発達特性と対人距離の関係

近年、発達障害という言葉が一般にもよく知られるようになったが、発達障害は神経系の発達の偏りや遅れのため、生活に困難をきたした状態である。

ただ、障害というほどではなくても、軽度の偏りを抱えている人は、相当な割合に上ると考えられる。

ほとんど全員が、なんらかの偏りを抱えていると言っても過言ではないほどだ。

それは、デメリットであるというよりも、むしろメリットとして働いてることも多い。

人はそれぞれ個性や特性の違いをもつ。

何らかの凹凸があるからこそ、世の中はうまく補い合えるのである。

ただ、偏りに対して自覚がないと、真っ直ぐ運転しているつもりでも、知らず知らず曲ってしまい、同じ失敗を繰り返すというようなことになる。

生きづらさや相手と何か違うなとか、やりにくいなと感じるとき、しばしばそこに関係しているのは、発達特性の違いである。

発達特性とは、その人が生まれて成長する過程で育んできた特性であり、ベースにある能力だともいえる。

一人で遊ぶのを好み、自分の頭の中で想像を広げるのが得意な人もいれば、友達と遊ぶのを好み、かかわりの中で楽しみをもつことに生きがいを感じる人もいる。

子どものころ、どういう科目が得意かにも、その人の発達特性が反映されている。

たとえば、国語が好きだけど、算数の図形の問題が苦手だった人は、言語・聴覚的な能力の方が、視覚・空間的な能力よりも勝っているだろう。

いわゆる5教科と呼ばれるお勉強科目が好きだった人と、体育や図工といった実技科目が好きだった人でも、特性の違いがある。

後者は、動作性の能力が、言語性の能力よりも勝っているタイプである。

一口に知能といっても、さまざまな要素があり、七種類ぐらいの知能があるとする学者もいる。

知能にも種類があるのだ。

ただ、対人関係や社会適応を考える場合、そこまで細かく論じてもあまり意味がない。

社会適応にもかかわる特性を知るうえで、一般的なのは、言語性と動作性にわけて知能を理解する理論である。

言語性知能とは、言語を介して物事を理解したり、記憶したり、説明したりする能力である。

言語には数字も含まれる。

一方、動作性知能とは、目や手を使って、視覚情報から理解、判断したり、作業的な課題を行ったりする能力である。

両方がほぼ同じ人もいれば、どちらかが高く、どちらかが低い人もいる。

癖がある人というのは、たいていどちらか一方が飛び出ていて、もう一方が凹んでいることが多い。

言語性知能ばかりが、突出して優位な人と、動作性知能の方が優れている人では、単に知的能力だけでなく、行動パターンや対人関係の持ち方も違ってくる。

この人は、言語性優位な人か、動作性優位な人かを念頭におくだけでも、間違った対応を減らすことができる。

では、言語性優位な人と、動作性優位な人では、どういう行動パターンの違いがみられるのだろうか。

言語性優位と動作性優位

言語性優位な人は、言葉だけで物事を考えようとする。

理屈で納得できないと、行動にも移しにくい。

つまり理性的である。

ただ、頭でっかちになり、肝心な行動が伴わないという傾向もみられやすい。

このタイプの人との対人関係においては、言葉で理解し合うことがとても大切である。

このタイプは、筋が通っていないことや理に反することには躊躇を感じ、たとえ無理をして行ったとしても、強いストレスを感じてしまう。

したがって、対人距離を縮めるのにも慎重である。

ちゃんとした目的や理由がないと、相手に接近するということも、行動に移しにくい。

したがって、このタイプの人にアプローチする場合には、接近する理由や大義名分を明確にし、相手が納得することがとても重要になる。

ただ何となく近づいて、親しそうに声をかけたり、いきなり贈り物をしたりというのでは、怪しまれるばかりだ。

そうした理に合わないことをする人を、言語性優位な人は、「非常識な人」とみなしてしまいやすい。

ときにはそうした意表をついたアプローチが、意外性や非日常性を生み、新鮮な驚きにつながる場合もあるが、よほどうまく演出しないと、眉をひそめられて、おしまいということになってしまう。

それに対して、動作性優位な人は、言葉で考えて行動するということをしない。

まず行動ありきなのである。

したがって、目的や理由がはっきりしなくても、そのときの気分や思いつきで、行動を始める。

対人関係においても、その傾向がみられ、相手に受け入れられる理由や大義名分など関係なしに、電話をかけてきたり誘ってきたりする。

ちょっと困るなと相手は思いつつも、意表をつかれて応じてしまうこともある。

言語性知能も動作性知能も、うまく社会生活を送るためには、どちらも必要なのであるが、良好な社会適応には、どちらがより重要なのだろうか。

ここで、心理検査や質問紙検査の数百に上る項目と、本人がどれくらいうまく社会適応できていると感じているかとの関係が強いものから順に並べたものを紹介します。

もっとも相関が強かったのは、安定型愛着で、相関係数は0.52であった。

動作性知能指数である動作性IQは4番目で、0.35、一方、言語性IQは0.24であった。

つまり、動作性IQの方が、社会適応がうまくいっていることと、強い結びつきを示したのである。

動作性IQが高い人は、物事をてきぱきとこなしたり、状況を素早く読み取ったりする能力が優れているので、こうしたことが社会でうまくやっていくうえでは、より役に立つのだろう。

つまり、慎重に理屈で考えて行動することもある程度大事だが、行動することはより大切だと言えるのかもしれない。

処理速度と対人特性

近年では、言語性と動作性の二つの軸でみるのではなく、さらに、もう少し細かく四つの能力に分けて、四軸でその人の発達特性をみることが一般的になっている。

四つの能力とは、「言語理解」「知覚統合」「作動記憶(ワーキングメモリー)」、「処理速度」で、IQと同じように標準化された指数(平均が100,標準偏差が15)として表される。

社会適応との正の相関が二番目に強い「処理速度」も、その一つである。

処理速度は、比較的単純な作業を、素早く正確に遂行する能力である。

それほど難しいことをすることよりも、単純な繰り返しを、どれだけスピーディーに正確にこなせるかが、社会適応のしやすさを大いに左右していたのである。

処理速度と社会適応の相関は、0.50であった。

実際、こうしたことは、現実のケースでもよく経験することである。

ある印象的な二つのケースでいえば、一人の男性は、IQが120ほどで、言語性IQと動作性IQもほぼ同じくらいであった。

もう一人の男性は、IQが130を超え、言語性IQは140、低い方の動作性IQでも120代であった。

ところが、二人の現状は、大きく異なっていた。

前者は、現役の内科医で、専門医として活躍していた。

一方、後者は、ゲーム依存になり、二十年近く引きこもりの生活をしていた。

知能だけを見れば、明らかに後者の方が優れていると言える。

ただ、一つだけ大きく違う指数があった。

それが処理速度である。

前者の男性は、処理速度が120を上回っているのに対して、後者の男性は、100をわずかに下回っていたのである。

ほかの能力は非常に高いのに、処理速度だけ平均レベルしかなかったのである。

それでも、平均レベルにはあるのだが、発達特性では、その人の中でのバランスが、数値の大きさに劣らず重要とされる。

この人にとっては、処理速度だけが他と比較して低かったため、ほかの能力をうまく活かせず、学業や仕事での思わぬ失敗にもつながり、自信喪失から引きこもりに陥ったものと推測される。

処理速度といったベーシックな能力が、意外に社会適応や行動パターン、さらにはパーソナリティといったその人のトータルな特性に影響しているのである。

各パーソナリティのスコアと、処理速度の相関がどれくらいあるかを示したものがある。

もっとも処理速度との相関が強かったのは、強迫性パーソナリティである。

強迫性パーソナリティは、真面目で、責任感の強い努力家で、「ねばならない」という義務感で動くタイプである。

職場においては、もっとも頼りになる、優れた実務家であることが多いが、優れた処理速度に裏打ちされたものだと言える。

逆に、もっとも強い負の相関をみせたのが、自己愛性パーソナリティである。

自己愛性の人は押しの強い自信家で、誇大な理想や願望を抱き、自分を特別な人間と空想する傾向がある。

ただ、この結果から見る限り、実務面では弱点を抱え、足元の弱さがみられるということになろう。

頭でっかちで、口ばかりになってしまわないように、気をつけた方がよさそうだ。

知覚統合と対人特性

四つの指数の中で、社会適応との相関が次に強いのが、知覚統合であった。

知覚統合とは視覚情報から意味を読み取ったり、再構成したり、予測したりする能力である。

言語化されていない絵や図を用いて、さまざまな課題を行うことで測定される。

知覚統合は、蓄積された知識や言語的な操作の能力ではなく、イメージを操作したり、イメージで考えたりする能力であり、理数的な能力や設計的な能力とも関係が深い。

つまり、理工系の人では必須の能力と言える。

高度な数学や物理を理解したり、図面から製品を思い浮かべたりするためには不可欠である。

また、絵を描くうまさには関係しないが、アニメの場面を構成したり、ストーリーを考えたりすることには関係してくる。

相手の動きや状況の変化を予測しながら作戦を考えるといった戦略的思考にも必要である。

知覚統合が、言語を操る能力である言語理解よりも、社会適応に関係しているのは、この能力が、情に流されず、状況を客観的に見る能力とかかわりが深いからだろう。

社会でうまくやっていくためには、どれだけ巧みに言葉が操られるかとか、理屈を組み立てられるかということ以上に、状況の意味を冷静に読み取る状況判断力が求められると考えられる。

四つの指数の中で、幸福度と、もっとも強い結びつきを示したのも、知覚統合であった。

パーソナリティ傾向と知覚統合の相関の強さをみたものがある。

驚いたことに、知覚統合ともっとも相関が強かったのは、自己愛性パーソナリティの傾向であった。

自己愛性の人は、打算的に他人を利用する傾向があるとされるが、高い知覚統合によって状況を、情に流されず、冷徹に分析する能力を備えているからこそ、戦略的に、ずる賢く立ち回れるのかもしれない。

一方、知覚統合ともっとも強い負の相関を示したのは、シゾイドパーソナリティであった。

世知に疎く、世捨て人のような生き方を好むシゾイドパーソナリティの人は、状況を判断することに、そもそも関心がないため、うまく立ち回ることができないのかもしれない。

言語理解と対人特性

言語理解は、言葉の意味を理解したり、知識を獲得したり、言葉で説明したりする言語的な能力である。

言語理解が高い人は、抽象的な理屈で考えたりすることも得意であり、

概して理詰めで考え、理屈っぽい傾向がある。

言葉で理解し、納得するということが重要になる。

言語理解との相関が強いパーソナリティのタイプには、強迫性、自己愛性、境界性、妄想性などがあり、これらのタイプでは、言葉で理解し納得することが、ある程度重視されることになる。

一方、言語理解との負の相関が強いADHDや演技性、反社会性などのタイプは、言葉の理屈よりも、行動を重視すると言える。

言語性優位か動作性優位かの違いは、言語理解が優位か劣位かという違いにほぼ相当する。

作動記憶と対人特性

作動記憶は、耳で聴きとった音声や言葉を短時間の間、記憶にとどめておくメモ的な記憶の能力である。

作動記憶が優れていることは、聞き取りに強くなるための必要条件である。

また、少し込み入った思考を頭の中で行う場合にも、難しい話を理解しながら聞くためにも、作動記憶が必要である。

作動記憶が低いと、講義形式の学習においては、非常に不利になる。

作動記憶が優れているのは、強迫性や自己愛性のタイプで逆にASDやADHDは、概して低い傾向がある。

作動記憶は、聴覚的な情報処理の良い指標でもあり、この能力の高い人は講義形式の授業が向いているし、低い人は、本を読んで独学する方が、能率が良いことが多い。

作動記憶が低いと、会話において、聞き返しが多くなったり、内容が聞き取れなかったりして、スムーズなコミュニケーションが妨げられやすい。

対人関係をそつなくやっていくためにも、作動記憶は重要なのである。

作動記憶が弱い人は、表にたたず、裏方に回るのが無難であろう。

※参考文献:対人距離がわからない―どうしてあの人はうまくいくのか― 岡田尊司著