緊張の地獄を克服する方法

対人恐怖症や社交不安障害など、悩みを持っている多くの人は自信喪失しているケースが多い。

当の本人の場合もあるし、自分の恋人が自信を失っているケースもある。

また、親が自分の子どもの自信喪失について悩んでいるケースもある。

「いつもクヨクヨしているんですよね」

「男なんだから、もっと自信もってほしいのに、自分からは何もできないんです」

「なんかいつもなげいてばっかりで、なにもしてくれないんです」

「俺はダメだってそればかりいっているんです。でも美男子なんですよ。私には、どうして、俺はダメだっていうのかわからないんです」

いつも意気消沈し、悲嘆にくれている人、その無気力さに恋人の方は嫌気がさしている。

しかし彼女は、彼が美男子であることに惹かれている。

彼女から見れば、何も悲嘆にくれる理由などないのにもかかわらず、彼は空虚な悲嘆にくれている。

元気がなかったり、無感動だったり、臆病だったりというような人を見て、元気な人は「なぜ?」と思う。

だが元気な人から見て、あるいは表面的に見て理由のわからない問題ほど、実は根源的な問題であることが多い。

気力、生命力、気迫、感動、能動性、愛などという生きる上で根源的なものは、意思の力ではどうしようもできないものである。

気迫のない人間が気迫を持とうという意思をもったからといって、気迫が出てくるわけではない。

根源的なるものは意のままにならぬ、だからこそ人生にはいろいろな問題が出てくる。

「もっと元気だしなさいよ!」「どうしてそんなに元気がないのよ!」と相手を責める人は、

根源的なるものは、その人自身の意のままになるという前提に立っている。

あるいは、相手がクヨクヨしてはっきりしない態度でいることに、自分の方が腹を立てて、うっぷんを晴らしているにすぎない。

相手の女性を誘っているのかいないのかわからないような、煮え切らない態度をとる男性自身、自分の煮え切らない態度に苦しんでいるのである。

「どうしよう?」と何かを聞かれると、はっきりした態度をどうしてもとれない。

グズグズして煮え切らない。

相手はその煮え切らなさに腹を立てるが、当の本人も、自分の基礎的性格が再編成されない限り、どうにもならないのである。

悩んでいる人の多くは、たいていは長い恐怖の生活を過去にもっている。

彼は、長いこと不安感と恐怖感にさいなまれて生きてきたのである。

たとえば、我執の強い親に育てられ、「従順なよい子」であることを要請され続けて生きてきた。

あるいは、社会的体面を維持するため、劣等感の強い親に「偉くなれ」という要請をされ、その期待の実現に失敗して委縮してしまった。

これらの経験の繰り返しによって、対人恐怖症になり、他人の気持ちをすることばかり先行して、自分の本当の気持ちが自分にもわからなくなっているのである。

「今度の日曜日、どうする?」と聞かれても、質問された当の本人がわからないのである。

だから煮え切らない。

また、質問した人に対する健康な信頼感や連帯感ももてない。

誘いを断ったら嫌われるのではないか、本当に自分を誘ってくれているのだろうか、招待に応じたらあつかましいと思われやしないか、相手は本当はどこにも行きたくないのではないか、他人に対する信頼感や連帯感がないから、このように自意識過剰、他意識過剰になる。

自意識過剰なのだけれど、真の自己は不在である。

だからある女性のように「私も女ですから、男の人から誘ってもらいたいんですよね。」という不満が出るのである。

しかし、自己不在の悲嘆にくれる男性は、誘ったら変な人と思われやしないかという意識が先行する、また、どう誘っていいかもよくわからない。

そして、誘わないまま別れれば、誘えばよかったとクヨクヨする。

女性の方は女性の方で「私も女ですから、自分から誘って厚かましい女とおもわれたくないんですよね。」となる。

そして、「どうしてあの人は、自信がないんだろう」と腹も立ち、第三者に相談することになる。

こういう男性は、デートの間中煮え切らない態度だけは終始一貫していたりする。

そして、煮え切らない割にはいつも緊張しているのである。

相手の女性に嫌われやしないかと、不安な緊張の連続となる。

そして、自己は地獄となる。好かれたい、尊敬されたいと緊張しながら、結果としては尊敬されない。

自己は地獄となりながらも自分の求めるものは手に入らない。

自己がすでに地獄となっているから、どうでもよいことにいつまでもグズグズ、クヨクヨしているのである。

それをさらに、恋人から「もっと男らしくハキハキしなさいよ」とか「もっと自信をもって」とか要求されたら、いよいよ自己は地獄と化し、悲嘆は深まるばかりになる。

もし、この人に、自信のある積極的な男性になってもらいたいなら、積極的であることを相手に要求するのではなく、相手の消極性を受け容れることである。

彼は今まで、生きることを長いこと恐れてきた。他人に所有されることはあっても、受け入れられることはなかったからである。

生きることは何も怖くなどないのだと感じるためには、ありのままの自分を一度他人にうけいれてもらう必要があろう。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人もありのままの自分を一度他人にうけいれてもらう必要がある。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著

 

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