「病気」という仮構-愛着障害―

繰り返しになるが、医学モデルによって診断、治療がなされるがゆえに、先ほどの男の子にも医学的診断という大義のもと、「虚言癖」や「ADHD」といった病名がつけられる。

そして、病名がつけられると、あたかもその病気が症状を引き起こしているような錯覚に陥る。

これは医学モデルが引き起こすイリュージョンである。

「うつ」という言い方について考えてみよう。

落ち込んでいる人が受診すると、「うつ」だと言われる。

うつだからそんなふうに落ち込んで、意欲も湧かないのだと説明される。

「うつ」は、まるで疫病神のようにその人に取りついている何かで、それが症状を引き起こしている、とされるのだ。

だが実際には、その人はじつは不倫中で、無意識のうちに罪悪感にさいなまれているのかもしれないし、もしくは、その人がまだ幼かったころ、母親がその人を置いて出ていったショックを、いまだに引きずっているのかもしれない。

医学モデルによる診断は、そんな細かい事情を覆い隠し、病名があたかも実体で、それが症状を引き起こしているような錯覚を生む。

実際には、「うつ」などという実体は存在せず、それは医学モデルが作り出した虚構にすぎないのだが。

しかし、それはたしかに便利な虚構である。

ややこしい説明を一切省いてくれるからだ。

ただ困ったことに、診断した途端、それが仮構(作り事)であるということを、専門家さえも忘れてしまう。

いや、医療にかかわる専門家ほど、医学モデルに染まりすぎているので、仮構に過ぎない病名を、実体だと錯覚してしまう。

その結果、ある病名と診断された「患者」は、その病気を抱えていると信じ込んでしまう。

回復するためには、抱えているその病気を治さなければならないと思い込んでしまう。

その症状を見慣れた専門家ほど、同じ症状の人を診ると自動的にその病気だと考えてしまい、薬を処方するなどの治療行為を施そうとする。

治療しようとしている病気が、仮構に過ぎないということも忘れている。

その典型が愛着障害のケースである。

また、愛着障害とよく似た構図で起きるのが、適応障害である。

適応障害は、学校や会社といった環境に合わなかったり、環境から過剰なストレスを受けたりしたことで、うつや不安などの症状が起きるものである。

症状だけで診断してしまうと、うつ病とか不安障害といった診断名がついてしまう。

しかし、通常のうつとは異なり、その環境から離れれば、症状はぐっと薄らぎ元気になる。

このことから、その人自身が抱える病気というよりも、環境からのストレスによってもたらされる症状であることが明らかとなる。

愛着障害は、適応障害の状況が幼い赤ん坊のときから生じていたことによる後遺症のようなものだと解することもできる。

赤ん坊ゆえに、その環境にたてついたり、他に鞍替えしたりする余地はない。

それがいかに厳しい状況かは、想像に余りある。

愛着障害や適応障害と適正に診断されれば、その診断名には「本人だけの問題ではないこと」が暗に示されている。

だがその病名は、あくまでも苦しんでいるその人に冠せらせる。

本来であれば、病名がつけられるべきは、養育者や環境の方なのかもしれないが、病名をつけられ患者とされるのは、やはりあくまで苦しんでいる本人なのである。

そこにも、医学モデルの限界があるといえるだろう。

※参考文献:愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司著