人間は正しいことや善いことにばかり動かされるのではない。

人間には、悪いことや不道徳なことに惹かれ、突き動かされる一面もある。

この事実を無視して、理想の人間を期待したところで、裏切られるだけだ。

かつて、恋愛小説のロマンチストの男性主人公が、振られるときに浴びせられる決まり文句は、「私は、あなたが思っているようなきれいな人間ではありません」というものだった。

額面通りの意味は、清らかな理想像を自分に押し付けられても困るというものだが、もっと腹の底の本音は、「真面目なだけの、男性的な魅力に欠けた男になど、気色悪くて、抱かれる気がしない」という意味だ。

現実の女は、女と遊んだ経験もないような初な男よりも、何をしてくるかわからない危うさと、女の扱いを心得た経験豊富な手管を備えた男の方に惹かれる一面をもっている。

上手にその気にさせてと思い、それができる男に魅力を感じるのだ。

反社会性の能力は、もっと野蛮だった時代に、命がけで女を奪ったり、果し合いをしてライバルを倒したり、命の危険を顧みず、敵軍に切り込んだりする勇敢さの源であった。

体制が定まった平和な時代には、「反社会性」という”汚名”を着せられてしまうが、力と勇気だけが頼りの、動乱と革命の時代には、生き延びるためにもっとも求められる能力なのである。

長い進化の歴史において、反社会性のパワーは、生き延びることに役立ってきたから、いまもその特性は受け継がれている。

反社会性のパワーは、生き延びることに役立ってきたから、いまもその特性は受け継がれている。

反社会性のパワーを備えた者に惹かれてしまうのも、それが子孫を残すことに有利な特性であることを、遺伝子に刻まれた本能が知っているからだ。

それゆえ、反社会性の魅力をうまくアピールすることが、人々を振り向かせ、賞賛の念をいだかせるのには必要なのである。

既存の価値観を侮辱し破壊する

では、反社会的な魅力をどのように醸し出せばいいのか。

反社会的な魅力とは、ただ暴力的だったり、違法なことをしたりすることにばかりあるのではない。

その魅力の本質は、社会の規範や常識的な価値観に逆らうということにある。

主流となっている価値観に、ただ従うというのでは、その魅力は生まれないのである。

人々の中には、慣れ親しんだ既存の価値観や体制に安住しておきたいという思いとともに、既存の世界を、その価値観とともに破壊してやりたいという願望が潜んでいる。

日々の不満が鬱積しているほど、また、若いエネルギーが充満しているほど、破壊的な願望は強く、天地がひっくり返るような出来事を望むものだ。

日本のように高齢化し、若いエネルギーが乏しくなった国では、さすがに体制をひっくり返すような大変動を求める気力もないだろうが、それでも、権力者が失墜したり、著名人がスキャンダルにまみれて、バッシングを受け、笑い者になることに気晴らしを求める。

小規模とはいえ、それは小さな下克上であり、王座の転覆劇であり、既存の価値が破壊されることに、人々は喝采を送るのである。

前衛芸術や新しい思想といったものは、既存の価値を侮蔑し、破壊することで、人々を熱狂させ、一つのムーブメントを作り出した。

そのムーブメントが成功するためには、より激しく、既存の価値や常識を攻撃し、徹底的に破壊する姿勢が必要なのだ。

新しい才能が登場するとき、それが強烈で新鮮なインパクトを持つためには、既存のスタイルや美意識を打ち破ったものでなければならない。

いくら才能を備えていても、真の才能として認められるためには、破壊的な新しさが必要になる。

どんなに成功したものでも、何十年も同じことを繰り返すのでは、真の創造ではなく、単なる経済活動になってしまう。

ピカソがなぜ人々を熱狂させ続け、偉大な芸術家であり続けられたかという理由の一つは、彼が自らのスタイルを破壊し続けたということにある。

並みの人間は、自分の成功体験に縛られて、それを超えられなくなっていく。

ピカソの中に備わった、危険なまでの反社会性が、一つの規範に安住することを許さなかったのである。

デマゴーグたちの常套手段

民主主義においては、大衆を煽り、世論を動かすことが、政治家として成功するかどうかを左右する。

民衆政治家であるデマゴーグが、大衆の心をつかみ、思い通りに操る上で、しばしば用いてきた常套手段も、既存の集団や利権団体に標的を定め、そこに憎しみと攻撃の集中砲火を浴びせることである。

そうした才能をいかんなく発揮した政治家の一人が、小泉純一郎元首相であろう。

自らが自民党の代議士でありながら、「自民党をぶっ壊す」といったスローガンをかかげ、郵政選挙に大勝するといった手法は、織田信長の桶狭間の戦いにも通じる、天才を感じる。

常識では考えられない発想に見えるが、多くの人がとらわれている既存の価値や常識を破壊しようとするとき、もっとも強い熱狂と喝采を呼び起こすことができるという原理からすると、その原理に忠実に従ったものだとも言える。

ただ、常識的な人は、常識の呪縛のために、その原理を使いこなせない。

常識の延長でしかない、退屈なことしか言えない。

人が何に喝采するかを見通せるだけでなく、その人の中に、既存の価値と戦うことを辞さない、破壊的なエネルギーが備わっていないと、多くの人を動かす熱を生み出すことはできない。

演技的なマキャベリ的な能力だけでなく、反社会性と根元を一にする破壊的なパワーが必要なのである。

小泉純一郎氏が、どのようにしてその”天才”を育んだのかということは、精神医学的にも興味深い点である。

自らを「変人」といい、社交よりも、部屋にこもってクラシックやオペラを鑑賞することに喜びを見いだす、孤独を好む面と、人々の意表をつく発言やパフォーマンスで、大衆の人気をほしいままにする面とが、併存している。

三人の姉の下に長男として生まれた純一郎氏は、跡取りとして大切に育てられる一方で、姉たちの支配を受けざるを得なかっただろう。

高校生頃までの純一郎氏は、おとなしく、内気で、目立たない存在だったというのが、大方の印象であるようだ。

祖父、父と二代続く政治家の家で育ったが、彼は政治家の家に生まれたことを、あまり喜んでいなかったという。

支援者がひっきりなしに、生活の場にも入り込んでくることが、自分の世界を大切にしたい純一郎氏からすると、嫌だったのかもしれない。

高校時代の親友には、政治家ではなく、英語が得意なことを生かして、外交官になりたいという希望を語っていたという。

そんな目立たない彼が、一度周囲をあっと言わせたことがあった。

それは、中学二年の時のこと、遠足に出かけたバスの中で、彼はプレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」を英語で熱唱したのだ。

意外な才能に驚いたクラスメートたちから、大喝采を受けたという。

こうした体験は、意外にその人の人生を変えたりするものだ。

オバマ元大統領が、政治を志すきっかけとなったのは、あるとき、大学の集会でスピーチをしたところ、大喝采を受けたことからだったと、自伝で回想している。

それまで自信があまりなく、話し下手だと思っていたのが、その経験を境として、がらっと変わることになったのだ。

周囲から見れば、ありふれたことであっても、小さな成功体験がその人を変えるということは、よくあるのだ。

純一郎氏の中に眠っていたもうひとつの能力が本格的に発揮されるのは、二浪して慶應大学に入ってからである。

外交官を目指していた彼は、当然東大に入りたかったのだが、それはうまくいかず、慶応大学に落ち着いた。

浪人生活の鬱屈をはらうかのように、ダンスホールで踊りまくり、「結城純一郎」という変名で、かなり知られた存在だったという。

そして慶應横須賀学生会の会長を務め、OLや女子学生を集めてダンスパーティを催し、パーティ券を売りさばくなど、政治的手腕の片鱗を発揮し始めたのである。

時には羽目を外すこともあったのだろう。

武勇伝がたたってか、横須賀に居づらくなり、ロンドンに所払いになったという、まことしやかな噂もあり、首相になってから、国会で追及される騒ぎになったこともあった。

そうした危なっかしい一面は、常識的な見方からすると、「あのクリーンな小泉さんが、そんなやんちゃをしてたの」と受け取られるかもしれないが、そうした一面があるからこそ、人々の心をわしづかみにし、熱狂させる博打も打てるのだ。

ちなみに、純一郎氏は、花札も麻雀もうまく、博打好きだったとも言われる。

その腕前は、その膝によく座っていた祖父直伝だったとか。

祖父の又次郎氏もまたユニークな政治家で、背中に入れ墨が入っていたことでも知られる。

常識を破壊する能力の源泉は、祖父に由来するものだったのかもしれない。

純一郎氏が政治の道に足を踏み入れざるを得なくなったのは、ロンドン留学中に父親が急死したことによる。

急遽帰国して、弔い合戦で立候補したが、このときは落選している。

その三年後、二度目の挑戦で、初当選を果たす。

政治家としてというよりも、一人の男性として、純一郎氏の人生を理解するうえで、鍵を握るとも言える大きな出来事は、前妻との離婚である。

妻となる女性と、純一郎氏が出会ったのは、彼が三十六歳のときで、女性は二十一歳の学生だった。

製薬会社の会長の孫娘で、テニスやゴルフの得意な活発なその女性に、純一郎氏は一目惚れしたという。

見合いの翌日にはデート。

その夜には、女性の家に結婚の挨拶に行ったというから、よほど意気投合したのに違いない。

純一郎らしい即断と行動力だ。

子宝にも恵まれたが、次第に夫婦の関係は行き詰っていく。

スタートから、財界の大物である女性の祖父が結婚に反対し、順風満帆とは言えなかった。

俗説では、純一郎氏の姉たちの干渉や嫌がらせがきつく、それに耐えられなかったのではないかとも言われている。

離婚のケースを数多く見てきた専門家の経験から言えば、純一郎氏が、妻の気持ちを受け止めたり、姉たちとの確執があったりという面倒な問題に、きちんと向き合おうとしなかったのではないのかとも思ってしまう。

そこには、純一郎氏の孤独を好む回避的な側面が影響したかもしれないし、姉たちには頭が上がらず、妻の側に立つということができなかったということも推測される。

逆に言えば、その裏返しとして、外では主体的に行動し、リーダーシップを発揮する自分を演じていたとも言える。

パフォーマンスで大衆のハートをつかむことと、妻や姉という、手のうちを何もかも知られた相手と、うまくやっていくということは別なのであろう。

純一郎氏の場合は、距離の遠い関係を得意とした。

演説者と聴衆といった距離の遠い関係であれば、パフォーマンスできるスペースが確保されるが、親族との関係となると、そのスペースはない。

至近距離で顔をつきあわせてのかかわりとなると、面倒に感じてしまい、他人事のような態度をとってしまうのかもしれない。

結局、妻は三人目の子どもを身ごもったまま、実家に帰るという最悪の事態を迎えることとなった。

純一郎氏は、離婚となったとき、姉にこう語ったと伝えられている。

「去る者は追わず、来る者は拒まず、だ」と。

苦渋の決断の末の言葉だったのかもしれない。

一般大衆や観衆に親密な気持ちを抱かせることと、実際に親密な関係を築くことは、別の能力のなせる技なのである。

そして、演技性の能力とは、前者である。

それゆえ、演技性の能力に長けた人と出会うと、初対面がもっとも魅力的に見える。

そして、会えば会うほど、身近で一緒に暮らすにつれて、その魅力は薄れ、逆にオーバーアクションなところや真実みのなさばかりが気になるようになり、すべてが嘘っぽく、本当の心というものが感じられなくなっていくということも起きやすい。

純一郎氏の場合はどうだったかはわからないが、ただ、言えることは、そうした側面があったとしても、それは、政治家として成功するうえで、必要な要素だったということだ。

ただの誠実な善人では、政治家はおろか、この社会で成功を収めることは難しいのである。

※参考文献:対人距離がわからない―どうしてあの人はうまくいくのか― 岡田尊司著