表向きには他者に貢献しているといいながら、結局は自分のためだとするロジックは、どう考えても偽善以外のなにものでもないのではないか?

それは、次のような場面を想像してください。
ある家庭で夕食が終わった後、食卓の上に食器が残されている。
子供たちは自分の部屋に戻り、夫はソファに座ってテレビを見ている。
妻(わたし)が片づけをするほかない。

しかも家族は、それを当然だと思っていて手伝う素振りも見せない。
普通に考えれば「なぜ手伝ってくれないのか?」「なぜ私だけ働かないといけないのか?」という状況です。

しかしこのとき、たとえ家族から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片付けながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。
他者が私に何をしてくれるかではなく、私が他者に何をできるかを考え、実践していきたいのです。
その貢献感さえ持てれば、目の前の現実は全く違った色彩を帯びてくるでしょう。
事実、ここでイライラしながらお皿を洗っていても、自分が面白くないばかりか、家族だって近づきたいとは思いません。

一方、楽しそうに鼻歌でも歌いながらお皿を洗っていれば、子供たちも手伝ってくれるかもしれない。
少なくとも、手伝いやすい雰囲気は出来上がります。

それでは、どうしてここで貢献感が持てるのか?
これは家族のことを「仲間」だと思えているからです。
そうでなければ、どうしたって「なぜわたしだけが?」「なぜみんな手伝ってくれないのか?」という発想になってしまいます。
他者を「敵」だと見なしたまま行う貢献は、もしかすると偽善につながるのかもしれません。

しかし、他者が「仲間」であるのなら、いかなる貢献も偽善にはならないはずです。
あなたがずっと偽善という言葉にこだわっているのは、まだ共同体感覚を理解できていないからです。

便箋上ここまで、自己受容、他者信頼、他者貢献

という順番でお話してきました。
しかし、この3つはひとつとして欠かすことのできない、いわば円環構造として結びついています。

なかまだとおもえているからこそ
ありのままの自分を受け容れる―つまり「自己受容」する―からこそ、裏切りを恐れることなく「他者信頼」することができる。

そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だとおもえているからこそ、「他者貢献」することができる。

さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け容れることができる「自己受容」することができる。

前に紹介した、アドラー心理学の掲げる目標を再び確認してみます。

行動面の目標
1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること

この行動を支える心理面の目標
1.わたしには能力がある、という意識
2.人々は私の仲間である、という意識

このことも先ほどの話と重ね合わせればより深く理解できるはずです。
つまり、1.にある「自立すること」と「わたしには能力がある、という意識」は、自己受容に関する話ですね。
一方2.にある「社会と調和して暮らせること」と「人々はわたしの仲間である、という意識」は、他者信頼につながり、他者貢献につながっていく。

そして、人生の目標は共同体感覚だというわけです。

少し整理するのに時間がかかりそうですが、
アドラー自身、「人間を理解するのは容易ではない。個人心理学は、おそらくすべての心理学の中で、学び実践することが、最も困難である」と述べているくらいです。

アドラー心理学を本当に理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になるとさえ、いわれています。
つまり、40歳から学び始めたとすれば、プラス20年が必要で60歳までかかる。20歳から学び始めた場合にはプラス10年で30歳までかかる、と。

人生の早い時期に学び始めればそれだけ早く変われる可能性があるのです。
早く変われるという意味においては、まだ若い人は世の大人たちより前を歩いている。
自分を変え、あたらしい世界を作っていくために、道に迷ってもいいし、ブレてもいい。
縦の関係に従属することなく、嫌われることを恐れないで、自由に進めばいいのです。
もしもすべての大人たちが「若い人たちの方が前を歩いている」と思うことができたなら、世界は大きく変わるでしょう。

わたしはアドラーの思想を、一人でも多くの若者に知ってほしいておもっています。
しかし同時に、もっと多くの大人たちにも知って欲しいとも願っています。年齢に関係なく人は変われるのですから。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには
行動面の目標
1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること

この行動を支える心理面の目標
1.わたしには能力がある、という意識
2.人々は私の仲間である、という意識

これらアドラーの思想の目標を意識して行動することである。

参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著