素人にもできる、ズレを最小限にする方法

そんなふうに書くと、とても素人にはできそうにないことのように思われるかもしれないが、心理療法を学んだことがない人でも、ズレを少なくし、相手の気持ちに寄り添いやすくする方法を伝授しよう。

これは、カウンセリングを勉強する場合に、基本として学ぶことでもある。

それは、相手の話していることに、ぴったりついていくことである。

そのために用いる技法は、大きく三つある。

一つは、一般の人も使う機会が多いもので、「なるほど」「ほう」「そうでしたか」といった「合いの手」となる言葉である。

大きなうなずきとともに使うと効果的である。

共感しながら聞いていますよというメッセージになり、話している者には心地良く感じられる。

基本中の基本だが、そうした点を怠らないことがまず大事である。

もう一つは、相手の言葉を、そのままオウム返しにしたり、なぞったりして、映し返す技法である。

たとえば、「最悪だ。もう会社に行くのが嫌になった」と相手が言えば、「会社に」とか「嫌になったんだ」というように、相手の使った言葉の一部を曖昧に返すだけでよい。

すると、それが呼び水になって、会社がどんなふうにひどいことになっているかとか、嫌になった事情を話してくれるだろう。

相手の使った言葉以外の言葉は、原則として使わないが、「~ということですね」と相手の言葉を、要約する場合もある。

そのときも、できるだけ本人の使った言葉で要約した方がいい。

もう一つの技法は、「どんな」とか「どう」といった、曖昧な疑問詞を使った質問をすることだ。

本人が、ポロポロ泣きながら「死にたい。すぐに殺して」と言ったとしよう。

真面目な人は、「バカなことを言ってはダメだ。きみを殺したりできるわけがない。そんなことをしたら、殺人罪になってしまう」などと、本人の発言を否定し、理屈で必死に説得しようとするかもしれない。

だが、本人からすると、求めていることとはズレているのである。

本人は、自分の苦しい気持ちをわかってほしいのであり、自分を大切に思ってほしいのである。

その気持ちを汲み取って、「そんなにつらいのかい。でも、僕がきみのことを守るよ」と言えば、求めている通りのどんぴしゃの答えになるかもしれないが、そこまで言うのには、それ相応の覚悟と責任が必要になる。

誰に対してでも、言えるセリフではない。

また、そんなふうに、本人の言葉ではなく、こちらの土俵で戦うことになりかねない。

たとえそれで本人の状態が良くなったとしても、それは本人の意志と努力の結果というよりも、こちらの責任と負担でということになり、こちら任せになってしまう危険がある。

それを避けるためには、本人の言葉以外のものは、できるだけ使わない方がいい。

「死にたい」という言葉をなぞるのも、一法であるが、あまり前向きでない言葉をなぞると、それがかえって強まったり、固定化したりする場合もある。

では、どうすればいいのか。

こうした場合に使える方法が、「どんな」とか「どう」という疑問詞を用いた質問である。

このケースであれば「死にたい。すぐに殺して」と言ったことに対して、「どうしたの?」とただ問い返せばいいのである。

そして、本人の説明や気持ちを引き出す。

「何もかも嫌になった。また失敗して、上司に怒られてしまった」と事情を説明するかもしれない。

「この先、生きていても、どうせ何もうまくいかないから」と悲観的な考えを訴えるかもしれない。

それに対して、また言葉をなぞったり、「どうして」「どんなふうに」という疑問を投げかけながら、気持ちを掘り下げていく。

「怒られたんだ。でも、どうして死にたいと思うの?」「どうせ何もうまくいかないって、どうしてそう思うの?」といった質問をするのだ。

こちらが答えを用意する必要も、答えに導こうとする必要もない。

相手の気持ちから焦点がそれないようにして、どこまでも対話を続けていくこと。

そして、答えを見つけるのは、こちらではなく、本人だということである。

ただ共感しながら、邪魔をしないように、話の流れに付き合うことが大事なのである。

困っていることや苦しんでいる話を聞くと、すぐに問題を解決したくなる人は、安全基地になりにくい。

ことに、本人を押しのけて、答えや解決法を言ってしまう人は、親切なことをして役に立っているつもりかもしれないが、じつは邪魔をしているのである。

本当に目指すべきは、問題の答えを見つけることでも、解決することでもない。

問題に本人が向き合い、本人なりの答えを見つけていくことに付き合うことなのである。

付き合うことができない人は、安全基地にはなれない。

本人を押しのけて、自分の答えを出してしまったのでは、一方的な押し付けに過ぎない。

それは、これまで本人を行き詰まらせてしまったやり方であり、また同じ失敗を繰り返すことになってしまう。

説教をしたリ、持論を述べたり、アドバイスをしたりするのも一方的な押し付けに過ぎず、応答になっていない。

こちらがいいことを言っているつもりでも、相手からするとズレた反応でしかない。

そんなことは今、誰も求めていないのだ。

風呂に入って、汗を流して、その後でビールを飲もうと思っていたら、こちらの要望も聞かずに、風呂に入る前に、いきないビールをつがれるようなものである。

何か調子が狂ってしまい、満足よりもイライラを感じてしまう。

※参考文献:愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司著