新米成人としての若者

子どもの時期を脱して、大人になっていくこととは、どのようなことなのでしょうか。

従来の発達心理学では、22,3歳になれば大人になり、大人になれば心は安定し、成熟していくという暗黙の捉え方がありました。

心の発達段階を誕生から老年期までもっとも的確に描き出したと思われるエリクソンにしても、青年期のアイデンティティの獲得までは詳細に述べていますが、成人期の発達段階については、素描に終わっている印象をぬぐえません。

そうしたなかで、もっとも注意すべきなのはD.J.レビンソンらの研究です(南博訳『人生の四季』講談社、1980年)。

この研究は、狭い心理学の枠にとらわれず、人生を生活構造という概念で切り取ることにより、大きな視野で多大な示唆を与えてくれます。

とりわけ、以下のことを教えてくれます。

1.一生懸命真摯に生きていても、やがてある時期に、悩みや苦しさに出会うのは必然であるということが理解されます。

成人期も、心が揺れ動く過渡期と、比較的安定した時期とを交互に繰り返しながら、生きていかざるをえないのです。

2.心の発達という狭い枠ではなく、生活のあり方と結びつけて心の問題をとらえる必要性が理解されます。

それは、人生そのものをとらえることです。

それゆえに、また、辛さや苦しさ、悩みは、たんに心の持ち方を変えることによって解決されるものではなく、生活パターンそのものを変える必要性を明らかにしてくれます。

3.他の心理学理論が切り捨ててしまっている若いころからの夢が、人生において果たす役割を理解させてくれます。

自分の夢を実現しようとすること、現実の生活と夢との妥協をはかること、そうしたことが人生のそれぞれの時期に持つ意味を明らかにしてくれます。

レビンソンらは、17歳から33歳までの、一人前の大人になるまでの時期を「新米成人時代」と命名しています。

新米成人時代は、さらに、成人への過渡期(17~22歳頃)、大人の世界へ入る時期(22~28歳頃)、三十歳の過渡期(28~33歳頃)と三つの時期に分けられています。

成人への過渡期(17~22歳頃)

この時期は、子どもとしての自分と大人としての自分が同居しており、子どもから大人へとしだいに比重を移していく時期にあたります。

若者は、やがて入っていくべき大人の世界に惹かれてもいますが、同時に大人の世界へ入っていくことに不安を持っています。

大人の世界への強い幻滅と、大人の世界に入っていくことに強い不安を持っている若者が増えているのが現代的な特徴といえるでしょう。

このことが、現在の青年が大人の世界に入っていく困難さを増大させています。

この時期に青年が成し遂げなければならない主要な課題は、1.未成年時代を卒業することと、2.大人の世界へ入る準備段階の第一歩を踏み出すことです。

1.未成年時代を卒業すること

これは、子どもとしての世界で形成した自分を見直し、修正することです。

これまで自分にとって重要だった集団などとの関係を終わらせたり、修正することも含まれます。

親離れという言葉で表現されるように、この時期に親や家族への精神的な依存から自立へと進んでいきます。

金銭的にもある程度の自立性を求めるようになります。

大学入学とか、就職などにより、生まれ育った家を離れ、家族との関係が変わる人も少なくありません。

家族と離れ一人で生活することは、親の権威や親への精神的依存からの解放など、未成年時代の卒業を促進する作用があります。

また、近所の幼なじみの友達から距離を置くようになり、夢を同じくする仲間や、価値観を共有する仲間との関係に比重が移っていきます。

極端な例でいえば、非行グループや暴走族などに所属していた者は、グループを抜け、まっとうで、地道な生活へと結びつく人間関係へと移ることが課題になります。

2.大人の世界へ入る準備段階の第一歩を踏み出すこと

これは、成人前期をとりあえずスタートさせることです。

すなわち、大人の世界を模索し、その一員としての自分を想像し、新米成人としてのアイデンティティを獲得することです。

この時期にはなお、自分を大人よりも子どもの側に位置づける人が大部分です。

たとえば、彼らは同年代のものを自分と同類と見なし、大人をむしろ敵とみなしがちです。

彼らは、成人としての生活を思い描きますが、それはなお漠然としたものです。

現実的というよりも、しばしば個人的幻想の色彩が濃いものになります。

ともあれ、若者はこの時期に、成人としての生活のための暫定的な選択をして、それを試してみることをします。

アルバイトはそうした前駆的な典型的行動です。

そして、そうして試みを通して、自分なりに生活や仕事へのイメージを持って、仕事につこうとします。

就職することは、成人前期をスタートさせるもっとも重要なできごとです。

しかし、この時期の仕事は、「とりあえず」という意識を抜けきれません。

夢や願望、野望を持ちながら、早くもこの時期に現実との最初の妥協を迫られる人も少なくありません。

あるいは、そうした未来への願望さえ描けないままの若者もいます。

こうした状態での就職であれば、いっそう「とりあえず」という意識が強くなり、それだけ仕事上の困難に立ち向かう姿勢は乏しくなります。

ちょっとしたことで今の仕事への疑惑が生じ、簡単にやめるということになります。

大人の世界へ入る時期(22~28歳頃)

この時期は、成人期最初の生活構造を作る時期です。

すなわち、親に保護されている子どもという位置から、自分自身の生活をつくるという大人の側へと重心移動し、定着させる時期です。

このためには、仕事、異性関係、生活様式、価値観などで、大人の世界へと結びつく生活構造を作る必要があります。

具体的にいえば、仕事では、「とりあえず」の感覚を卒業すること。

異性関係では、たんなる遊びとしての恋愛ではなく、結婚へと結びつく可能性を排除しない恋愛に変わること。

生活の様式としては、仕事と家庭生活に打ち込める規則正しい生活や、計画性のある出費ができること等々です。

こうした生活構造を作りあげるためには、暫定的な選択をして、それらを納得がゆくまで試してみる必要があります。

したがって、この時期には、1.大人の生活への可能性を模索することと、2.安定した生活構造を作り上げることの二つが主な発達課題になります。

1.大人の生活への可能性を模索すること

最終的な態度決定を保留し、何かに強く拘束されるのを避け、取捨選択の余地を残しながら、冒険心や好奇心を満たし、これから足を踏み入れる世界をある程度体験し、知ることです。

エリクソンもまた、自我同一性を確立するための青年期における模索の大切さを強調しています。

十分な模索と試みの行動を経て、自ら行った選択への確信がしっかりと心の中に根を下ろし、アイデンティティが確立されていくのです。

この模索と試みがないままに、あるいは不十分であるという感覚を残しながら、確定的な選択をしてしまう人もいます。

そうした人はしばしば人生の後の段階で、この時期の選択に疑惑や後悔を体験することにならざるをえません。

2.安定した生活構造を作り上げること

この時期のもう一つの課題は、自分の人生に責任を持てるような生活構造を作り上げることです。

生活構造の中心は、なんといっても仕事と家庭です。

したがって、その人にとってなんらかの満足感や適切感を与える就職と結婚相手の存在は、安定した生活構造を築く強固な礎となります。

そうした生活構造は、若いエネルギーが機能的に発揮される条件を与え、自分の力と人生に自信を与えるものとなります。

しかしながら、大人の生活を模索しながら、同時に安定した生活への基礎を作りあげねばならないというこの時期の二つの発達課題は、ある意味で対立的であります。

このために、両者のバランスをとることは、多くの人にとって困難を伴います。

この困難の程度は、その人を取り巻く状況要因と、その人自身の心理的要因により異なります。

たとえば、親が自分の職業を継ぐことを求めているのに、他の職業を選択した場合、仕事そのものが親との葛藤を含むことになります。

親が反対する結婚をした場合、結婚生活は最初から親との強い葛藤を含むことになります。

本人自身の心理的要因としては、親から自立しきれないとか、アイデンティティが未確立であるとか、自信がないこと、過度の全能感、空想的な野心などが困難を大きくする作用を果たします。

じっさい、仕事につかなかったり、ついても仕事を次々と変えたり、異性との関係を不安定なままにとどめたり、学生生活を引き伸ばすなど、可能性の模索の方に片寄っている人が少なくありません。

逆に、早い時期に仕事と結婚という人生の大きな決定をして、表面的に安定した生活構造を作る人もいます。

この場合、若さゆえに他の選択の可能性が存在するために、次のような疑惑が生じることが少なくありません。

「あまりにも、早く決めすぎてしまったのではないか?」

「もっとよい結婚相手がいるのではないか?」

「本当にこの仕事でいいのか?」

「自分を大切にしないで重大なことを決めてしまったのではないか?」

この時期、多くの人は、この両者の中間の状態にいます。

たとえば、仕事は安定していても、異性とは責任を伴わない関係しか持たないとか、逆に、結婚しても、腰掛け的な仕事を続けるなどです。

しかし、そうした人でも、二十代終わり頃になると、生活を安定させたい欲求がしだいに強まってきます。

そのうえ、そうした方向への家族や社会からの圧力も強まります。

こうしたことで、仕事と家庭生活とで、成人期最初の安定した生活構造を作るようになります。

若者は、まだほとんど人生を知らないうちに、人生最大の決断を要請されます。

それは、仕事を決めることと、結婚を決めることです。

仕事は、いったん決めてしまうと、それがしっかりした職業であればあるほど、簡単には変えられません。

変えるためには、大きな抵抗を乗り越えねばならないし、その職業につくまでの努力と時間を無駄に捨てねばなりません。

結婚については、次のようなことを現実的なものとして受けとめる前に、現実そのもののなかに置かれる人が大部分です。

「どのような家庭を築くのか?」

「夫(妻)の役割は?」

「そもそも結婚生活とはいかなるものなのか?」

さらに、結婚にも増して人生の重大事であるのは、新たな生命の誕生です。

これは少なくない人にとって、自覚的な選択さえなしにもたらされます。

こうしたことのために、「大人の世界へ入る時期」は、長い人生のなかでもストレスに満ちた時期になります。

たとえ表面上は安定しているように見えても、生活構造のどこかに、やがてひずみと感ぜざるをえない部分が内在します。

それが、次の「三十歳の過渡期」という危機の時期を必然的に招来することになります。

三十歳の過渡期(28~33歳頃)

多くの人にとり、この時期は単なる過渡期ではなく、厳しいストレスに満ちた危機のときになると、レビンソンは述べています。

しかし、この時期は、成人期に入って最初に築いた生活構造の持つ欠陥と限界を解決し、次の発達段階にもっと満足のいく生活構造を築く土台を作るチャンスの時期でもあるといいます。

二十代には、生活は仮のものという意識がありましたが、この時期には、生活はもっと真剣で拘束的で現実的なものと感じられます。

そうしたなかで、三十歳の過渡期は、漠然とした不安から始まります。

最初は、自分が作り上げた生活構造に関わる疑惑が中心になります。

「今の生活を、これからもずっと続けていっていいのだろうか?」

「今の仕事を続けていっていいのか?」

あるいは、結婚生活への疑惑が生じることも少なくありません。

「本当に適切な選択だったのか?」

「今なら、別な選択の可能性もあるのではないか」

このような疑惑や不安により、生活を見直し、関係のあり方を修正しようとする方向に関心が向かいます。

そうしたなかで、夫婦がいっそう相互性を増すことができれば、その後の家庭生活の豊かさへとつながります。

三十歳の過渡期も終わり頃になると、目はもっぱら将来へと向けられるようになります。

「自分の人生をどのように生きていくのか」

「自分のなかで仕事をどのように位置づけるか」

これにより、生活の新しい方向を見つけて新たな選択を行ったり、すでに行った選択を再確認したりします。

この時期に、迎えていた夢がどうしようもなく頭をもたげてくる人もいます。

前途洋々たる位置についていても、どうにもあきらめられない夢に大きく揺さぶられる人もいます。

たとえば、会社で将来を嘱望される存在であるのに、芸術への夢を断ちがたいなど。

大部分の人は、現在の生活と夢との間に何らかの折り合いをつけて、やがて安定を得ます。

しかし、なかには夢を優先させ、仕事を変えたり、夢と両立しがたい家庭生活をあきらめ、離婚する人もいます。

三十歳の過渡期を、ほとんど危機感なく通り過ぎることができる人は、現在の生活が自分の人生のスケジュールに沿って進んでいる、と感じられる人です。

仕事が自分に向いている。

給料や労働条件もまずまずだ。

結婚も賢明な選択であったと思う。

しかし、こうした人でも、この時期に若干の修正をするのが通例です。

逆に、生活構造に重大な欠陥がありながら、それに目をつむったままでこの時期を通り過ぎると、人生のあとの階段でそれが表面化して、いっそう大きな犠牲を払わされることになります。

「三十歳の過渡期」を乗り越えると、成人前期の最前期である「一家を構える時期」(33~40歳)に到達します。

家族でも仕事でも「一家」を成し、安定した生活構造のなかでバリバリと仕事に励む時期です。

しかし、この安定した充実した生活も、やがて四十歳前後になると、自分の後半の人生を見直し始める「人生半ばの過渡期」という動揺の時期に入っていきます。

若者が一人前の大人になるまでの過程は、上記に見たように永く複雑なのです。

若者に接するには、こうした揺れ動きやすい彼らの心に配慮しながら接することが要求されるのです。

長引く「新米成人」時代

レビンソンらが示した年齢は標準的な年齢であり、個人差によりプラス・マイナス二歳程度のずれがあるとされています。

それでも、現在の日本の若者の状況をみると、全体的に後ろにずれてきているように思われます。

とりわけ、「大人の世界へ入る時期」が長引いており、この時期前半の発達課題である「大人の生活の可能性の模索」に片寄り、後半の課題である「大人としての安定した生活構造を作る」ことを先送りしている状態が顕著です。

ちなみに大人としての生活構造の重要な要素である結婚をみてみると、2001年の平均初婚年齢は男性29.0歳、女性27.2歳となっています(『平成十五年版国民生活白書』内閣府編)。

じつは、このことはある意味では必然なのです。

というのは、新米成人の期間は文化が進めば進むほど長くなるものなのです。

それは、社会が複雑になるほどそれに適応するためのより長い準備期間が必要であるためであり、また、生産力が高まるために労働に携わらない若者をも養える余裕ができるからでもあります。

とはいえ、現在の若者が「大人としての安定した生活構造を作る」ことを先送りしている状況を、たんに歴史的な必然としてのみ把握することはできません。

現在の特別な社会状況が大きく影響しているからです。

それは、前節で述べた厳しい労働条件であります。

また、それに伴う仕事と家庭生活を両立させる大変さなどです。

むろん、女性が経済力を持ったことや、就職や結婚を求める親や社会的圧力が弱まったことなども影響しています。

また、精神的な面で言えば、大人としてのアイデンティティの確立が遅れていることが影響しています。

定職に就き結婚するためには、仕事への一定の自信と、愛する者の人生とやがて生まれてくるであろう生命に対する責任を引き受ける自信とが前提になります。

同時にこのことは、その決断をする自分自身の人生への全責任を引き受けることでもあります。

こうした自信を基礎とするアイデンティティを獲得できない姿なのであり、責任を免れることで得られる空虚感を伴った安易さに安住している姿でもあるのです。

このように「新米成人」時代が長引くことは、それだけ若者が不安定と混迷のなかにいる期間が長くなったととらえる必要があります。

※参考文献:傷つくのがこわい 根本橘夫著