”母親の役割は子供の不安を取り除くこと”

「幼児がヒザを擦りむいて、母親のところに泣きながら戻ってきたとします。母親に抱いてもらって安心したいのです。」

ところが、母親はその子を置き去りにして薬局に赤チンと包帯を買いに走る。
そして、傷を手当てして「もう痛くないわよ」と言う。
そうした体験が繰り返されて、「一般化された痛み記憶」となる、と丸田俊彦氏はいう。

わたしもその通りだと思う。経験の中心は痛みそのものではない。
母親から離れたひとりぼっちの淋しさである。
母親に抱きしめてもらいたいからである。

母親に、「驚いたんでしょ、大丈夫よ。痛いの痛いの、飛んでいけ―」と言ってほしかったのである。

子供は、医者よりも母親が助けてくれると思っている。
子供は、血を見て恐怖感、不安感を持つ。
ここで母親が抱くことで、不安が消えて、治療になる。

母親の役目は不安を取り除くことである。
医者と母親では役割が違う。

子供を置き去りにして薬局に走る母親は、高級な離乳食をあげて、「この子は成長しない」と言っているような、母なるものを持たない母親と同じである。

安心感を持って生きている子供と、不安に怯えながら生きている子供とでは、同じ注射をしても痛みは違う場合があると考えてよい。

母なるものを持った母親の子どもは、毎日安心感を持って生きている。
母なるものを持たない母親の子どもは、毎日不安を感じながら生きている。

これはほんの一例である。
母なるものを持った母親の子どもと、母なるものを持たない母親の子どもとでは、日常生活の知覚すら違う。

母なるものを持たない母親の子どもは将来、対人恐怖症、社交不安障害になる可能性がある。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著