医学モデルの死角―本当の原因を隠す巧妙なトリック

病気や障害は当人に起きている問題だと考えるから、当然、当人を診察し、検査し、診断し、当人を治療しようとする。

つまり、病気は本人に帰属する問題とされるのである。

医学モデルの問題のひとつは、この点にある。

たとえば、発達障害の一つであるADHDの場合で考えてみよう。

ADHDは、多動や不注意、衝動性を特徴とするもので、遺伝要因が大きいとされ、生まれ持った障害と考えられてきた。

そのため、ADHDと診断されることは、遺伝子レベルで決定された障害と認められたことを意味する。

これは言い換えると、本人自身の中に原因が内蔵されていたのであり、仕方がない問題だということになる。

ところが、実際に臨床の現場で出会うADHDのケースでは、非常に高い頻度で虐待を受けている。

もちろん、ADHDがあると落ち着きがないので、叱られやすいということもあるが、叱られたり、暴力を振るわれたりすることで、余計にADHDの症状がひどくなってしまうこともわかっている。

親の事情により施設で育った子どもでは、高頻度で多動や不注意、衝動性などの症状が認められる。

また、虐待や養育放棄によって起きた愛着障害では、ADHDと同様の多動などの症状を伴うのが普通だ。

そして愛着障害によって起きている多動や不注意も、愛着障害という診断ではなく、大部分がADHDと診断されているのが実情である。

つまり、本来は愛着障害と診断されるべきケースが、少なからずADHDと診断されているということだ。

こうした問題も、結局、医学モデルで診断する場合に暗黙の前提としていること、つまり、「症状を呈している者が、診断すべき対象だ」という固定観念から生じている。

それは、まるで巧妙なトリックのように、本当の原因を覆い隠し、最も過敏で無抵抗なために症状がでるにいたっている人に、「病気」や「障害」という原因を押し付ける結果になっている。

※参考文献:愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司著