抑え込んだ気持ちを声に出してみる

「これからは自分の感情を素直に味わっていける。でも・・・」

彼女は新たな疑問をもちはじめていました。

「憎しみから抜け出しても、新しい恋人ができたら、また裏切られるんじゃないかと疑ってしまいそうな気がします。

この瞬間、彼女の意識が新しい恋人と向いたことを嬉しく思いました。

それは彼女が、恨み一辺倒だった過去から一歩踏み出した証だったからです。

「あなたが恐れるように、もし、新しい恋人ができたとして、その恋人もあなたを裏切ったら、どうする?」

「もう人を愛するのなんか、やめようと思うかも。いまも少し思っているし」

もし新しい恋人ができたとしても、彼女がいままでのように、「言えばケンカになるから」と気持ちを表現するのを恐れていれば、遅かれ早かれ問題が起きるでしょう。

彼女にとって問題なのは、「もうこれ以上傷つきたくないから、彼に怒りをぶつける勇気がない」と自己主張を恐れる態度でした。

彼女が憎しみをなかなか手放せない理由も、そこにありました。

「いまのあなたは彼の存在そのものが憎いと思ってしまうのかもしれないけれど、本当はそうじゃないはずです。許せないのは彼の全部じゃないでしょう。彼のどういうところが許せないのかしら。それを言葉で表現してみてほしい」

カウンセラーが彼女にそう聞いたのは、「胸の中で抑えているものを言葉に出して表現すれば満足できる」ということを体感してほしかったからでした。

しかし彼女は、自分の気持ちや感情をそういうふうに表現したらいいか迷っているようでした。

私は言い方を変えてみました。

「もし彼があなたの前にいたら、あなたは彼に何と言いたい?それをいま、言葉で表現してみてくれないですか」

「そうですね・・・あなたは、どうして私の話を聞こうとしなかったの。

いままで浮気を隠していて、バレたら別れたいだなんて、ひどい。私の気持ちなんか一切無視して、一方的にもう逢わないなんて、私を何だと思っている。電話をすれば怒鳴って切ってしまうし。

そりゃあ、あなたはそのほうがラクでしょう。でも、私は、誰に怒りをぶつければいいんですか」

「それがいまの、あなたの言いたいことなのですね。それを口に出すとどう?」

「うーん、もっと言い足りないって感じだけど、胸につかえていたものがとれたみたい。言葉にするだけで、気分がこんなにも違うものなのですね」

この満足感は、成功や失敗とは無縁のものです。

結果ばかり気にしていると、この「表現する満足感」に気づくことはできません。

ましてや他者に意識を向けた「他人の目を気にした生き方」をしていたら、気持ちを表現したときの開放感や満足感を体感することはないでしょう。

しかし、もし自分に意識を向け、気持ちを表現することができたなら、仮に自分の主張が通らなくても、この満足感を得ることができるでしょう。

そうすることができたらなら、立ち直りも早いはずです。

とはいえ、彼女が我慢しているほうがラクだというのなら、それでも構わないと思っていました。

憎しみを一生手放さない生き方でもいいと自分にOKを出し、それで誰にも迷惑をかけないのなら、そんな生き方も悪くないと思います。

しかし彼女は現に苦しんでいましたし、その状態から抜け出したいと思っています。

そのための一番の近道は、直接彼に自分の気持ちを表現することでした。

しかし、彼女はまだ彼に表現するのを恐れていました。

「少しでいいから、相手に言葉で表現してみませんか」というのは、あくまでも私の提案で、それを無理強いするつもりはありません。

どうするかは彼女の選択なのです。

我慢しているのにいつもトラブルになる心理

「ちょっとでも言い返そうとすると彼は怒り出すので、自分が満足するために表現しようなんて思いもよらなかった。

争ってボロボロに傷つけ合うのなら、言わないほうがいい。我慢しているほうがいいと思った」

彼女には表現することを恐れてしまう理由がありました。

彼女は彼との関係だけでなく、日常的な人間関係でも摩擦が起こりやすかったのです。

だからますます主張するのを恐れるようになっていました。

問題にしたいのは実は、そんなふうに人と摩擦を起こしてしまう彼女の表現方法でした。

私たちが争いになってしまうとき、どちらか一方だけが争いになるように乱暴な口をきいているわけではありません。

お互いが相手を打ち負かそうと、まず意識の争いからスタートします。

そして、お互いが相手から責められているという意識で相手の言葉を受け止めるため、言い方も争うような口調になっていくのです。

つまり、争いとは、いわば二人で築き上げている共同作業なのです。

「そんなことはない。私は一方的に暴力をふるわれて我慢している」と主張する方もいらっしゃるでしょうが、たとえ我慢をしていても、その我慢こそが暴力をふるわせる原因であることも多いのです。

彼女が憎いという感情から解放されるには、その表現方法自体を変える必要がありました。

もちろん、別のやり方で憎しみを捨てることもできないわけではありません。

いつか憎しみを捨てられるだろうと、時の流れに任せることもできます。

しかし、彼女はこれから新しい恋をし、結婚するかもしれません。

新しい人間関係が生まれても、彼女の表現の仕方が変わらなかったら、似たような問題が起こり、彼女はまた、新しい憎しみを抱くかもしれないのです。

「主張すると、あなたはいつも争いになるというのですね」

「そう、いつもそうです」

「いまはどう?」

「いまって?」

「カウンセラーの私とこうやって話しているじゃない。争いになってる?」

「先生は、私の話を聞いてくれるから」

「それじゃあ、いつも争いになるってことではないですね」

”いつも”と思い込んでしまうこの意識は、実際には日常生活のほんのわずかな部分でも、あたかも100%起こっているかのように拡大して解釈する偏向した意識です。

その偏向を彼女に気づいてほしいと思いました。

「”いつも”争いになると考えるのと、争いにならないこともあると考えるのとでは、どちらが気持ちがラクになる?ちょっとつぶやいてみてください。つぶやきながら、自分の体に聞いてみてほしいのです」

「”いつも”争いになるって考えると、それだけで体が硬直してくるのがわかります。でも争いにならないこともあると考えると、ホッとする。意識したことはなかったけれど、どうですね。気分よく話していることもありますね」

”いつも争いになる”と心の中でつぶやくと、次に想像されるのは、過去に争った場面や、未来の争いになるかもしれない場面でしょう。

客観的にはうまくやっている場合も少なくないはずなのに”いつも争いになる”と信じ込んでいると恐れが生まれます。

そして、実際の場面でもその恐れゆえに身構えて、体や表現を硬直させてしまいます。

そのためにコミュニケーションがうまくいかず、その恐れは現実のものとなってしまうのです。

カウンセラーはもう一歩”感情”について踏み込んでみようと思いました。

「憎しみや恨みの感情はどうしてわくのだと思う?」

「最初から言っているでしょう。許せないからです」

彼女は「どうして何度も聞くのだ」と言わんばかりにしかめ面をしました。

これがまさに、彼女の典型的な自己表現のパターンでした。

このような会話が日常的になされているとしたら、相手が腹を立ててしまうのも無理はありません。

腹が立つけど我慢じゃなく我慢するから腹が立つ

カウンセラーは務めて穏やかな口調で話をつづけました。

「許せないけど、争いになるのがイヤだから、我慢しているというわけなのですね」

「そうです」

「実はその我慢が問題なのです。我慢しつづけると、感情はどうなる?いまのあなたならわかるでしょう」

「憎しみや恨みになっていきます。エスカレートしていきます」

「そうですね、あなたが彼を許せないのも、我慢していたからでしょう」

「ええ、腹が立つけど我慢していました。彼とはいつもそうだったのです」

このとき、「腹が立つけど我慢していた」という彼女の言葉に一瞬引っかかりを感じました。本当はそうではなくて「我慢するから腹が立つ」のです。

「でも、実際にはどうだろう?あなたは本当に我慢していたのかなあ」

「えーっ、我慢していたよ」

「どんな顔で我慢していたの。気分よく我慢していたのかな?」

「気分よくってことはないです」

「そうですね。でもそれって、本当に我慢しているって言える?」

こんなふうに改めて質問すると、我慢の性質がみえてきます。

客観的に考えればすぐにわかることなのですが、「自分は我慢している」と考えている人の多くがそれに気づいていません。

「彼の前で我慢しているときって、あなたはどういう顔になっていました?」

「ふくれっ面をしていた」

彼女はそれを「我慢している」と信じているのです。

しかし相手には「どうしてふて腐れているんだろう」「なんて無愛想な奴なのだろう」というふうにしか映りません。

当の本人は我慢しているつもりでも、それは我慢しているわけではなく、表情や態度で不快感を主張しているのです。

しかもそんな主張の仕方をすれば、相手も同じような態度を返したくなるため、心が通い合うはずがありません。

事実彼女はよく、彼に「何を黙っているんだ。言いたいことがあれば言えよ」と言われていたのだと言います。

「でも私は、言えば怒るくせにって、心の中で彼を責めていた」

「そうでしょうね。そうやって我慢していると、どういう気持ちになる?」

「怒り・・・」

私は、先ほど彼女に憎しみや恨みの感情についてたずねたときのことをもち出しました。

彼女は、「最初から言っているでしょう」としかめ面で答えましたが、それは「どうして何度も同じことを言わせるんですか」という思いを我慢したからです。

「そう言ったらケンカになるかもしれないと思って、抑えました」

「でも私には、あなたが怒っているな、というふうにしかみえなかったです」

それで我慢をしていると言えるでしょうか。

彼女は「私とケンカになるかもしれないから黙っていた」と言いましたが、我慢が怒りを生むのだとしたら、それを口に出してみたほうがいいのです。

カウンセラーは彼女にその気持ちを口にしてもらいました。

「どうして何度も同じことを言わせるのよ」

「言葉に出してみると、どう?」

「黙っているより、ラクになります」

怒りの前には必ず我慢という気持ちが働いています。

しかし、もしも我慢しないで、怒りに変わる前の気持ちを言葉に出してみれば、その思いを後々まで引きずらなくてすみます。

このように、気持ちを表現するというのは、相手を責めるためでも、相手をコントロールするためでもなく、自分の感情を処理するためにあります。

我慢しないで自分の感情を大切にしていくと、同じ画面でも相手を攻撃するのではなく、「自分を大事にするためにはどうしたらいいか」という発想ができるようになるからです。

ただし、確かに彼女のような言い方をすれば、相手は責められていると感じてしまうでしょう。

「私も反発するかもしれないですね」

「そうでしょう。だから黙っていようと・・・」

「いいえ、そうではないです」

相手を責めてしまう言い方は、相手に意識を向けるところからはじまります。

しかし、自分に意識を置いて自分の気持ちだけに焦点を当てていると、もっと違った言い方になるはずなのです。

私は彼女に、自分の気持ちだけに焦点を当てるように言い、その気持ちを喋ってもらいました。

「何度も聞かれると、イヤになって、あなたのことを責めたくなってしまう」

「実際にそう言ってみると、気持ちはどうなっていく?」

「すごくラクになった。心から納得いくって感じ」

「私も責められている感じがしなくて、素直に聞けました」

このようにして我慢の気持ちを解放していくと、その場で感情を処理できるので、「あのときは悔しかった。はっきり言いたかったけどケンカになるのもイヤだし」などと、否定的な感情を引きずらなくて済むのです。

我慢の前後にある感情に気づく

”我慢”という気持ちを挟んだ、その前後の気持ちを二つに分けていて、我慢の前の気持ちを便宜的に「第一の感情」と呼び、我慢の後の気持ちを「第二の感情」と呼んでいます。

例えば恋人が「電話をするよ」と言っていたのに、約束の時間になってもかけてこなかったとします。

このときの自分の純粋な気持ちはこうでしょう。

「電話がかかってこなくて、私は悲しい」(第一の感情)

これを「第一の感情」とすると、「第二の感情」はこうなります。

「ずっと待っていたのに。あの人はこの前も約束を破った。いつもあの人は約束を守らないんだから。もう許せない!」(第二の感情)

「自分の気持ちを言いましょう」というと、「第二の感情」を自分の気持ちだと勘違いしてしまい、「自己主張するとケンカになってしまうんです」と答える人が少なくありません。

しかし、ケンカや争いになってしまうのは、自己表現、自己主張をするときに「第二の感情」を言葉にしてしまうからなのです。

「第二の感情」の裏には、「私は”我慢”している」という意識が働いています。

我慢の後にくる感情は、たいていが”怒り”でしかありません。

それを表現すれば、争いになるのは当たり前。

しかも、「第二の感情」は、実際には、自分の本当の気持ちを表現しているとは言えないのです。

なぜなら、本人の目は「相手が自分にどうしたか」、つまり、他人に注がれていて、自分の気持ちに注がれていないからです。

相手の動きをみて判断を下したり、意志を決定したりする。

自分の意思は後回しにして、相手の言動で自分の意思を決定する。

自分の気持ちは、相手の言動によって容易に左右されてしまう。

一見、「いい人」にも思えるこれらの行動ですが、実は自分の意思を相手に頂けているだけとも言えるのです。

このように、相手の言動ばかりに敏感になって、「相手が自分にどうしたから、自分はどう思う」といった考え方をして、相手の顔色をうかがいながら我慢している(つもりでいる)と、大変です。

ついには自分の「第一の感情」に気づかなくなってしまうのです。

我慢する前の気持ちを伝える

「自分の気持ちを言ったら相手が怒ってしまう。だから我慢をしている!」

多くの人たちがこう言います。

でも、やっぱり我慢ができなくて、口論になってしまうのです。

そして信じ込んでしまいます。

「やっぱり主張するとケンカになるのね」

しかし、これはお互いが、「第二の感情」で会話をしているからです。

では、「第一の感情」を相手に伝えたら、それでも相手は怒るのでしょうか。

カウンセラーは彼女にたずねました。

「彼との問題で、あなたの我慢している前の感情って、何ですか?憎しみの前の気持ちです」

「憎しみの前の・・・」

「別れるって言われてどう思いましたか?すぐに怒りがわいてきましたか?」

「ショックで、泣きたくなった」

「どうでしょう。もしも彼を責めずに、『ショックで泣きたくなった、悲しい』って、ただそれだけを伝えたとしたら、彼は怒り出すと思う?」

「多分、怒らないと思う・・・。私、いま思うと、彼が怒るような言い方しかやってこなかったみたい」

そこで、カウンセラーは彼女の代役として彼女の気持ちを伝え、それがどういうふうに聞こえるかを感じてもらいました。

「私、あなたに別れるって言われて、ショックで泣きたくなったわ。すごく傷ついたし、いまも悲しい・・・どう?腹が立ってきた?」

「ううん。責められている感じがしないから、腹は立たない。相手をすごく傷つけてしまったんだなと思って、胸が痛くなりました」

自分の気持ちを言うだけだから、喋り方はごくシンプルでいいのです。

しかも彼を責めて言うよりも、自分の気持ちだけを言ったときのほうが彼の心に響きます。

どうしてでしょうか。

もし、彼を責める言い方をしてしまうと、彼は「責められている」という箇所に神経を集中させてしまいます。

すると、自分を守ろうとすることに気をとられて、「彼女をすごく傷つけてしまったのだ」というところに気持ちを巡らせる余裕がなくなってしまうのです。

そして、逃げようとするか、同じような姿勢で反撃してくるでしょう。

そんな防御姿勢を解くのが、”自分の気持ちを中心にした言い方”なのです。

「こういう会話ができたら、会話の流れはどうなっていくと思いますか?」

「わからないけど、ケンカにはならないで、相手の話を聞こうという気持ちになるのかもしれない、きっと。

でも、慣れていないから難しそう」

彼女のように、相手に意識を向けて生きてきた人は、頭の中も「相手がどうした」という言葉で占められています。

それを実際に口に出せば、当然、相手を責めてしまうような表現になるでしょう。

だから、相手とのトラブルを避け、かつ自分自身も傷つかないためには、頭の中で交わす会話そのものから、”自分を中心にした言い方”に変えていく必要があるのです。

それができれば、「私はどう感じているのか、それに対して私はどう考えるのか、それをどうしたいのか」といった”他人の目を気にしない生き方”がいかにラクであるかに気づけるようになるでしょう。

他人の目を気にしない

”他人の目を気にしない思考”に変えていくようにすれば、気持ちを表現するとき、それをそのまま口に出すだけでよくなります。

実はこのほうがはるかに簡単だし、気分もラクです。

しかも、他者を責めることがないために、トラブルが起こる可能性も数段低くなります。

むろん心の底に悪意を抱いていれば、それをそのまま言葉に出すのはためらわれるでしょう。

しかし、悪意は「第二の感情」がいびつに成長したものです。

そのときの「第一の感情」をみつめれば、それは”傷ついているという気持ち”であることに気づくでしょう。

その「第一の感情」を丁寧に扱って表現できるようにすれば、悪意の気持ちすら消えていきます。

そして、自然と思いやりの心がわいてくるでしょう。

なぜなら人はもともと「調和したい」という欲求があるからです。

心が満たされると、自然にその欲求へと向かうようになるのです。

ここで気をつけておきたいのは、「相手を思いやる」のと「相手の顔色をうかがう」のとでは全く違う、ということ。

相手を思いやる気持ちは、他人の目を気にしているから、相手を選びません。

しかし、相手を恐れて顔色をうかがう気遣いは、他者を中心にしているから、相手によって態度が豹変します。

これは対等な人間関係ではなく、支配・被支配の人間関係です。

自己表現は、相手を支配するためであってはなりません。

自己表現・自己主張しようというときに、自分の目的のために人をコントロールしたり、支配しようとすれば、これは単にエゴだと言えるでしょう。

「彼が愛してくれないから、許せない」
「相手が自分の言いなりになってくれなければ気がすまない」
「相手をコントロールしてでも目的を果たそうとする」

これはすべてエゴです。

「彼が私を愛してくれようがくれまいが関係なく、私は彼を愛している」
「彼を愛している。そんな自分の感情や気持ちを大事に扱う」

これが他者の目を気にしないということです。

そして、これこそが自分を大事にするということなのです。