対人関係の土台となる愛着の仕組み

対人関係の特性を考える上で、一つの重要なファクターである愛着との関係についてみていこう。

対人関係において親しみや信頼を育む土台となる仕組みが、愛着である。

愛着は、心理的な現象のように思われるかもしれないが、実は、生物学的な仕組みをもつ現象である。

言葉を交わさなくても、われわれは犬や猫に対して愛着を感じ、家族のように大切にすることも多い。

それは、人間の側からの一方的な愛情ではなく、動物の側からも我々に懐き、親しみを感じてくれるのだ。

これは、オキシトシンという同じホルモンに司られた愛着の仕組みを、人間も犬も共有するから可能となることなのである。

爬虫類ではこうはいかない。

人間の方が可愛がっているつもりでも、爬虫類の方は、人間に対して何の親しみも感じないからだ。

親しみを感じる仕組みをもたないのだから仕方がない。

愛着の仕組みは、子どもを抱いて、乳を与えて育てる哺乳類で特別に発達しているが、それは、外敵から子どもの身を守るうえで、子どもが親にくっつき守られることが、生死を分けるだけでなく、子どもを育てるのに要する長い期間、親が、途中で放棄することなく世話をし続けねばならず、わが子を特別に思い続ける仕組みが、進化してきたものと考えられる。

その仕組みが、パートナーとの関係においても、友人や同僚らとの関係においても土台となり、その質を左右する。

親子関係において培われた愛着の特性が、それ以外の対人関係においても、再現されることになりやすいのだ。

愛着の二つのディメンジョン 安定性とスタイル

愛着の特性には、二つのディメンションがあると考えられる。

一つは、どの程度恒常性をもった盤石な絆であるかということである。

関係の盤石性が高いタイプを安定型と呼び、低いタイプが不安定型である。

安定型の人は、信頼関係が維持されやすく、一旦受け入れた人との関係を大事にしようとする。

不安定型の人は、関係が定まらず変動しやすい。

とても親しい関係になっても、翌日には関係が崩壊しているということも起きてしまう。

もう一つのディメンションは、親密さをどの程度、どのように求めるかという親密さのスタイルにかかわるものである。

親密さを避けようとする傾向が、愛着回避である。

愛着回避が強い人は、親しみという感情をもちにくく、たとえもっても、接近することを避けようとする。

愛着回避が強いのが回避型である。

回避型にも、関係の安定性が高いタイプと低いタイプがある。

安定・回避型は、少数の人とそこそこ親密な関係を築き得るが、不安定・回避型の人は、人との親密な関係をもつことに関心がないか、愛情のない関係を次々ともつということも起きる。

逆に、愛着回避が極度に弱い人は、親密さのブレーキが利きにくく、脱抑制型と呼ばれる。

相手に魅力や接近するメリットがある場合だけでなく、偶然に顔を合わせただけや、危険なワナが待ち構えている場合にも、無警戒に親密になろうとし、物理的にも心理的にも接近することをためらわない。

一方、愛情の証を過剰に求める傾向が愛着不安であり、愛着不安の強い人は、自分が相手に受け入れられているかどうかに過剰な不安を感じやすく、相手の顔色を窺いすぎたり、相手の反応に自分が左右されたりする。

その根底には、過剰なほどに愛情や承認を求め、その証拠を得ようとしてしまう承認飢餓がある。

相手が期待に応えてくれないと、ひどく落ち込み、ときには、怒りや攻撃に向かうこともある。

愛着不安が強いタイプが不安型だが、不安型にも二つのタイプがある。

安定・不安型では、関係の安定性そのものは高いが、絶えず愛情の確認を必要とするもので、不満やケンカが絶えないものの、執着が強いため、腐れ縁の関係が続くことになる。

それに対して、不安定・不安型では、不満や諍いが即関係の崩壊や新しい関係への乗り換えにつながりやすく、ケンカ別れや不倫を繰り返しやすい。

幼い頃からの愛着タイプは、ある程度持続性があるが、その後の体験により変動する場合もある。

十代後半頃には、その人の愛着の傾向はほぼ固まり、愛着スタイルと呼ばれる。

愛着の安定性、愛着回避/愛着不安は、対人距離も含め、対人関係の質を考える上で、有用な指標である。

二つのディメンションを一緒にして、安定型、不安型、回避型に分ける分類も、よく用いられる。

安定型、不安型、回避型を見分ける

ただ、理論的に説明されても、なかなかピンとこない人もいるだろう。

そこで、安定型、不安型、回避型を見分けるのに役立つ質問を、いくつかお出ししてみよう。

ご自分の答えを考えながら読み進めていけば、自ずと自分がどのタイプであるかが、明らかとなるだろう。

質問1.心を許せる本当の親友がいますか?

信頼できる親しい友人をもち、長年親交を続けられることは、安定した愛着が備わっていることを裏付ける。

親との関係も良好なことが多い。

友達ができるが、気を遣いすぎ、我慢を強いられるという場合や、関係が長続きせず、些細なことで関係が切れてしまうのは不安型に多く、親に対して、過度に顔色を窺ったり、気を遣いすぎるところも、不安型の特徴である。

回避型の人は、心から打ち解けた友人ができにくい。

親に対しても無関心で、あまり考えることもない。

質問2.思い通りにならないことがあっても、すぐに切り替えられる方ですか?

うまくいかないことや傷つけられることが起きても、あまり動揺せずに、気持ちを早く切り替えることができるのは、安定型の特徴である。

悪いところにばかり目を向けすぎず、大きな視点で状況が見られるのだ。

それに対して、不安型の人では、期待を裏切られると過剰に落ち込んだり、怒りを感じたり、攻撃的になったりしやすい。

回避型の人も引きずりやすく、普段は感情を抑えているが、限界を超えると、突然キレることになる。

質問3.大切な人との別れを想像すると、とてもつらくなりますか?

別離に強い不安を感じるのが、不安型の人の特徴である。

大切な人から見捨てられたり、嫌われたりすることにも敏感である。

一方、安定型の人は、別れることに淋しさを覚えるが、過剰に不安がることはなく、心の中に絆が存在し続けると信じることができる。

回避型の人は、別れに対して無頓着で、あまり痛みを感じない。

質問4.些細な問題でも、自分で決められず、周囲の意見を聞きたくなりますか?

重要な決定は無論のこと、日常的な些事でも、自分ですぐに決められず、頼っている人の意見を聞きたくなるのも、不安型の特徴である。

不安型の人は、人に頼ろうとする傾向である依存性が強いと言える。

頼っているにもかかわらず、その結果が期待外れだったりすると、怒り狂ったり、相手を責めたりするのも、よくあることだ。

依存と攻撃が同居しやすいが、そうした面を見せるのは、特に親密な関係の相手に対してである。

安定型の人は、重要な決定や困っているときには、人に相談し、意見を聞こうとするが相手に頼り過ぎず、最終的な決断は自分で下すし、その結果に対しては自分の責任だと考える。

ほどよく自立しているが、必要なときには他人に頼ることもできる。

回避型の人は、そもそも他人に相談したり、意見を聞くことが苦手で、自分で解決しようとする。

特に困っているときほど、人に相談することができない。

質問5.喜怒哀楽があまりなく、いつも冷静な方ですか?

回避型の人は、感情表現を抑える傾向があり、気持ちや本音もなかなか言おうとしない。

通常なら感情をかき立てられる場面でも、クールである。

そうした面が、周囲にはとても冷静だと映ることもある。

一方、不安型は、喜怒哀楽が激しく、感情表現が過剰になりがちである。

ときには、両極端に揺れることもある。

安定型は、ほどよく共感し、感情も表現するが、極端になることはなく、ある程度、冷静さも備えている。

質問6.仕事と家族(人間関係)と、どちらを大切なしていますか?

回避型の人は、仕事や趣味の方に親和性が高く、やりがいも感じやすい。

人間関係の方は、余計な面倒ごとだと思っている。

一方、不安型の人は、家族や同僚との関係が優先であり、仕事は二の次である。

安定型の人は、両方に関心があり、どちらも大切にする傾向がある。

ご自分や身近な人の愛着スタイルが、およそ把握できたことと思う。

それを念頭に置いて読み進めていただくと、さらに理解が深まることだろう。

対人距離と安定型、回避型、不安型

では、話を対人距離に戻して、愛着の安定性や愛着回避/愛着不安は、対人距離にどのように関係するのだろうか。

愛着の安定性が高い人は、ほどよくオープンだが、ほどよい警戒心も備えていて、ほどよい対人距離を保ちながら相手を見極めている。

信頼できる存在とは、親密な関係を築いていくが、信頼できない存在とは距離をとった付き合いをする。

相手に応じて、対人距離を制御することができる。

逆に愛着の安定性が低いと、対人距離は、近すぎたり、遠すぎたりしやすいだけでなく、信頼できる存在と安定した関係を維持することが難しい。

何度も別れや離婚を繰り返すという場合には、愛着の安定性が低いことが多い。

ふさわしくない存在と親密な関係になり、人生の時間やお金を無駄にするということも起きやすい。

愛着回避が強い人ほど、対人距離をとろうとし、親密さを避けようとする。

信頼できる存在や心を開いて良いはずの存在に対しても、対人距離を縮めることがなかなかできない。

その逆に、負の愛着回避、つまり、愛情対象に過剰に接近しようとする脱抑制型の傾向をもった人は、躊躇なく相手に近寄ろうとする。

負の愛着回避、つまり、愛情対象への積極的な接近を「愛着行動」と呼ぶが、親密な距離に急接近してくる人は、愛着行動が強まっていると言える。

一方、愛着不安はどうか。

愛着不安が強い人は、過敏で傷つきやすい。

そうした傾向は、他人に接近し、親密になることを妨げてしまう。

たとえ好意や尊敬の念をもっていても、その気持ちを素直に表現したり、自分から近づいて話しかけるということができない。

それどころか、意中の人がわざわざアプローチしてくれるときでさえも、親しくなっても自分のような者は相手をがっかりさせてしまうだけだと思って、素っ気ない態度を取ってしまったりする。

傷つくことが怖いので、相手を受け入れることにも躊躇してしまうのだ。

反対に、負の愛着不安、つまり自分は愛されるという確信や期待を抱いている人は、堂々と、あるいはなりふり構わず相手に近づいていこうとする。

愛着行動における、この愛されるという確信や期待を、「愛着期待」と呼ぶ。

愛着期待は、愛される自信というよりも、当然相手が自分を受け入れてくれるという思い込みと言った方が近いだろう。

勝手で一方的な期待なのだが、あまりにも一途に、確信を持って期待されると、簡単に裏切りにくいということも起きるのだ。

図々しかった石川啄木

心を打つ短歌で、いまも多くの人に愛される歌人の石川啄木は、とても図々しく、馴れ馴れしい一面をもっていたという。

国語学者の金田一京助ちは盛岡中学(現・盛岡第一高等学校)のときの学友であったことがしられているが、啄木は、金に困ると、金田一に融通してもらったばかりか、一時は下宿に転がり込んで、一緒に住んだこともあった。

悲惨な境遇の話を聞かされているだけに、真面目な金田一としては、むげに断れなかったのだろう。

金田一は自分の大切な書籍を売り払って、啄木に金を工面したこともあった。

同じ歌人の与謝野晶子が啄木に初めて出会ったとき、明子は出産直後で、一度会っただけの鉄幹の家まで訪ねてきたのである。

まだ鉄幹と入籍していなかった晶子は面食らったようだが、いつしか弟のように可愛がり、短歌の指導をしただけでなく、何くれとなく面倒を見るようになった。

多くの人が、いつの間にか彼の味方にならざるを得なかったのである。

渋民村の僧侶だった父が、寺を追われ、一家が離散することになったという悲惨な境遇は、つとに知られているが、幼い頃は、一人息子として甘やかされて育った。

童顔のかわいらしい顔立ちをしていたこともあり、誰もが彼に甘かったのであろう。

味方になってくれるという確信が人を動かす

愛着期待がどのくらい強いかが、人間関係を切り開いていく上での成否を左右することもある。

自分を受け入れてもらえると信じて近づいてくる人を、多くの人はむげにできないのである。

強い愛着期待をもった人を前にすると、最初は図々しい人だなと警戒しながらも、その率直さと、ありのままの自分をさらけ出す姿に、いつしか心を捉えられるということも起きる。

愛着回避も、愛着不安も、対人距離を大きくとり、親密になるのを妨げてしまう方向に働く。

つまり、親密さにとっては、二つとも斥力として働いてしまうのである。

一方、愛着行動と愛着期待は、引力として働き、親密な関係を生み出す原動力となる。

そして、愛着の安定性は、両者のバランスをとり、相手に応じて、ほどよい距離を保つことにあると言える。

したがって、親密な関係を築いていく上で鍵を握るのは、愛着不安や愛着回避といった阻害要因と、愛着行動や愛着期待といった促進要因の両方を念頭に置きつつ、両者のバランスをとり、ほどよく使い分けながら、安定した愛着を目指すということなのである。

※参考文献:対人距離がわからない―どうしてあの人はうまくいくのか― 岡田尊司著