毎日の生活のなかで、ひけめばかり感じる性格を変えてみたい、「心」を強くしたいといつも願っているのですが・・・。


「心を強くしたい」。これは、ビジネスマンに限らず、現代に生きる人々の共通の願いでしょう。

毎日の厳しい生活のなかで、ストレスに負け、心と体のバランスをくずしてノイローゼに陥った人、またその体験をもつ人でなくとも、「もっと自分の意見をいえるようになりたい」「ひけ目ばかり感じる性格を変えてみたい」「人前でなんとかあがらないようにしたい」など、心を強くしたいという欲求を持っていない人はいないでしょう。

どんな人でも自分の心の弱さを、どこかで自覚しています。

しかし、その弱さに参ってしまっては、それこそノイローゼになってしまうわけで、私たちは知らず知らずのうちに対応策を講じているものです。

酒を飲んで上役の悪口をいう、などというのも、まさにストレスの解消でしょう。

とにかく日頃不満に思っていることを口に出す、ものいわぬは腹ふくるる心地、などといいますが、口に出して話すことにより、かなり気がまぎれるものです。

また女性のおしゃべり、人の噂なども、ストレス解消の一つの方法でしょう。

テレビで野球の試合を見る、ドラマを見るなどというのも、日常生活から自分の心を離すという効果がありますし、ひところ話題となった暴走族なども、日頃のうっぷんを、オートバイや車で走りまわることにより晴らしていた、とみることもできそうです。

もちろん、暴走族を認めるわけではありませんが、ストレス解消の手段の一つではあったはずです。

なかには、薬によってストレス解消をはかっている人もいます。

といっても、なにもLSDとかマリファナ、ハッシシなどといったものではありません。

ベトナム戦争後にアメリカで広まり、パーティなどでもある程度広く吸われているマリファナは、吸うと気持ちが落ち着き、不安がなくなるといいますし、スイスの科学者ホフマンがつくり出したといわれる幻覚薬LSDも、幻覚が起こり心が愉快になるということで、ヒッピーなどに愛用されました。

世間で物議をかもしている覚醒剤なども、心の不安をなくすという点では同じなのでしょう。

しかし、これら害毒のほうが多い薬でなくとも、毎日のストレスから胃が重い、食欲がない、体がだるい、眠れないなどの心身の不調を覚え、常時、消化剤や胃薬、栄養剤、睡眠薬などを飲み続けている人は少なくありません。

とかく日本人は薬をありがたがる傾向が強いようで「心の病」を治すにも、やたら薬が使われた時代もあったのです。

このような無意識のストレス解消法とは別に、かなり意識的なものもあります。

頭が疲れた、よい音楽でも聴いてすこし休めようか、などというケース。

作家や文筆業の人は、原稿を書く時クラシック音楽をかけるということが多いようです。

原稿を書く行為そのものはかなり激しいストレスを伴うものですが、そのちょっとした合間に音楽を聴いて、気分を変えているのでしょう。

昔は日本男児の必須事となっていた剣道や柔道なども、意識的に「心を強くする」方法にあたるでしょう。

辛い修業に堪え抜いて、集中力やものに動じない心をつくるというわけですが、即効果を求めたがる人、つねに仕事に追われている人にとっては、なかなか手を出しにくい方法でもあります。

近頃、座禅、ヨーガ、超越瞑想法、自律訓練法などの瞑想訓練法がさかんに行われているようです。

かつて巨人軍の監督だった川上哲治さんが、シーズンオフになると、必ず座禅にかよったというのは有名な話ですが、そこで次のシーズンに向けて心を切り換えていたのだと思います。

いうまでもなく、ヨーガはインドにその起源をもつ、一種の神秘宗教です。

専門的にはいくつかの流派があり、ところによっては、神経症あるいは高血圧、心臓神経症のようなものの治療に用いられているようです。
禅や瞑想というのは、もともと宗教的なものであり、単に「劣等感を克服するために」というような、現世利益の追求より、もっと崇高な「道」を求めるために行われてきたものでしょう。

ところが、こうした「道」を求める方法が、ストレスに悩む現代人の「心を強くする」方法論として提供され、人気を博しているのでしょう。

事実、こうした瞑想訓練法には、「心身がリラックスして心の安定が得られる」「抑えつけられた感情が解放され、ストレスがなくなる」「精神集中力、理解力、記憶力、思考力などが向上する」「気力が充実し、積極的になる」などといった多くの効用が宣伝されています。

禅やヨーガなどに取り組んでいる人達は、実生活の上でもかなり積極的なタイプであることは間違いないようです。

このように、人それぞれに嗜好品の好みがあるように、私達は各人各様の「心を強くする法」を実行しているわけですが、積極的に「心を強くしたい」と願っている人にぜひとも試していただきたいのが、森田療法を応用した生活方法なのです。

この方法は、べつに教室やお寺へ行かなくとも、毎日の生活のなかで実行できるという点では、むしろ簡単明瞭なものといってもよいでしょう。

森田療法は、対人恐怖症などの神経質症の治療に抜群の効果を発揮する方法なのですが、だからといって、神経質症に陥った人だけのものでは決してありません。

毎日を積極的に心を強く生きたいと願う人ならば、だれでも応用できる方法なのです。

ではなぜ森田博士の方法が、日常生活にも生かせるのでしょうか。

一つには、森田療法が非常に現実的で、今の生活をまず大事にするという特徴をもっていることがあげられます。

たとえば欲求不満について考えてみましょう。

ふつうは、欲求不満がつのって、挙句の果てにノイローゼになると考えられますが、森田療法では逆に、神経質だから欲求不満になるとするのです。

つまり、向上欲の強い、「自分はこれぐらいはできて当然だ」と己に高い水準を保とうとするタイプの人だからこそ、欲求不満がでてくるのであって、そう思わない人、のんびりした人には欲求不満など起こりようがないからです。

だから、森田療法では欲求不満をなくそうとはせずに、それをむしろ利用して、その人のもつ高い欲求、向上欲を満たしてやろうとするのです。

具体的に職場のことを考えてみましょう。

「自分はこの商品を、今の2倍は売ってみせる」「自分の属する事業組織をもっともっと能率化しなければならない」などと、常に向上心をもっていれば、それが思うほどかなえられないとして、欲求不満をもつことになるのです。

ここで、「もう俺はダメだ」などと思わずに、その不満を当然のものとして、自分の考えるプランを上役や部下にどんどんぶつけて、とにかく向上をはかっていく。

これが森田療法のいわんとするところであって、現実にある欲求不満をのぞくのではなく、それを逆用していくわけです。

森田療法と禅の精神はきわめて似通っています。

禅が作務という日常茶飯事の実行を大事にするように、森田療法でも、とにかく実生活での行動、働きを第一に考えるのです。

フロイト流精神分析法のように、過去の体験や、生まれつきの性格にこだわったりしません。

あくまで、現実的で実生活に密着したものが森田療法であって、ここにこそ、私達の毎日の生活に応用できるゆえんがあると言えましょう。

森田博士の方法が日常に活かせる第二の理由は、私達日本人が本来的に他人の目を気にし、そこから、「他人の目に映る自分はかくあるべし」を強く意識する性格をもっているということです。

精神科や心療内科へ相談に訪れる人達の多くが、上役や部下との、恋人や姑との、隣人や夫との対人関係に悩んでいるという一面をみても、日本人の「他人配慮性」と、そこからくる「自己省察」の強さがうかがわれます。

「自分はかくあるべし」と、自己に高い欲求を課す神経質の人の心の治療に効果があるのが森田療法です。

そこから考えれば、日本人すべての生活に、森田療法の考え方が応用できないはずはないのです。

つまり、「心の病」に陥ってからではなく、日頃から職場や家庭で森田療法を応用して生活していけば、さまざまなストレスにも負けない強い心が自然にできていくということなのです。

森田療法というと、かつては集団療法のようにみられたこともありました。

外面的にはそうみえるかもしれませんが、森田療法はあくまで個人に対する方法です。

それぞれの人によって治療法も対処法も違ってきます。

これは考えてみれば当然で、皆が同じことを悩み、同じ不調を訴えることはありえないからです。

森田療法では、ときには人によっては、まるで相反した指導をすることも珍しくありません。

私達の日常生活も、そのスタイルから考え方まで各人各様で、自分とまったく同じ生活を営んでいる人を見つけ出すのは、絶対不可能でしょう。

森田博士の方法を日常生活に活かしていく場合にも、「あるがまま」などといったその基本的精神をよく理解したうえで、あとは各人各様の生活の場で、自分なりのやり方で応用していけばよいのです。

もちろん、この世に万能のものは一つもないように、森田博士の方法とて万能ではありません。

しかし、読者であるあなたに自分を向上させようという意欲がある限り、やがてあなたの心を強いものにしていくはずなのです。

※参考文献:森田療法入門 長谷川和夫著