回避型愛着スタイルの人の傾向は、たとえば、親子以外の人間関係にもあらわれる。

回避型愛着スタイルの人は親しくつきあっていた友達でも、顔を合わさなくなれば、すぐに縁遠くなり、交友も途絶えてしまう。

回避型愛着スタイルの人は学校や職場で、親しく口を利く仲でも、あくまでその場だけの関係で、プライベートな時間を犠牲にしてまで関わりをもとうとはしない。

回避型愛着スタイルの人は距離の近い親密な関係には、安らぎよりも苦痛を感じてしまう。

回避型愛着スタイルの人は肌がふれあうような密着した関係やスキンシップには、心地よさよりも不快さを感じる。

だから回避型愛着スタイルの人はセックスにも煩わしさを感じる面がある。

回避型愛着スタイルの人はこのように、愛着の強さ、希薄さというものは、人との距離感に、違いがはっきりとあらわれる。

それは、子どもにとって一番近い存在であるはずの母親との距離にも当てはまる。

子どもの愛着を調べる検査で一般的なものは、母親が子どもから離れたときと、再会したときの反応をみるという方法で行われる。

愛着が安定している子どもは、母親と離れることに不安を感じるが、過剰というほどではなく、母親が戻ってくると再会を喜ぶ。

ところが、両価型(不安型)と呼ばれるタイプの子どもは、母親と離れることに過剰な不安を示すだけでなく、再会しても、母親のことを素直に受け入れられず、怒りや抵抗を示す。

一方、回避型愛着スタイルの子どもは、母親がいなくなったことにも、戻ってきたことにも無関心である。

回避型愛着スタイルの人は大人の場合でも、こうした特性の違いをみることができる。

恋人や家族と離ればなれになったとき、ひんぱんにメールや電話をよこし、メールの返事が遅かったり、相手がすぐに電話に出ないと不機嫌になったりする人は、不安型愛着スタイルの特徴を示していると思われる。

方や、出て行ったきり、メールも電話もめったによこさないというタイプは、回避型愛着スタイルの傾向が強いと言えるだろう。

回避型愛着スタイルの人は、不安型愛着スタイルの人とは反対に、いったん離ればなれになると、相手のことは心から絞め出してしまう。

回避型愛着スタイルの人は「去る者日々に疎し」なのである。

だから回避型愛着スタイルの人は本来、非常に強い愛着の絆で結ばれているはずの親子関係においてさえも、どこか淡々としている。

回避型愛着スタイルの人は両親と何年も顔を合わさなくても淋しさを感じない。

回避型愛着スタイルの人は思い出すこともあまりなく、そもそも懐かしいという感情を抱くことが少ない。

懐かしさとは、愛着があればこその感情だからである。

また、回避型愛着スタイルの人は子ども時代や昔のことを、あまり覚えていなかったり、特に、つらい体験については、思い出さないという傾向もみられる。

回避型愛着スタイルの人は亡くなった人についても、速やかに忘れてしまえる。

回避型愛着スタイルの人は死別に際して、冷静で、あまり悲しみの感情を覚えない。

回避型愛着スタイルの人はそうすることで、自分を守っているのである。

人に甘えられない―回避型愛着スタイル

回避型愛着スタイルの人は、人に頼ったり、人に助けを求めたりということがない。

回避型愛着スタイルの人は他人は当てにできないものという観念が強いからである。

回避型愛着スタイルの人は下手に弱みをみせれば非難されたり、余計ひどい目に合わされるという不信感もある。

だから、回避型愛着スタイルの人は問題やトラブルが起きても、自分の力だけで解決しようとすることになりがちだ。

回避型愛着スタイルの人は人に相談したり、解決を手助けしてもらったりということが苦手なのである。

その結果、回避型愛着スタイルの人は孤立無援の中で、一人奮闘するということになる。

しかし、どんなに高い能力をもっていたとしても、個人の力は知れたものである。

回避型愛着スタイルの人は限界を超えるようなストレスがかかったり、解決困難な問題に出くわすと、追い詰められ消耗することとなる。

回避型愛着スタイルの人はもう無理だというところまで耐え続け、突然、心が折れてしまうということにもなりやすい。

回避型愛着スタイルの人はそんなときでも、自分の苦しい気持ちを他の人に訴えることはせず、ただ逃げ出すことで自分を守ろうとするのである。

回避型愛着スタイルの人はどうにか耐えることができているときは、問題など何もないかのように、涼しい顔をしている。

そのため周囲も異変に気付かない。

しかし、回避型愛着スタイルの人は心よりも体の方が先に悲鳴を上げ、頭痛や腹痛、下痢、吐き気、動機、めまいといった身体症状になってあらわれることも多い。

安定型の人が、同じく困った状況やストレスを感じる状況におかれたときには、人との関わりや接触を求めようとする。

人のぬくもりに安心や癒やしを求めようとするのである。

しかし、回避型愛着スタイル、特にネグレクトを受けたタイプの人は、逆に一人になろうとする。

回避型愛着スタイルの人は人の助けさえも、煩わしいものとなってしまうのだ。

昨今増えている回避型愛着スタイルには、子どもの頃に親から強い支配を受けたタイプがあり、このタイプの人は、人に甘えられない面と、親や配偶者に過度に依存してしまう面を併せ持つ。

それゆえ回避型愛着スタイルの人は親離れや自立にも困難を抱えやすい。

これに関連して、先のハーロウは興味深い実験をしている。

仔ザルを他の集団から隔離し、母ザルとだけいっしょにして、その成長を観察した。

すると、その仔ザルは、成長した後、集団に適応することができなかったのである。

この実験結果は、母親の重要性を割り引くものというよりも、母親には、安全基地となることで、子どもが外界への冒険や他者との交わりを安心して行えるよう支える役割があるということを意味している。

それは、まさに安全基地というものの本来の働きである。

人と寛げず、自己開示が苦手な回避型愛着スタイル

回避型愛着スタイルの情緒的な面を抑える傾向は、強みになることもある。

回避型愛着スタイルの人は悲しい場面やつらい場面に遭遇しても、冷静でクールに対処できる。

だから、回避型愛着スタイルの人は仕事や趣味にも集中できる。

実際、回避型愛着スタイルの人は、情緒的な問題がからまないことの方に力を発揮しやすいのである。

こうした、回避型愛着スタイルの特性は、また別の特性にも結び付く。

それは、人といっしょにいることに安らぎや楽しさを味わいにくいということである。

ネグレクトされたタイプの回避型愛着スタイルも、過剰な支配を受けたタイプの回避型愛着スタイルも、同じである。

ネグレクトされた回避型愛着スタイルの人は、人間関係を楽しむ回路が育っていない。

過剰な支配を受けた回避型愛着スタイルの人は、また非難されたり、無理な要求をされるのではないかと身構える習慣がついているので、他人といると緊張したり、気づまりを感じてしまう。

こうした、気楽に人との交わりを楽しめない特性は、自己開示や感情表現が苦手という回避型愛着スタイルのもう一つの特性とも密接に関係している。

親にありのままに受け止められてきた人は、自分の感情や意思を自然に表現することができるが、親に無視されたり、否定されたり、親の意思を押し付けられて育った回避型愛着スタイルの人は、自己開示にブレーキをかけてしまう癖がついている。

回避型愛着スタイルの人は自分を表現しようとすると、無意識のうちに抑圧がかかり、極度に緊張したり、言葉が出てこなくなったり、頭が空っぽになったように感じてしまうのである。

回避型愛着スタイルの人はそれにより自己表現の機会を避け続ければ、ますます自分の気持ちや意思を言葉にすることが難しくなる。

カウンセリングなどの場面で、回避型愛着スタイルの人に、過去のつらい体験について訊ねても、思い出すのに時間がかかる。

回避型愛着スタイルの人は思い出すのを避けようとすることもしばしばだ。

回避型愛着スタイルの人は最初の段階では、「何も問題はない」という反応が返ってくることも多い。

しかし回避型愛着スタイルの人は、回を重ねて話をするうちに、つらかった体験を思い出し、向き合うのを避けるために問題にフタをしていたことに気づく。

ある二十代の回避型愛着スタイルの青年は、「親密な対人関係がうまく築けない」「対人関係が長続きしない」という問題に悩んで、相談にやってきた。

回避型愛着スタイルの青年は、誰に対しても心を開くことができず、親友と呼べるような同性の友人は一人もいなかった。

回避型愛着スタイルの彼は誰かにいつもそばにいてもらわないと不安で、その役割を恋人に求めていた。

恋人といっても、その女性に心から惹かれているとか、信頼しているとか、継続的な関係をもちたいというわけではなく、ただ、いっしょにいてくれる存在として必要としているだけだった。

その一方で、いずれ恋人が自分から去っていくのではないかという不安にも絶えず苛まれていた。

回避型愛着スタイルの青年は、そうした不安定な対人関係しかもてないことを、自分の問題だと考えていた。

両親は彼が幼いころに離婚し、彼は母親と義父に育てられた。

回避型愛着スタイルの彼に両親との関係について訊ねると、彼は「何も問題はない」「良好だ」と答え、両親が何の口出しもせず、自分のしたいようにさせてくれ、経済的な援助を与えてくれていることに感謝の気持ちを述べた。

だが、その後、親との間に起きたエピソードをぽつぽつと語る中で、母親は、彼の気持ちを汲み取るというよりも、自分の都合や期待を彼に押し付け、彼はそれに応えようと、いつも母親に合わせてきたことに気づくようになる。

そんな支配的で、共感的な愛情に乏しい母親は、彼にとって「安全基地」となるはずもなかった。

一方、義父の方は、母親の陰に隠れるようにして、彼に直接関わることを避けていた。

結局、真の情緒的な交流など、母親とも父親ともまったくなかったのである。

こうして成長した回避型愛着スタイルの彼は、回避的かつ不安の強い、恐れ・回避型の愛着スタイルを抱えることとなった。

心から愛しているわけでもない女性との不安定な関係に、支えを求めるしかなかったのだ。

回避型愛着スタイルの人は、「気持ちをはっきり表しなさい」とか、「自分が感じたことを話してください」と言われると、とたんに言葉を失ってしまう。

回避型愛着スタイルの人はもっともらしい理屈を並べはしても、本当の気持ちが抜け落ちていたりする。

回避型愛着スタイルの人は仕事の上であれば、それで通用するが、誰かと親密な間柄になると、相手は気持ちを共有することができないと感じ、関係が深まりにくい。

回避型愛着スタイルの人は自分の気持ちや感じていることを口にしないので、打ち解けることができないのである。

回避型愛着スタイルの人は、話しをふられるととっさに反応できず、肝心なところで沈黙してしまうことも多い。

回避型愛着スタイルの人はふだんから、感情によって言葉が出てくるのではなく、頭で考えて言葉にしているからである。

自分の気持ちではなく、相手の意図から逆算し、それに対して適切と思われる表現を選んで、言葉を組み立てるという作業を行えば、時間がかかるのは当然である。

回避型愛着スタイルの人のそうした反応に対し、周囲はもどかしく思ったり、無愛想だと思ったりする。

ときには、無視されたと誤解されることもある。

回避型愛着スタイルの人は責任や縛られるのがイヤ

回避型愛着スタイルの人は親密な関係を避けるということは、縛られるのを嫌うということでもある。

回避型愛着スタイルの人は逃れられないしがらみや重い責任がかかることに、息苦しさやプレッシャーを感じ、いつでも逃げ出せるような状況の方が安心なのである。

ネグレクトされて育った回避型愛着スタイルの人は、特にその傾向が強い。

回避型愛着スタイルの人は野良犬が、人に飼われ、犬小屋で暮らせと言われても、それを窮屈に感じるのと同じで、ふとまたさまよい出たくなるのである。

就職や昇進、結婚や子どもの誕生といった慶事も、この回避型愛着スタイルの人にとっては、自由を奪う頸木にすぎない。

回避型愛着スタイルの人は社会的なしきたりや世間的な価値観に合わせて暮らしてはいても、心の奥では無理が生じている。

回避型愛着スタイルの人は生き埋めにされているような息苦しさを感じているのである。

過剰に支配されて育った回避型愛着スタイルの人は、また別の意味で、責任や負担が増えることに抵抗感を覚える。

このタイプの人にとって人生は、鞭をふるわれ、駆け続けてきた馬車馬のそれのようなものである。

回避型愛着スタイルの人は子ども時代が終わるころには、やらされることに飽き飽きしている。

回避型愛着スタイルの人は自分で何かしようとしても、失敗すれば責められるだけなので、余計なことはしないという行動パターンが定着している。

だから、回避型愛着スタイルの人は新しくチャレンジすることに対して臆病になりがちである。

回避型愛着スタイルの人は一見”ふつう”に暮らしていても

以上述べてきたのが、回避型愛着スタイルの人に共通してみられやすい特徴である。

もちろん、その人の人となりを形成するのは、愛着スタイル以外の要素もあるので、同じ回避型愛着スタイルでも幅がある。

遺伝子タイプと生育環境といった環境要因との相互作用のなかで、愛着スタイルにはさまざまな修飾がなされ、それぞれのパーソナリティとして分化していく。

だから、一口に回避型愛着スタイルといっても、さまざまなパーソナリティの傾向を示すことになる。

逆に、同じパーソナリティの傾向をもっていても、根底にある愛着スタイルによって、その特性や社会適用のしやすさが、かなり違ってくる。

また、回避のレベルも、さまざまである。

回避型愛着スタイルの人は親密な関係を求めないといっても、一見すると非常に社交的で、そつなく社会生活を送っているように思える人もいる。

回避型愛着スタイルの人の中では結婚をして子どももいて、ふつうに家庭生活を営んでいる人も少なくない。

ただ回避型愛着スタイルの人は、一歩プライベートな領域に踏み入ると、実は親友と呼べる人は一人もいないとか、家族と会話らしい会話もなく、自分の楽しみに没頭しているとか、セックスレスであるといった問題がみえてくる。

回避型愛着スタイルの人は一人で暮らしている人でも、本当に孤独なケースから、次々と相手を変えて猟色に励むというケースまで幅広い。

しかし、回避型愛着スタイルの人は本来の意味で、親密かつ責任ある関係を避けているという点では共通している。

回避型愛着スタイルの人は倫理観や協調性といった点でも、育った環境をはじめ、さまざまな要因によって修飾が加わる。

一口に共感性や情感が乏しいといっても、冷酷で、他人の苦しみに無頓着で、他人を平気で搾取するような人もいれば、極めて禁欲的で、正義感が強く、社会のために身を捧げ、偉人として崇められるような人もいる。

ただ、どちらの場合も、回避型愛着スタイルの人は人間的な感情やぬくもりにあふれた人生を送るよりも、過酷な人生になりがちだという点では通ずるものがある。

つまり、回避型愛着スタイルの人は人間的な温かさ、優しさといったものとは、どちらも無縁なのである。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著