無欲のふり、善意のふり

“無欲のふり、善意のふり”

自分に失望している者が、他人を意地悪く批判するのである。

自分に失望しながらも、その失望感を抑圧して、無意識に追いやってしまった人間は始末が悪い。

大義名分を持って他人をいじめにかかる。

お金に執着している自分を抑圧している者の”無欲のふり”ほど、へどがでそうなものはない。

「俺はないもいらない、みんなお前にやる」といいながら、関わりあった者には、その人がお金や物に異常に執着している姿が見えて、やりきれない時がある。

普通の人間には、普通の人間の色々な醜さは耐えられるものなのである。

普通の人間の持っている欲張りぐらいは不快なものではない。

では、われわれにとって耐え難い見にくさとは何か。

それは、醜さの抑圧の結果としての寛大さなのである。

自分の醜さを自分に隠した人の醜さは耐え難い。

自分には私利私欲がある。

そういう自分についての感じ方を抑圧し、無意識に追いやって、意識の上で自分は無欲であると思っている人間はやりきれない。

それなら際限もなくお金を儲けようとしている人間のほうがよほどつきあいやすい。

周囲への悪意を持っているが、その悪意を抑圧して、自分では善意の人と思っている人間を友人にするくらいなら、友人はいない方がよい。

そういう善意の仮面をつけた人は、友人のあらさがしに忙しい。真綿に針を包んだような人間はかなわない。

そういう善意の人より、あきらかに悪意を持っている人のほうが対処しやすい。

抑圧の人は依存心が強いから、善意をふりかざして、友人に絡んでいく。

干渉する。

しかも本人は自分に嘘をついているから親切のつもりで。

対人恐怖症、うつ病になる人の病前性格は皆立派である。

テレンバッハが言うようにまた「精神衛生講和」をものしている下田光造がいっているように、対人恐怖症、うつ病の病前性格はみな立派なのである。

もう一度繰り返せば、几帳面、勤勉、強い義務感、責任感、正義感、他人との摩擦を避けて他人に迷惑をかけまいとする、ごまかしができない、他者中心的性格・・・。

だが、この中で、どれひとつとっても本当のものはないのではなかろうか。

だからこそ、今までの生活の秩序が脅かされると発病してしまうのではなかろうか。

どれひとつとして内発性の意欲の高まりではないから、胃腸の調子が悪くなり、寝付けなくなり、疲労感が取れなくなり、便秘になり、物事に興味がもてなくなり、無気力になり、ついには朝起きてもカーテンを開ける気力もなくなってしまうのではないだろうか。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには周りの善意のふり、無欲のふりを見抜くことが一歩である。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著

 

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