近年、状況的自己価値感に影響する要因を明らかにしようとする研究がみられるようになった。

自己価値の随伴性といい、どんな体験が自己価値感に変動をもたらすのかということを意味する。

日本では、たとえば、内田由紀子が大学生を対象に自己価値の随伴性要因を検討している。

その結果、自己価値の主要な随伴性要因として、競争性、外見的魅力、関係性調和、他者評価、学業能力、倫理的であること、家族・友人サポートの七因子を抽出し、男子よりも女子の方がこうした要因によって影響されやすい、という結果を得ている。

ここでは、思春期から成人を念頭に置いて状況的無価値感をもたらす体験を取り上げる。

こうした体験のショックが強烈な場合には、基底的自己価値感を崩壊させるほどの影響力がある。

1.自分が劣っているという体験

自分が他の人よりも劣っているとか、他の人にかなわないといった体験は無価値感をもたらす。

学校は本来子どもの自己価値感を高めるべき場所であるのに、学校ほどこうした体験に出会う場所はない。

それは、学校では、すべての子どもが一定の時間内に同一の課題を遂行することを求められ、その出来具合が公的にも評価される。

このために優劣は否認しがたい事実となるからである。

自分は劣っているという意識で学校生活の長い時間を過ごさなければならない子どもが、どれほどつらい思いをしていることか、大人は思いを寄せねばならない。

学校では、学力だけでなく運動能力においても優劣がつけられる。

運動会や体育祭のつらさ。

その情けない気持ちは大人になっても払拭することができない。

永六輔作詞「おさななじみ」の第三番では次のように歌う。

「小学校の運動会。君は一等、僕はビリ。泣きたい気持ちでゴールイン、そのまま家まで駆けたっけ。」

中学や高校で部活をがんばった子も、結局自分はダメだ、という意識を強めて終わる人がいる。

「中学の三年間がんばったが、最後までレギュラーになれなかった。」

「自分はまじめに練習して後片付けもしていたが、試合に出るのはあまり練習に出てこない人。

その人の方が上手だったので仕方ないけど・・・。」

「試合の途中で、ポジションからはずされた。」

学校は、こうした目に見える体験だけでなく、本質的に無価値感をもたらす性質を内包している。

それは、学校が服従を強いる場所であることである。

時間割に従って関心と活動を強制的に移し変えさせられる。

現実的な意味もわからず、面白いとも感じられない内容を頭に詰め込むことを強要される。

さらに、学校では常に集団として扱われる。

新入学時に、たった一人で、見知らぬ中に投げ込まれた時の心細さ、卑小感。

誰でも多少は思い当たることだろう。

家庭では親の愛と関心が自分に集中していたのに、学校では教師の愛と関心はクラス全体に分散し、その他大勢としての自分でしかない。

大規模になるほどこうした傾向は強まる。

学校での問題行動の多くは、子どもたちが自己価値感を取り戻そうとする悲劇的な行動なのである。

2.いじめ

学校では集団的いじめが発生し、被害者は自己価値感を徹底的に破壊される。

いじめが死よりもつらいと、自らの命を絶つ子どもさえいる。

そうでなくても、一生を左右する深刻な被害をこうむることが珍しくない。

次はある学生の言葉である。

「まわりの生徒から”こっちに来るな””じゃま!””お前は必要ない”などと、小学校から中学校までいじめられた。

先生は助けてくれるのでなく、いじめられている私を責めた。

見返してやろうと勉強でがんばった。

それで、無理と言われていた進学校に入れた。

高校ではいじめられなかった。

常にクラスメートの顔色をうかがい、目立たないようにと気を遣って過ごした。

がんばって、がんばって、医学部を目指したが、二浪して、滑りどめの本学に入った。

他の人に気を遣う姿勢が身に付いていて、自由にのびのびしたことができない。

なんでも自分を責めてしまう。

惨めで、何の価値もない自分だから、死んでしまおうかと考えたりすることがある。」

ボクシングの元WBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助氏は、ある対談番組で自分の体験を語っていた。

彼は中学のとき、胃潰瘍になるほどひどいいじめにあっていた。

それでボクシングを始めて、やがて世界チャンピオンになった。

その祝いの会にいじめていた本人が来たとき、「またいじめられる!」と、思わず身がすくんだ、と言うのである。

世界チャンピオンになってさえ、いじめによって刻まれた心の傷がフラッシュバックするのである。

こうした症状は「いじめ後遺症」と呼ばれ、うつ病、ひきこもり、パニック障害、過換気症候群などいろいろな症状に苦しんでいる人がいる。

3.失敗や挫折

失敗や挫折は、自信を喪失させ、無価値感をもたらす。

たとえば、大学受験に失敗したときや、面接で想定外のことを聞かれて答えられなかったときなど。

こうしたときの影響は一時のことで、後になれば笑い話の材料になることもある。

しかし、失敗がその後も尾を引く影響を残す事例もみられる。

沈んだ表情を漂わせる美人の学生が悩んでいた。

彼女は人の視線が気になり、他の人の笑顔を見ると自分が笑われているのではないかと思ってしまう。

頻尿や尿失禁、過敏性腸症候群などで悩んでおり、常時ナプキンを使用している。

お腹が鳴ったり、急に便意をもよおすので、各駅停車以外の電車に乗ることができないし、コンサートにも行けない。

彼女によれば、こうした症状は高校二年生のときのピアノ伴奏の失敗から始まったという。

三年生の卒業を祝う会でピアノを弾かされたが、緊張して手がこわばり、うまく弾けなかった。

終ったらびっしょり汗をかいていて、革製の椅子が汗で濡れいた。

それ以来、自信を失い、自分はダメだという思いが強くなり、積極性を失った。

いつでも自分を守ることへと意識が向いてしまい、この意識がとくに膀胱やお腹の方に向けられて今の状態になったという。

仕事によって人は自己価値を実感する。

ところが、現在は、仕事によって自己価値感が打ち砕かれることも少なくない。

まず、仕事に就こうとする入口において、自己価値感が大きく揺り動かされる。

採用試験を何社受けても決まらない。

面接官の言葉に傷つけられる。

不採用通知が届くたびに、「無能だ」「無用だ」「無価値だ」と、宣告を下されたように感じる。

就職試験で落ちたとき大学受験で落ちたことを思い出し、つらさが倍増したと語る子がいた。

就職を決めて誇らしげに報告に来た学生も、「何度泣いたかわからない」と語っていた。

ある調査では、就活をしている学生で自殺を考えたことがあるという回答が20%近くあったという。

そもそもエントリーシートを書く段階で、自分の無価値さに直面させられる人も多い。

「長所は?」「誇れることは?」「学生時代に熱中して取り組んだことは?」これらの項目に記入できることが見当たらない。

自分の甘さと過ごした年月への後悔に痛めつけられる。

学生のなかには、就活の手前で止まってしまう人がいる。

仕事をしていく自信がない、自分の適性がわからない、と。

周囲の人はリクルートスーツを着て、就活に励んでいる。

なかには早々に内定を得た人もいる。

それなのに、自分は最初の一歩さえ踏み出せない。

そうした学生の心中は徹底的な無力感、孤独感、無価値感で占められている。

仕事での失敗は、会社の信用や損失にかかわるとか、同僚や上司に迷惑をかけるなど、自分だけのことにとどまらない。

そのために、大きな精神的負担になり、自信喪失や無能感、無価値感に陥る。

4.容姿にかかわる体験

思春期になると、外見、とりわけ異性から見た外見が大きな価値を持つことに気づかされる。

このことを公言することはタブー視されているが、実際に容姿によって周囲の人の見る目も、接し方も異なる。

とりわけ、女子は容姿で世界が変わる。

容姿によって自信を得る人がいる一方で、容姿により傷つき、自信を失う人がいる。

Mさんは、小さい時から活発で、中学でも、高校でもクラスの中心的なメンバーであった。

大学ではテニス同好会に属し、同じサークルの男子と付き合っていた。

そのサークル仲間での雑談で体形についての話になり、「Mさんは典型的な洋梨型」と言われた。

そのときは笑って受け流したが、彼氏もその場にいたので内心では傷ついた。

彼女の母親が典型的な下半身太りの洋梨型の体型で、子どもの頃父親から「お前の体つきは母親似だ」と言われたことがあり、気になっていた。

高校に入った頃から次第に母親のような体つきになってきたことを自覚していたが、それをあからさまに指摘されたことがショックだった。

そんなことがきっかけでダイエットを始めた。

もともときちんとする性格だったので、カロリー制限を守り、着実に痩せていった。

だから、体重計に乗るのが楽しみで、自分の身体をコントロールしているという充実感があった。

ところが、いつの間にか食べては吐くという状態になり、拒食から抜けられなくなっていた。

精神的にも不安定になり、じっとしていると太るという強迫観念に駆られ、一日中歩き回らないと心が落ち着かなかった。

さらに、家に誰もいない時や家族が寝静まった夜間に、冷蔵庫をあさるという過食が加わった。

「むちゃ食いするあさましい自分。もうどうなってもいいや!」という絶望的で自棄的な気持ちが強くなった。

それで、医者に行くと即入院ということになった。

入院治療でずいぶん楽になったが、卒業までに拒食状態から完全に抜け出すことはできなかった。

通常、容姿に多少劣等感を持っても、それが直接無価値感と結びつくわけではない。

だが、容姿は男女ともにからかいの対象になりやすいし、いじめと結びつくこともある。

さらに、異性関係でのつまずきの原因となることもある。

こうしたことで容姿にかかわる体験が深い傷を残すことになるのである。

5.裏切られた体験

親友と思っていた人が自分の悪口を言っていた。

自分がいじめられるようになったら、友人が離れていった。

擁護してくれると思っていた上司が、非難する側に回った。

このように、信頼していた人に裏切られるという体験は無価値感をもたらす。

なぜ怒りでなく無価値感になるのか。

それは、信頼とは相互の価値を認めていることだからである。

裏切られるということは、相手が私の価値を認めていなかったという事実に直面させられることである。

だから、自分がその人を信じているほど、無価値感を強く体験させられる。

最も信じている相手に裏切られるという体験は、浮気されることであろう。

女性は男性と違って、相手に怒りを向けるよりも自分を責めてしまいがちである。

「彼に裏切られた時、本当に自分なんていらないんだ、と感じた。」

インターネット上のサイトに浮気されたという相談を投稿した人は、次のように書いている。

「後悔、傷つきで四ヵ月自暴自棄になりました。

今も思い出すだけで怖くて、なんかフッと死にたくなります。

自分が自分であるからこんな目にあったんだ、と責めています。」

6.DVとパワーハラスメント

理不尽な支配にさらされ続けると、自己価値感が崩壊し、無力感、無能感、無価値感に陥る。

そうした状態の一つは配偶者や恋人などから受けるDV(家庭内暴力)である。

DVというと、殴る、蹴るなど身体的暴力のみを想起しがちであるが、そればかりではない。

性的暴力(望まないセックスを強いるなど)、精神的暴力(馬鹿にする、人格否定するなど)、経済的暴力(生活費を渡さないなど)なども含まれる。

DVとは強者による弱者への支配であり、加害者は自分の正当性を主張しつつ相手を責める。

それが繰り返されることで、被害者は次第に自分に非があるかのように思ってしまい、服従し、無力化され、無価値化されていく。

レイプは、精神的な無価値化にとどまらず、身体に対する暴力的な無価値化であり、自己価値の感覚を崩壊させてしまう。

被害者には全く非がないのに、なぜか自分を責めがちであり、多かれ少なかれPTSD(心的外傷後ストレス障害)として長く苦しむことになる。

このために、二次的、三次的被害を受けないように、できるだけ速やかに適切なサポートを受けることが必要である。

職場におけるいじめはパワーハラスメント(以下、パワハラ)である。

パワハラは、被害者の人格を傷つけ、自信を喪失させ、無能感、無力感、無価値感に陥れる。

パワハラは法律的に定義があるわけではないが、厚生労働省のパワハラに関する例として六類型を挙げている。

  • 身体的な攻撃(殴る、蹴るなど)
  • 精神的攻撃(同僚の前で叱る、侮辱する、人格攻撃するなど)
  • 人間関係からの切り離し(一人だけ別室に移される、送別会に出席させないなど)
  • 過大な要求(仕事のやり方もわからない新人に過重な仕事をさせるなど)
  • 過小な要求(運転手なのに草むしりだけをさせる、事務職なのに倉庫業務だけをさせるなど)
  • 個の侵害(私的なことに過度に立ち入るなど

ブラック企業とは企業全体がパワハラ状態であるといえる。

そうした職場で働いたことのある方が自分の体験を語っている。

「以前、業界ではブラック企業といわれるところで働いていたのですが、そこでの体験が、自信がない自分を作り上げた一因になっているような気がします。

ワンマン社長で、社員全員の前で”(特定の人物を名指しで)さっさと辞めろ””僻地に異動させる””あなたたちはもう終わり”などと言うのが口癖でした。

有給休暇や時間外手当という概念はないにもかかわらず大変な激務で、四日間風呂に入れなかった女性社員もいました。

社長に気に入られていない人物は、延々と無意味なことをやらされながら叱責される部署に飛ばされ、そこで孤立させられてゆきます。

そこに異動させられたものは自尊心を打ち砕かれ、必ずといっていいほど辞めていきました。

最もつらかったのが、月に一回社員が上層部(たいてい社長の縁故入社かゴマすりが上手い人物)がいる部屋に一人呼び出され、延々とつめられることでした。

社に貢献した実績のある社員でも泣きながら帰ってくることがありました。

彼が辞めていく姿は切なかったです。

”なぜ、とうてい尊敬できない人たちにこんなにいわれなければいけないのか”と、くやしいながら”自分なんかどうせ”と思ってしまうようになっていったのを覚えています。」

7.性格による体験

本人の性格のためにつらい体験をして、無価値感を強めてしまうことがある。

たとえば、他の人が雑談を楽しんでいる輪の中に入っていけない。

がんばって話をしてみても、続かないし、かえって座がしらけてしまう。

昼食に誘われるのが辛いので、お弁当を持参している。

そんなことで、職場が孤立しがちで、惨めな思いをしている。

あるいは、表面では何事もなく人と接しているけれども、いつも気を遣っており、素直な自分でいられない。

上司はもちろん、同僚にも気にいられるようにと、明るく屈託ない自分を演じている。

時に、自分でも「おべんちゃら」と思うことを口にすることもある。

家に帰ってホッとしたとき、そんな自己欺瞞で嫌な気持ちになり、自分が情けなくなる。

他の人と比較することが癖になっていて、しょっちゅう落ち込み、無能感、無価値感を強めてしまう人もいる。

あるいは、なにをやっても続かないとか、仕事をずるずると先延ばししてしまうなどの性格ゆえに、自己否定感を強める人もいる。

※参考文献:「自分には価値がない」の心理学 根本橘夫著