人間関係においては、自分の心の領域を侵害されるということが起こります。

私たちはそれぞれが事情を抱えた人間です。

持って生まれたもの、育った環境、身近にいた人たちの性格や価値観、現在置かれている状況、その日の体調や機嫌など、自分にしか分からない事情がたくさんあります。

私たちの価値観はその中で作られますし、何らかの行動を選択したり、何かを感じたりするのも、それらの事情を反映したものです。

しかし、「決めつけ」は、そういう事情を無視して行われるもの。

人にはそれぞれの事情を反映した「自分にしか分からない領域」があって、その境界線はきちんと守るのが「大人の関係」。

それを踏み越えてこちらの領域に入り込んでくるというのは、「本来あるべき状態」からの立派な逸脱です。

何かを決めつけられると「イラッとする」ものですが、突然自分の領域を侵害されるのは衝撃的なことですから、当然だと言えます。

そして、「なんであんなふうに決めつけられるの?」「人のことを何も知らないくせに・・・」「自分のほうこそ・・・」などという思考が繰り返し浮かぶと、イライラが続いていきます。

正論はコントロールが難しい

決めつけは、領域の侵害。

それでも、それを「勝手に決めつけないで」「私の自由でしょ」「余計なお世話」などと言ってコントロールできるのであれば、まだイライラしないですみそうなものですが、一般に、決めつけは「正論風」に行われることが多いもの。

言い返そうとしても「常識的には・・・」「普通は・・・」と反論されてしまい、簡単にコントロールすることができません。

それでイライラが増してしまうのです。

例:無駄に手をつないだり、肩に頭をもたせかけたりする友達

妙に馴れ馴れしい人や、物理的な距離が近過ぎると感じる人にもイライラすることが多いですが、これもまさに自分の領域を侵害されるから。

関係性によって、距離感についても「本来あるべき状態」があります。

しかし、親しくしてくれている相手に対して「手をつながないで」と振り払うことも人間関係としては難しいですから、状況をコントロールすることもできず、イライラして当然ですね。

例:「私って、〇〇じゃないですかー」と同意を求める話し方をする人

人の話に対してどう感じるか、どう反応するかは本来完全にこちらの自由のはずなのですが、同意を求められる、つまり、反応の仕方をコントロールされるのは、領域を侵害されているということになり、「本来あるべき状態」からの逸脱です。

また、こういう状況も「あなたのことには関心がないのでわかりません」などと突き放すのが難しく、不本意であっても同意しつつ聞かなければならない、という点でコントロールが難しいですね。

例:自分の意見を「人ってさ~〇〇じゃん?」と、人類規模に広げる人

これはまさに、こちらの領域どころか、あらゆる人の領域に土足で踏み込むような態度。

その人の感じ方はその人の感じ方に過ぎず、それをあらゆる人の感じ方のように広げている時点で、「本来あるべき状態」からの逸脱ということになります。

でも言い返すとつまらない議論に陥り、面倒なことになるので、やはりコントロールは難しいものです。

無意味に謙遜する人にイライラする理由

実は、へりくだり過ぎの人にイライラする理由も同じです。

「無意味な謙遜」というのも、実は「領域の侵害」と考えることができるのです。

相手に謙遜されてしまうと、どうしてもこちらは「いえいえ、そんなことはありませんよ」と言わなければならない雰囲気になってしまいます。

相手が「私は本当にダメな人間なんです」と言ったときに、「ああ、そうなんですか」などと軽く流すことはできません。

つまり、これは反応の強要のようなもので、「いかに反応するか」という、本来こちら側の領域に属するテーマを侵害されている、ということになるのです。

これも「本来あるべき状態」からの逸脱で、かつ、「あなたの謙遜は嫌みですよ」などと言ってコントロールすることもできず、ということで、イライラを生む原因となります。

ネガティブな人にイライラする理由

案外多いのが、ネガティブな人にイライラする、というケースです。

他人に対してネガティブなことばかり言うのは、「悪口ばかり言っている」ということですから「本来あるべき状態」からの逸脱として不愉快になるのは分かりますが、自虐的なネガティブさにもイライラする人は多いものです。

特に最近よく聞くのは、ブログやSNSなど、ネット上に書かれた自虐的なコメントに対するイライラです。

人が自分のことを自虐的に語るという現象のどこがイライラにつながるのか、と言うと、やはり、これも「領域の侵害」の一つの形なのだと考えられます。

ある人を見てどう感じるかというのはそれぞれの自由であり、それぞれの領域の中の話。

しかし、「社畜な俺」などと決めつけられてしまうと、本来違う感じ方(あなたの状況はまだましなほうだ、そういう自虐的な言い方は自分を傷つけるからよくない、など)をするかもしれない自分の領域を侵害されたように感じられるのです。

「自分は社畜のような気がしてしまう」というのであれば、イライラ度はぐっと低くなります。

決めつけではなく、その人自身の感じ方に過ぎないということが明記されていれば、領域侵害にはならないからです。

ポイント:正論風でも、自虐的でも「決めつけ」はイライラさせるタネ