そもそも愛着とは何であろうか。
何の為に愛着というものが育まれ、それにはどういう働きや意味があるのだろうか。
また、愛着が乏しい回避型愛着しか育まれずに育つということは、何を意味し、どういう影響があるのだろうか。
愛着という現象は、誰もが身近で体験していることであるが、その現象を改めて「発見」し、この現象がもつ心理学的な意味だけでなく、生物学的意味を明らかにしようとしたのが、イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィである。
ボウルビィ以前の考え方では、子どもが母親に愛着するのは、母乳をもらえるという実利的な理由からだとされていた。
ところが、ボウルビィが戦災で孤児となった子どもたちを調査してわかったことは、いくら栄養が与えられても、子どもたちはうまく育たないということである。
子どもが育つには、母親が必要だったのである。
ボウルビィは、母親を奪われることによって起きた子どもの異常な状態を、当初、「母性愛剥奪」という概念で捉えようとした。
その後、さらに研究が進むにつれて、母親に抱っこされるといった身体的な接触や結びつきが、子どもの成長に不可欠な役割を果たしていることが明らかとなった。
そのことは、動物実験などでもよく知られるようになった。
たとえば、心理学者ハーロウがアカゲザルやマカクザルに対して行った有名な実験がある。
仔ザルは、母ザルから離されると、成長することなく死んでしまう。
いくらミルクを与えても育たないのである。
しかし、ある工夫をすると、育つことができる。
それは、仔ザルが掴まれるような母ザルの人形を用意するということであった。
ハーロウは、哺乳瓶を取り付けた針金の人形(ハードマザー)と、哺乳瓶はないが、柔らかい肌触りの布を巻き付けた人形(ソフトマザー)を用意し、どちらで仔ザルが長く過ごすかを調べた。
その結果わかったことは、仔ザルは、ソフトマザーのもとで過ごすのを好むということである。
つまり、仔ザルにとって、母乳をもらうのに劣らないくらい、しがみつき、柔らかく自分を支えてくれる存在が必要だということだ。
しかし、生き延びることはできても、本来の母親をもたずに育った仔ザルは、重大な欠陥を抱えていた。
不安が強く、他の仲間との遊びに加わることができず、社会性を身につけることが困難だったのである。
仲間に加わることができるようになった場合でさえも、どうしても克服できない問題があった。
それは、異性との関係や子育てであった。
母親に育てられなかった仔ザルは、青年期を迎えても、異性とパートナーシップを結ぶことや、さらには子どもを育てるということがうまくいかなかったのである。
これらのことは、決して仔ザルだけの話ではなく、人間にも通じる。
抱っこなどのスキンシップがなくては、子どもはちゃんと成長することはおろか、生存することもままならないのである。
かつて、施設に収容された孤児の九割は、育つことなく亡くなっていた。
後にスキンシップが重要だということがわかり、この点に配慮するようになって、死亡率は大幅に低下した。
しかし、その中身は、一定の時間に、保育スタッフが、赤ん坊の体にタッチして回るだけというようなお粗末なものだった。
それでも、生存率を改善できたのだ。
しかし、母親に育てられなかった子どもは、生き延びることはできても、成長や発達に重大な障害を抱えてしまうなど、なかなかうまく育たなかった。
パートナーの獲得や子育てということについても、大きな問題を抱えやすかったのである。
人間の場合には、過酷な境遇で育っても困難を克服できるケースもあり、その点はサルの場合と同じではない。
高い知能や順応性をもち、社会的な支援の仕組みを発達させてきた人間ならではの強みと言えるだろう。
だがそうした幸運なケースは一部であった。
そもそもスキンシップを増やすということだけでは、十分ではなかったのである。
いったい、何が不足していたのだろうか。
母親に育てられた子どもとそうでない子どもの違いは、どこに由来するのであろうか。
ボウルビィは、それが単なるスキンシップや世話の問題ではなく、愛着と呼ぶべき生物学的な現象に負っているということを明らかにしたのである。
ところで、今日起きていることは、ちゃんと母親がいて、世話を受けて育ったはずなのに、人形の母親に育てられた仔ザルに似た問題を抱えてしまうということである。
それが、他ならぬ回避型愛着の問題である。
ちゃんと育てているはずなのに、どうしてそうしたことが起きてしまうのだろうか。
ボウルビィのいう愛着とスキンシップの違い
ハードマザーの仔ザルや母親のいない子どもの悲劇は、スキンシップが不足するだけでなく、ボウルビィのいう愛着が十分に育まれないことから生じる。
ボウルビィのいう愛着は、抱っこしてもらったり、栄養を与えられたり、世話をさせることだけでは、うまく育まれない。
そこには、ボウルビィのいう愛着に不可欠なもう一つの要素が関わっている。
単なるスキンシップとボウルビィのいう愛着の大きな違いは、対象に対する選択性があるということだ。
つまり、誰にでも抱っこや愛撫をしてもらえばいいというわけではない。
ボウルビィのいう愛着した対象からの抱っこや愛撫でなければ、安心感が保証されないのである。
ボウルビィのいう愛着が選択性をもつということは、愛着が、特定の人との特別な結びつきであるということだ。
安定したボウルビィのいう愛着が生まれるためには、スキンシップをされる相手が母親であるというだけでは不十分である。
生みの母親であっても、絶えず子どものそばにいて育てなければ愛着は成立しない。
わが身のことは後回しにしてでも、子どもに常に関心を払い、世話を焼いてはじめて、子どもの母親に対するボウルビィのいう愛着は育まれる。
求めたときに、変わらずに応えてくれる存在に、人はボウルビィのいう愛着するのである。
そのボウルビィのいう愛着も、いつでも育まれるというわけではない。
生まれてから一歳半くらい、せいぜい二歳までが、ボウルビィのいう愛着が成立する上でのタイムリミットである。
それまでの間に、身を挺して世話をしてくれる特定の養育者がいてはじめて、本来のボウルビィのいう愛着が生まれるのである。
この時期にボウルビィのいう愛着が形成されなかった場合、子どもは、養育者との間に安定した愛着をもつことができないだけでなく、誰との間にも安定した愛着を育むことが困難となる。
最初の養育者となる母親の役割が重要なのは、そうした意味においてである。
母親は、子どもの対人関係だけでなく、ストレス耐性や不安の感じ方、パートナーとの関係や子育て、健康や寿命に至るまで、生存そのものに関わる影響を、それこそ生涯にわたって及ぼす。
やはり特別な存在なのである。
ボウルビィは、愛着という仕組みが、子どもの生存を守るために進化したものだと考えた。
この仕組みがあるから、赤ん坊は特定の養育者にしがみつこうとする。
養育者も赤ん坊を絶えず手放さないようにして育てる。
実際、サルの研究によると、仔ザルが幼いうちは、母ザルは片時も体から話そうとしない。
仔ザルも、母ザルから一瞬でも離れそうになると、激しく泣いて母親を求める。
そうした仕組みが、外敵から子どもを守る上で不可欠なものであることは、容易に推測される。
仔ザルは成長するにつれ、徐々に母ザルから離れる時間や距離が増していくが、人間のように長時間、幼い子どもを他人のもとに預けるようなことは、決してしない。
母親から離れるということが、強いストレスを生み、脳の発達にさえ影響する。
そのことは、動物実験によっても裏付けられている。
生まれて間もない時期に、母親からほんの数時間離した動物の赤ん坊では、大人になってから脳を調べてみると、受容体の数や神経線維の走行に明らかな違いが認められるのである。
実際、こうした子どもは、ストレスに対して過敏な傾向を示す。
成長するにつれて、子どもは母親のもとを離れるようになるが、皮肉なことに、母親とのボウルビィのいう愛着が安定した子どもほど、活発に冒険し、外界を探索し、他者と交わろうとする。
ボウルビィのいう愛着した対象への信頼感や安心感が、子どもが積極的に活動する上での後ろ盾となるのだ。
この後ろ盾としての機能を「安全基地(safe base)」と呼ぶ。
ボウルビィのいう愛着が安定した子どもは、社会性や活動性が高いだけでなく、知能も高い傾向を示す。
安全基地が、子どもの学習や吸収の機会をバックアップしているからである。
※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著