷つけ、自分の心を癒そうなどとはしない。

他人に悪く思われることを恐れている人は、事実、ありのままの自分はあまり価値が無いと、心の底で漠然と感じているようである。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は、悪意の人を見極め距離を取り、好意のひととの付き合いを広げていくことである。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著

 

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