私達は日常の会話のなかで、「あの人の心がわからない」「あの人は心の温かい人だ」などと、心という言葉を何気なく使っています。いったい心とは、どこにあるのでしょうか。


昔から心理学や精神医学が、また小説や詩、絵画などの芸術が、「心とは何か」の疑問に答えてきました。

しかし、「心」ほど、その実体が曖昧模糊とし、日常、無頓着に使われている言葉もないといえるでしょう。

学問的に人間の心とは何か、を考えてみようと思います。

心とか精神は、古典的な考えとして、「知・情・意」という言葉で表現されています。

つまり、心は知能、感情、意欲の三つのコンポーネントから成り立っているといえるわけです。

この三つのバランスがとれ、統合されて、はじめて健全な心と呼ぶことができます。

と同時に、この三つの要素は、それぞれが脳生理学で機能を証明されています。

その分野では時実利彦先生の研究が著名ですが、それをもとに、少し解説を試みましょう。

まず、知能の役割は情報を伝達することです。

新しく入ってきた情報を、それまでストックしていた情報と照合して、適切な行動を起こす判断を与えるわけです。

この作業は、新皮質とよばれる大脳の表層部がつかさどっています。

ですから、新皮質が広汎になんらかの理由で破壊されたりすると、発達段階に起これば精神薄弱児になり、あるいは高齢者の場合なら、認知症がおきてくるのです。

次の感情(エモーション)は、情動反応とも呼ばれていますが、脳の側頭葉のさらに内側にある辺縁系とか、あるいは視床下部という構造が関係しています。

これは自律神経系と密接なつながりがあり、感情の変化に伴って、自律神経系に影響を与えます。

ストレスによって下痢を起こしたり、顔が赤くなったり真っ青になるのは、その機能の表れなのです。

いずれにしても、情動は人間の心に非常に重大なもので、情動反応がバランスを失った場合には、うつ病になったり、逆に躁病にかかったりします。

三つ目の意欲は知能とも関係していますが、前頭葉の機能から生まれると言われています。

意欲というのは、「ああなりたい」「こう生きたい」ということで、つきつめれば、自分を認め、自分を主張することになるでしょう。

優越感、競争意識、自己顕示、権力欲などという欲望が起きるのも、前頭葉のなせる業で、人間は他の動物に比べて、前頭葉が非常に発達しているところに特色があるのです。

よく、人間から戦争をなくしてしまうには、「前頭葉をみんな切ってしまえばよいといわれるのもこのためですが、そんな極論はともかくも、前頭葉を取ってまったく意欲のない植物人間にしてしまう、「ロボトミー」が過去に行われたのは事実です。

このほか、運動機能、知覚機能などが統合的にはたらいて人間は生きているわけです。

ですから、脳生理学的には、心とは「生きていることである」と定義してよいでしょう。

時実博士は、脳の構造、はたらきをコンピューターに比しています。

私達のたった厚さ3~4ミリの大脳皮質には、約百四十億の神経細胞がつめこまれていて、トランジスタがせいぜい5~6万詰め込まれているに過ぎないコンピュータとは、そのはたらきは情報伝達という点で似ていますが、性能では問題になりません。

私達が生まれおちたとき、すでにトランジスタに該当する神経細胞が備わっているのですが、それがただ備わっているだけでは役には立ちません。

コンピューターを使いこなすもの、つまりソフトウェアが必要なわけで、私達はそのソフトウェアを幼児のころから自分で作り上げていくわけです。

他の動物にも、規模の差はあれ回路はありますが、ハードウェアだけでソフトウェアは身につけられない。

この点が、人間と動物の根本的差異といえるでしょう。

いうまでもなく、コンピューターでは感情までをコントロールできません。「知・情・意」のうち、感情は人間の特性といってもよく、知と意によって感情をコントロールすることが、人間の課題ともいえるでしょう。

人間の心、つまり脳をコンピューターと比しても、それはあくまでも比較であって、どんなにすぐれたコンピューターをもってきても、人間の心にはかなわないのです。

人間はただ情動のおもむくままに生きているだけではありません。

知能によって情報を整理して、よりよく生きようと心がけています。

さらに、意欲によって将来に対するプランも立てているのです。

つまるところ、心のメカニズムは、脳の生理的な働きに基づいていることを、十分理解していただきたいと思います。

そして心の健康は、脳の働きに支障がないことを前提にしていることはいうまでもありません。

※参考文献:森田療法入門 長谷川和夫著