ここでは、対人距離が近くなりやすいタイプや距離がうまくとれない代表的なタイプについて、その特性や魅力、危険な落とし穴について理解を深めていきたい。

距離が近すぎる状態がもっとも顕著に、もっとも典型的にみられる状態が、脱抑制型愛着障害である。

脱抑制型対人交流障害という言い方も用いられる。

愛着とは、元来、特定の養育者との特別な関係であり、ほかの人では替えがきかないという点に大きな特徴をもつ。

ところが、愛着形成につまずくと、特定の人にだけ心を許すのではなく、誰に対してでも懐いていこうとする状態がみられる。

これが、脱抑制型愛着障害である。

親がいなくなって施設に預けられたり、虐待を受けたりしている子どもに認められる例外的な状態と考えられていたが、最近の研究では、一般の家庭にもこうした特徴を示す子どもが少なからずいて、その割合は6~11歳の児童の6%にも上ったという報告もある。

脱抑制型愛着障害の特徴としては、次のような点が挙げられる。

1.初対面の人に対して、馴れ馴れしくふるまう。

人見知りがなく、誰にでも接近したり話しかけたりする。

いきなりプライベートな質問をしたり、相手構わず、抱かれようとしたり、膝の上に乗ったりする。

2.気持ちや欲求のままに行動してしまう。

多弁で、思ったことをすぐに口にだしてしまう。

感情の起伏が激しく、気まぐれである。

じっとしているより、飛び跳ねたり歩き回るのを好む。

目を離すと、すぐにどこかにいなくなってしまう。

3.気を惹こうとする行動が目立つ。

愛情や関心を得ようと、ふざけたり、おどけたりする。

おおげさな話や作り話をする。

かまってもらうことを過度に求める。

それ以外にも、空想にふける、気移りしやすい、癇癪を起こす、頑固になる、困らせる行動をするなども、しばしばみられる。

このうち、脱抑制型愛着障害と診断する要件となるのは、1.の見境のない馴れ馴れしさであるが、2.や3.以下の特徴を併せ持っていることが多い。

脱抑制型愛着障害に特徴とされる、相手かまわずに接近したり、馴れ馴れしく話しかけるという症状は、言い換えると必要な距離が保てないということでもあるが、さらにその根底にある障害は、自分が本来頼っていい相手と、そうでない相手の見分けがつかないということでもある。

特定の愛着対象との関係が、十分形成されなかった結果、あるいは、一人の愛着対象からだけでは得られない関わりや愛情を補おうとして、そうした行動パターンをとるものと考えられる。

アルプスの少女ハイジは、なぜ愛されるのか

脱抑制型愛着障害というと、一般の人には縁遠いものに思えるかもしれないが、実は、こうしたタイプの子どもは、案外身近にいるのである。

「障害」とつくと、否定的なものになってしまうが、このタイプの子どもには、周囲の人の心を奪う魅力がある。

アニメ版で、いっそう親しまれることになった『アルプスの少女ハイジ』は、いまも感動を与え続けている。

作品としての魅力とともに、ハイジというキャラクターに、読者や視聴者も、そして作中の登場人物たちも惹かれ、心を動かされる。

そのことが、もっとも象徴されているのが、村人と険悪な関係になり、孤立して山の小屋で暮らしているおじいさん(アルムおんじ)とハイジとの関係である。

おじいさんのもとにやってきたハイジが、頑なに閉ざされていたおじいさんの心を開き、ハイジの優しい庇護者にしてしまっただけでなく、おじいさんの他人に対する態度さえも、少しずつ変えていったのである。

ハイジはおじいさんに対してどういう作用を及ぼしたのか。

孤児となり、面倒を見る人もなく、厄介者となったハイジを、叔母は、おじいさんの山小屋に連れてくると、半ば置き去りにして帰ってしまう。

取り残されたハイジを、おじいさんは仕方なく面倒をみることになったのだが、ハイジの何かがおじいさんの心を開いていく。

その魔法をなしえた不思議な力とは。

それは、ハイジがつゆ疑うことなく、おじいさんが自分を受け入れてくれると信じ、村人のように彼を恐れることなく、甘えようとしたことである。

また、天真爛漫な快活さや思ったことをありのままに話す無邪気さに、おじいさんは心を洗われていったのである。

これは、もちろんハイジという少女に特別に備わった天性の部分もあっただろうが、実は、孤児となった子や親をもたない子の一部に、よくみられる特性でもあるのだ。

ハイジが安定した愛着を叔母との間に形成していたならば、叔母に置いていかれたとわかったとき、そんなふうに無警戒に見知らぬおじいさんに近づいていけただろうか。

叔母を求めて泣き叫び、おじいさんの手を焼かせ、そばには寄せ付けず、食事もとろうとしなかったかもしれない。

だが、実際のハイジは人見知りもせず、自分のことを歓迎していない陰気なおじいさんに対しても、近寄りがたいものを感じることもなく、庇護を求め、すんなりと馴染んでいった。

それこそが、自分の親や家をもたずに育った者が、生き延びるために身につけた脱抑制型の愛着ゆえの反応なのである。

誰であり、どこであれ、自分を受け入れてくれると思い込み、当たり前のように甘えようとすることで、相手も知らず知らず保護せずにはいられない気持ちにさせられていく。

愛着とは相互的な現象である。

何も疑わずに愛着してくる者に対して、見捨てられないという気持ち、つまり愛着が生まれるのだ。

世話を求めてくる者に、仕方なく世話を与えているうちに、特別に可愛い存在となり、その存在のない生活など考えられないようになっていく。

三年後、おじいさんの身に起きたことは、まさにそうした事態だった。

突然、叔母さんがハイジを迎えに来ると、強引にフランクフルトに連れ去ったのである。

おじいさんは、「もうハイジは戻ってこない」と悲嘆に暮れるのだった。

だが、ハイジは、三年前のハイジではなくなっていた。

おじいさんやアルプスでの生活に強い愛着を持つようになっていた。

それは、おじいさんとの暮らしの中で、脱抑制型愛着障害から回復を遂げたということでもあっただろう。

もし、そのままハイジがフランクフルトから、おじいさんのもとに戻れなかったとしたら、再び脱愛着が起き、ハイジは、どんなつながりも心の底から信じることができなくなっていたかもしれない。

幸いなことに、ハイジの心の中で起きていることに気づいた医師の助言によって、ハイジはアルプスに戻されることになる。

多くの人が、幼い少女のドラマに引き込まれてしまうのは、それが人間にとってもっとも普遍的で、もっとも根本にかかわる愛着の破壊と回復のドラマだからでもある。

『赤毛のアン』の魅力

ハイジの他にも、このタイプの主人公は多くの人の心をつかんできた。

モンゴメリーの名作『赤毛のアン』に描かれたアン・シャーリーにも、脱抑制型愛着障害の特徴がみられるが、それは、アンの魅力と不可分なものとなっている。

孤児院にいたアンを男の子と間違えて引き取ったマシューとマリラの兄妹も、相手の懐に飛び込んでいくアンの天真爛漫さや軽やかさに、少し意表をつかれながらも、いつしかその可愛さの虜になっていく。

自分がその家の子どもになれると信じて疑わないアンのはしゃぎぶりに、最初に心を捉えられたのは、兄のマシューの方だった。

妹のマリラの方は、しゃべりっぱなしの女の子を、騒々しいと不快に感じ、その女の子に肩入れしようとしている兄に対して、「魔法にかけられた」と揶揄する。

しかし、やがて、そのマリラも、アンを手放せなくなっていく。

多弁で、思いついたことをあけすけにしゃべり続け、相手の気持ちに関係なく、喜怒哀楽を過剰なまでに表現し、相手を巻き込んでいくことは、孤児となって施設で暮らさなければならなかったアンが、生きていくために、知らず知らず身に付けた振る舞い方だったろうが、かかわった者を、救いの手を差し伸べずにはいられない気持ちにさせてしまう。

脱抑制型愛着障害は、アンのように親以外の養育者に育てられたケースや施設で育った子ども、虐待を受けた子どもにも、高い頻度で認められる。

五歳までに始まるとされるが、その後も、特徴的な対人パターンがかなり長期にわたって持続する。

大人となっても、その傾向は残り、距離が保てず、親密な関係になりすぎてしまう傾向や一人の人との愛着関係に執着が薄い傾向がみられる。

※参考文献:対人距離がわからない―どうしてあの人はうまくいくのか― 岡田尊司著