イライラの原因として現実を受け入れられない

よく、イライラは「思い通りにならないときの感情」と言われています。

そして、イライラする人に対して、「何でも思い通りになる訳ではないのだから」などと教えさとして「そんなの言われなくてもわかっている!」とますますイライラさせる・・・などということも起こります。

誰だって、何でも思い通りにならないことくらいわかっている。

そんなこともわからない人間だと思われているのか、と思うとイライラする。

また、何でも思い通りにならないことくらいわかっているのに、それでもイライラしてしまう「思い通りにならない自分」にもイライラする・・・という構造があるでしょう。

そもそも、「何でも思い通りになるわけではないのだから」という言葉自体にネガティブな響きがありますね。

もう少し、建設的な見方をしてみましょう。

例:急いでいるときに限って人身事故などで電車が長時間ストップ

こんな状況では、最初に「人身事故でしばらく停車します」というアナウンスが入った時点で、「イラッとする」のは当然の反応でしょう。

電車は時間通りに動くのが「本来あるべき状態」だからです。

そして、それからも電車は停車を続けます。

自分は急いでいるのに身動きが取れず、イライライライラ・・・ということになります。

こんなとき頭の中にはどんな思考があるでしょうか。

「なんでこんなときに限って」「なんでもっと早く修復できないんだ」「なんでもう一本早く乗っておかなかったんだろう」「なんで最近の世相はこんななんだ」・・・と、その思考は基本的に「なんで?」だと思います。

「なんで?」に引っかかるとイライラしてしまう

「なんで?」は、現実を受け入れられないときの感じ方。

「なんで現実はこんななの?」ということだからです。

その根本にある思考は、「現実はこうあるべきではない」というもの。

イライラと「なんで?」は双子のような関係にあると言えますが、イライラとは、現実を受け入れられないときに感じる感情なのです。

「イラッとする」ことも、「本来あるべき状態」と違うことが起こったときの「なんで?」という反応だといえます。

急いでいるのに電車が長時間ストップ、というときには、多くの人の頭の中に「なんで?」という反応が起こるでしょう。

つまりイラッとするということです。

しかしそのあとの経過は人それぞれ。

「イライラし続けても電車が動くわけではないし」「今自分にできることは、携帯メールで必要な連絡だけして、あとは本でも読んでこの時間をつぶすことだな」などと考えることによって、イライラを手放している人もいます。

このような人たちは、「まあ、現実とはこんなもの」と受け入れているわけですが、それは「なんで?」に対して自ら出した答えだとも言えますし、「なんで?」という問いそのものを手放した、と見ることもできます。

いずれにしても、「なんで?」から自由になっているのです。

一方、いつまでも「なんで?」に引っかかっているとイライラが次々と生産されて止まらない・・・ということになってしまいます。

コンサート中に誰かの携帯が鳴ったときも、「なんで?」を抱え続けるとイライラが続きますが、「誰にも間違いはあるから」と「なんで?」に答えを出したり、「本人が誰よりも恥ずかしかっただろう」と「なんで?」をやめることでイライラを手放すことができるのです。

ポイント:「なんで?」が続くとイライラも続く。

現実をコントロールすることができればイライラを手放せる

現実は、ただ受け入れるだけの対象ではなく、主体的に関わっていくこともできます。

そこにも、イライラに関する一つのキーワードがあります。

例:おしゃべりしながら広がって道をふさぐ集団で出くわす。

「本来あるべき状態」とは、「道はスムーズに歩けるもの」「道を歩くときは周りの人に配慮するもの」というところでしょう。

それと違うことが起こっているのですから、その存在を発見したときはイラッとしても不思議はありません。

ただ、このような状況に直面したときに、「失礼しますよ」などと言って軽やかに抜かしてしまい、イライラしない人もいます。

「失礼しますよ」と言えば、相手は「すみません、気づかなくて」と謝ってくれることもあり、そんなときにはイライラどころか、温かいやりとりができて、「人間っていいな」という気持ちになる場合もありますね。

イライラするのは、そんなこともできずに、集団の後ろをただついて歩かなければならないようなケースだと思います。

つまり、イライラには、「現実をコントロールできない」という要素も含まれるのです。

これが「思い通りにならない」などと一般に言われる部分に近いのでしょう。

「本来あるべき状態」と現実が異なっているとき、自分が関わることでそれを是正することができれば、イライラどころか達成感を得ることもできるはず。

ですから、イライラするのは、現実が「本来あるべき状態」にないということによるだけでなく、それを自分でコントロールできない、というところにもポイントがあると言えます。

例:話し合いをしたいのに、相手が聞く耳ゼロのとき

こんな例は、まさにコントロールできない典型ですね。

人の話は一応聞いてみる、というのが「本来あるべき状態」なのですが、それすらやってくれないというのでは、全く歯が立たず、そんな現実をどうすることもできなければ、イライラしても当然でしょう。

「いちいち言わなくちゃならない」というイライラ

イライラは自分がコントロールできないときの感情、と言われると、「コントロールできないわけではない。言えば相手が態度を改めるのはわかっている。

でも、いちいち指摘しなければならないという現実に、イライラする。

言われなくても自分から気づくべきと思う人もいるでしょう。

これは一見、コントロール可能なのにイライラしているかのように見えますが、実は違います。

このとき頭にある「本来あるべき状態」とは、「いちいち言われなくても自分から気づいて態度を改める」「もともとそういう態度をとらない」といったもの。

ですから、「言えば変わる」ということだけでは、コントロールできない感覚は変わらないのです。

ポイント:イライラは、自分が「困っている」という意味

コントロールの仕方は、現実を変えることだけじゃない

「本来あるべき状態」ではないことが起こっていて、それをコントロールすることができないときにイライラを感じるわけですが、「コントロールの仕方」は様々です。

もちろん、先ほど挙げた例のように、道をふさぐ集団を抜かしていく、などという現実的なコントロールもあります。

しかし、コントロールというのは、何も、「起こっていることを実際に変える」という形をとるだけではありません。

例えば、コンサート会場で誰かの携帯が鳴った、というときに、頭の中で「一番恥ずかしいのは本人だろうなあ」と考えることも、一種のコントロールです。

起こったことを自分なりに考え、「まあ、許容範囲のこと」という位置づけにコントロールしていると言えるからです。

つまり、「コントロール」の本質は、相手を思い通りに動かすことそのものにあるわけではない、ということがわかります。

その本質は、「自分が主体的に関わること」。

起こっていることそのものを変えるにしろ、自分の頭の中の考え方を変えるにしろ、何かしら自分が主体的に関わって、自分にとってよい状況を作り出すことが、ここで言う「コントロール」の本質なのです。

こうやって見てくると、イライラの正体がわかってきます。

不満足な現実を与えられたとき、それに対して主体的に関わって自分にとってよい状況を作り出せない受動的な無力感と関係がある感情、ということです。

ポイント:コントロールの本質は自分が主体的に関わること。

「本来あるべき状態」は案外主観的なもの

「本来あるべき状態」というのは、必ずしも客観的な真実というわけではなく、多分に自分自身の事情を反映したものです。

例:回りくどい話をえんえんとされる

話の「回りくどさ」というのは、要は話し方のペースの違いだと言えます。

ある人にとってはてきぱきと話を進めるのが適したペースであっても、いろいろと回りくどい要素を加えながら話すペースが適しているという人もいます。

しかし、相手の話の回りくどさを「ペースの違い」として見る人はおそらく少数派で、「どうしてこの人はもっと要領よくはなせないのだろう」と、「本来あるべき状態(要領よく話す)」ができていない、と感じる人のほうが多いと思います。

つまり、「本来あるべき状態」というのは、かなり主観的なものだということなのです。

私たちは自分のペースを「本来あるべき状態」だと思って暮らしていることが多いですから、自分とペースが合わない人を見ると「なんであんなにのんびりしていられるの?」「なんであんなに急かすの?」と感じがちです。

これはまさに、「『ほんらいあるべき状態』と違うことが起こっている」と感じられている、ということ。

「自分はマイペース人間」という意識が徹底している人は、自分のペースが必ずしも万人にとって「本来あるべき状態」とは言えない、ということが自覚できています。

ですから、ペースの違う相手と一緒になっても、「なんで?」が出てこない(むしろ相手の方が一般的なのだろうと思える)ので、あまりイライラしないですむのです。

自分について知るということは大きな意味を持つのです。

「本来あるべき状態」と感じられるものが、実はかなり主観的なものだという理解は、イライラに取り組んでいく上でとても重要です。

もちろん法律などで決まっているものはそれなりに客観的な「本来あるべき状態」なのですが、これも人々の意見の総体として決められるもの。

つまり、主観の平均値と言うこともできるのです。

「やるべきこと」をやっていない人にはイライラ

「本来あるべき状態」が主観的なものだというのは、いろいろな領域について言えることです。

例:スポーツ解説で、「いいですね」「期待できます」としか言わない解説者

こんな解説者を見てイライラする人にとって、解説者の「本来あるべき状態」は、「素人には気づかない、プロならではのコメントをすること」となるでしょう。

その「本来あるべき状態」とは違うことが起こっていて、自分ではどうにもコントロールできない(映像で見るスポーツ解説者をコントロールすることなどできません)、ということになると、やはりイライラします。

同じ解説者を見ても、「まあスポーツ解説者とはそんなもの」と、もともとその期待値が低い人や、そもそも解説に関心がない人は、イライラすることもないでしょう。

ここでも、スポーツ解説者が「やるべきこと」の定義、つまり「本来あるべき状態」がかなり主観的であることがわかります。

人によって「本来あるべき状態」と感じる内容や、感じる強さが違うということなのです。

この「主観性」も、イライラ解決のカギにつながっていくものです。

ちなみに、映像で見る解説者を直接コントロールすることはできませんが、仲間内で「この解説者、いつもこればっかり」と大笑いすればイライラが吹き飛ぶということもあります。

こんなときには、「笑い飛ばす」という形で事態をコントロールしていると言えるでしょう。

無能な解説者による一方的な被害に遭っているのではなく、笑いの対象として主体的に題材にすることができているからです。

ポイント:「本来あるべき状態」と感じるものは人によって異なる。

マナーに関するイライラが多い理由

イライラする状況についてのアンケートなどを見ると、公共の場での他人の振る舞いについて、というものがかなり目につきます。

例:レジの支払いで、後ろが詰まっているのにのんびりしている人

こんなときにも、イライラする人は多いでしょう。

「レジの支払いで、後ろが詰まっているときには、それなりに配慮してきびきびと行動すべき」「人はもっと周りの状況に敏感でいるべき」などという「本来あるべき状態」と違うことが起こっているからです。

そして一般に、こういう場での他人の行動はコントロールの範囲外にありますので、「コントロールできない感」いっぱいになり、ただイライラし続けるだけ、ということにもなってしまいます。

マナーに関するイライラは自分に直接関係なくてもイライラする

レジの支払いのときなどは、直接自分にその被害が降りかかってくるのでわかりやすいでしょう。

しかし、マナー関連のイライラは、そうでない場合にも起こります。

例:エスカレーターの歩行者優先側に立って流れを遮る人

自分がエスカレーターの片側を急いで通りたいときに流れを遮られれば、まさに「イラッとする」状況ですし、すみません、急いでいるので失礼します」などと言ってその状況をコントロールできない場合は、イライラするでしょう。

しかし、別に自分は急いでおらずエスカレーターに立っているだけ、という場合でも、このような人を見るとイライラするときがあります。

これは、「そんな人が世の中に存在している」という事実が、「本来あるべき状態」とは違うために起こってくる、と言えるでしょう。

つまり、マナーとして当然守るべきことがらが守られていないと、自分に直接害が及ばない場合でも、イライラするのです。

マナーの「べき」が特にイライラを生む理由

実際に、マナー関連のイライラは多いものです。

例:電車内で座席を詰めない、足を広げる、化粧する、混雑した車内で座席に荷物を置いてどかさないなどのマナー違反をしている人

そもそもマナーとは、「本来あるべき状態」を作るために皆が多かれ少なかれ努力するというもの。

そこで問われるのは「結果」だけでなく、「どれだけマナーを大切にしているか」ということでもあるのです。

ですからマナーを守らないという姿勢そのものが「本来あるべき状態」からの逸脱になります。

マナーというのは、皆が協力し合って気持ちのよい生活空間を作ろうとしているしくみ。

ですから、「全員野球」でないと意味がないのです。

そう考えれば、それを乱そうとする人には、敏感に反応するのもおかしくありません。

また、マナーには「我慢」という要素がつきまとう人も多いはずです。

本当は違う振る舞いをしたいのに、マナーだから、と我慢しているのです。

自分が好きでやっている場合は、他人がやっていないからイライラするということはないと思いますが、自分が我慢してやっていることを他人がいとも簡単に蹂躙してしまうとイラッとしますし、「なんであんなことができるの?」「どういう神経をしているの?」「ああいう人がいるから世の中がおかしくなるのだ」などという思考が生産され続けるとイライラが止まらない、ということになります。

ポイント:マナーは、「全員野球」が基本。乱す人にはイライラがつのるもの。

※参考文献:すべての「イライラ」を根っこから絶ち切る本 水島広子著