回避が症状によって強化され、完成されると、回避のループから抜け出せなくなる。

しかし自ら症状に正面から向き合おうとすれば、症状の呪縛を解くだけでなく、不安から回避するという悪循環を打破するチャンスも生まれる。

そのことを見事に喝破したのは、森田正馬である。

森田は、神経質という概念の生みの親として、また森田療法の創始者としてよく知られるが、自分自身、不安神経症を抱え、それを克服した経験の持ち主であった。

その点、カール・ユングとよく似ていると言える。

森田が神経症に悩まされるようになったのは、一高(現東京大学教養学部)の学生だったころである。

動悸や頭痛などの症状のため、勉強も手につかない状況に陥ってしまったのだ。

あれこれ治療を受けてみたが、よくなるどころか、ひどくなる一方だった。

それに追い打ちをかけるように、試験を前にして親からの仕送りも止まってしまう。

森田は悲嘆と無力感に打ちのめされ、このままでは、死ぬしかないとまで思いつめた。

だが、そこで思い直す。

どうせ死ぬのなら、死んだ気になって、やるだけやってみよう―彼はそう決心するのである。

それから森田は、動悸の発作が襲ってきても、「どうせ死ぬのだから」と、これを放置し、とにかく自分のやろうとしていることだけに気持ちを集中することにした。

遅れていた学業に、それこそ死に物狂いで取り組んだのである。

それまで、症状を理由に手をつけないでいた勉強も、やり始めると、なかなか面白い。

遅れを取り戻すべく、無我夢中で学業に励んだ結果、試験で好成績をおさめることができ、親元からの送金も再開した。

そして、気がつくと、あれほど自分を苦しめた症状が消えてしまっていたのである。

躍起になって治そうとしても悪くなるばかりだったのに、死んだ気になって肝心なことに注意を集中しているうちに、症状のことなど忘れてしまったばかりか、すっかり治ってしまったのだ。

そのことから、森田は一つの境地にたどりつく。

神経症は、症状を治そうとしても治らないが、肝心なことに熱中していれば、自然になくなってしまうのだと。

森田のところに、ある学生が動悸や強い不安を訴えて、治療を受けにやってきたことがある。

学生は、「症状がひどいので、休学して治療に専念したい」と希望を述べた。

それに対して森田は、「病気を理由に休学するのなら、治療は引き受けない」と答え、「症状を治そうとしてはいけない」と説明したのである。

学生は納得し、学業をこれまで通り続け、「症状」のことはかまわず、放置するように」という森田の指示に従った。

その結果、学生は単位を落とすこともなく、症状も自然によくなってしまった。

こうした経験から、「あるがままに」という森田療法の基本的な理念が生み出されることとなる。

この理念は、最新の治療理論を先取りした考え方として、改めて高く評価されている。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著