自分がない人が自信をもつための心理

自分の意思を持たないツケは大きい

逆に経済力がなくても、権力がなくても楽しく生きている人がいる。

そういう人は無意識の領域で代価を払っていないのである。

例えば自分の意思を持たなければ一見人間関係はうまくいっているように見える。

トラブルは起きない。

このように自分がない人は他人にとって都合のいい存在になることでトラブルを避けてきた人もいるだろう。

でもその自分がない人は無意識の領域で大変な代価を払っている。

それが自信喪失である。

そこで、自分がない人はなぜか分からないが憂鬱に苦しむ日が来る。

「親しい人がいない、絶えず人間関係でトラブルを起こしているなどという人は、自分は無意識に憎しみを抱えているのではないかと反省することである」

これはどちらかというと、攻撃的タイプの人の問題である。

攻撃的タイプだから人間関係のトラブルはその人が原因であることが多い。

そして今述べているのは、或いはこれから述べるのは、どちらかというと迎合タイプの自分がない人の問題である。

小さい頃、支配的な親に慣れてしまった自分がない人は大人になっても他人にとって都合のいい存在になることでしか、人と付き合えなくなる。

そして自分がない人は無意識の領域で代価を払い続ける。

「自立性は生きる土台である」。

自分がない人は自立性を犠牲にして、相手に合わせて生きていけば、一見人間関係はうまくいっているように見える。

しかしそれは土台のない生き方であるから、いつかノイローゼという形で、その自分がない人の心は崩壊する。

それが無意識の領域での代価という意味である。

もう一度述べる。

無意識でどのくらい代価を払ったかを考える。

そして自分がない人は自分の生き方を反省する。

そうすれば新しい人生が必ず拓ける。

自分がない人は不幸を嘆いているだけでは、夜明けは来ない

自分がないあなたがもし生きるのが余りにも辛いなら、それは無意識の領域で何か深刻な問題を抱えているからである。

そして自分がない人は酷い人間関係の中にいると思った方がよい。

望ましい人間関係の中にいれば、辛く悲しいことは多くあっても、それは「こうだからだ」と理由が分かる。

しかし「何でこんなに苦しいのか」を説明出来ないとすれば、自分がないあなたの周囲の人はあまり質がよくない可能性が大きい。

質がよくないとは、ずるいということである。

人を犠牲にして自分だけは甘い汁を吸おうとする人々ということである。

だから自分がない人は今の人間関係を変えることが必要である。

だが、自分がない人は今の人間関係を変える時に自分の無意識の領域を反省することは必要である。

自分がない人は「なぜ自分は他者に対する健康な信頼関係を築けなかったのか?」と考えることで、自分の心の中が見えてくる。

自分がない人はそこに自分の弱さ、甘え、依存心などが見えてくる。

それでないと自分がない人は「私がこんなに苦しいのは、何でもかんでも周りの人が悪い」となってしまう。

それでは自分がない人は今の人間関係を清算出来てもまた同じ種類の人々との付き合いが始まるだけである。

例えば、夫の暴力に長年耐えているような妻である。

離婚をして新しい人生を始める不安に立ち向かうよりも、暴力に耐えている方が心理的には楽だったのではないか。

いままでただ自分の不幸を嘆いているだけで何も自分から動かなかったのではないか。

或いは自分を責めているだけで、実際には自分自身が強くなろうとはしなかったのではないか。

自分を責めることで、自分の卑怯な言動の言い訳をしていたのではないか。

自分を責めていれば全てが許されると期待していたのではないか。

自分がない人はそうした自分の卑怯さを正面から見据えることである。

自分のしていることがいかに卑怯であるかに気がつけば、もう春はそこまで来ている。

いつまでたっても夜明けの来ない自分がない人は自分を認めることを拒否している人である。

自分がない人は自分の行動に注意しよう

人はなかなか本当の自分で生きているか、嘘の自分で生きているかは分からない。

自分がない人は抑圧があるか、抑圧がないかもすぐには分からない。

それは抑圧が何よりも無意識の領域の問題だからである。

自分がない人は自分の意識では「自分に嘘をついていない」と思っても、実は「自分に嘘をついている」ということがある。

それが抑圧である。

しかし自分がない人は無意識の領域の問題である以上直接には、その嘘は意識出来ない。

では自分に抑圧があるかないかは分からないかというとそうではない。

それは、自分の行動に注意をすることである。

自分がない人の心の葛藤はどこかに現れる。

自分がない人は過食に陥る人もいる。

自分がない人は仕事依存症に陥る人もいる。

何もしていないのにすぐに疲れてしまう自分がない人がいる。

或いはその場に不釣り合いな怒りを表現する自分がない人がいる。

自分がない人はこれは怒りを抑圧しているから、そうなる。

自分がない人は「こんなことたいしたことない」と自分に言い聞かせてもどうしても気になって眠れない。

自分がない人はなぜか不愉快になる。

自分がない人は「くだらない女、あんなレベルの女と争わない」と言ってみても、実は心の底で怒っている。

自分がない人はその怒りを抑圧しているから、吐き気がしたり、食欲がなくなったりする。

自分がない人は不眠症になる人もいる。

自分がない人は怒りを抑圧しても、意識的に我慢しても、もの凄いエネルギーを消耗する。

そこで自分がない人は実際には何も行動していなくてもすぐに疲れる。

自分がない人は何がしたいかが分からない。

そして自分がない人はとにかく急ぐ。

そんな時には自分がない人は何かを抑圧している可能性が高い。

自分がない人は他人がどう思うかということを気にし過ぎないこと

人がどう思うかということを凄く気にする自分がない人がいる。

自分がない人が人がどう思うかという事を凄く気にするのは、自分が隠しているものがあるからである。

自分がない人はその隠しているものを人に気がつかれないかという心配である。

自分が何かの弱点を人に隠しているとする。

すると自分がない人はそのことに人が気がつかないかと心配になるのは当然である。

それは自分がない人が自分が自分に何かを隠した時にも同じであろう。

自分がない人は自分が心の底で頭が悪いと感じている。

しかし自分がない人はそれを認めることは出来ない。

そんな時に自分がない人は人に対して虚勢を張る。

自分がない人は人にも自分にも、自分がいかにも頭がいいというふりをする。

そんな時に自分がない人は人が自分の頭の悪いことに気がつかないかと気にするのは当然である。

いつも人がどう思うかということを気にしている自分がない人は何かを隠している人である。

自分がない人はお金がないのにお金があるふりをすれば、人が自分のことをお金がないと思わないかと気にするようにならざるを得ないであろう。

冷たいのに心の温かい人のようなふりをしているとする。

そんな時に自分がない人は人が自分を冷たい人と思わないかと気にするのは当たり前である。

心の温かい人が、人が自分のことを冷たい人間と思わないかと気にすることはない。

抑圧の強い自分がない人は人が自分をどう思うかを気にする。

自分がない人は抑圧というのは自分が実際に感じていることを自分の意識から追放することだから、自分には分からないという。

つまり自分がない人は無意識のことなのだから自分が抑圧をしているかどうかは分からないという。

確かにそれは理屈である。

理屈から言えば無意識の領域のことは意識では分からない。

しかし自分がない人は人がどう思うかということを凄く気にするならば、自分は抑圧が強いと思ってもいいだろう。

自分がない人は自分は何かを自分にも人にも隠そうとしているということを考える必要がある。

自分がない人は抑圧された欲求の原因を知ること

抑圧されると欲求は増大する

抑圧された欲求は増大するという。

ジョージウェインバーグは性的欲求とその欲求の増大をあげている。

同じようにそれは名誉欲や権力欲についても言えるだろう。

小さい頃から名誉欲や権力欲を卑しいこととして教え込まれている自分がない人もいる。

或いは父親への反発から、それらの欲求が自分の中にあることを否定する自分がない人もいるだろう。

例えば自分の父親が政治家だったとする。

そして両親は家族よりも選挙民を大切にしているように子どもは感じる。

自分が親から十分な関心を得られていないと思った子どもは親を恨む。

そして政治家を憎む。

そうなれば自分がない人は当然自らの名誉欲とか権力欲を卑しいものとして、心の底へ抑圧するだろう。

その結果、自分がない人のその名誉欲や権力欲は増大する。

自分がない人はますます名誉や権力が欲しくなる。

すると自分がない人は名誉や権力を持っている人が自分にとって脅威となる。

なぜなら自分がない人は自分の抑圧された欲求が刺激されるからである。

そうなると自分がない人は名誉や権力を持っている人を激しく非難する。

自分がない人はこうした批判や非難は防衛行動である。

自分がない人は名誉や権力を持っている人を非難することで、自分の心の混乱を収めているのである。

自分がない人は相手が望ましい人間ではないと思って相手を非難するのではなく、自分の心の混乱を収めるために相手を非難するのだから当然非難は激しくなる。

要するに自分がない人は名誉欲とか権力欲を抑圧すると、名誉や権力を持っている人にイライラさせられる。

ある人に訳もなくイライラさせられた時には、もしかすると自分は「この人のようになりたいのではないか」と一応反省してみることである。

最近よく子ども達が人にムカツクと言う。

それはおそらく自分がない人が心の底で憧れている人にムカツクのである。

先生や親にムカついている子どもは先生や親に色々なことを求めているのであろう。

しかし子ども達は自分で自分をムカつかせていることに気がつかないであろう。

ムカついている子どもは、本当の自分の姿を認めることを拒否している。

自分がない人は自分がなりたい自分になれない絶望感を認めていない。

自分がない人は本当はあの人のようになりたいということを認めていない。

自分がない人は自分はそのように努力出来ないということを認めていない。

ムカツクのは、イソップ物語の「酸っぱいブドウ」と同じ心理である。

本当はあのブドウが欲しい。

しかし取れない。

そこで「あのブドウは酸っぱい」と言う。

「あのブドウは酸っぱい」と言ったキツネはブドウにムカついている。

つまり「あのブドウは酸っぱいブドウだ」と言ったうえで「自分探し」をしても、決して「本当の自分」は見つからない。

自分がない人は成功した人を軽蔑することで自分を正当化している

精神科医のジョージウェインバーグの「プライアント・アニマル」の中に次のような症例が載っていた。

その人は本当は昇進や昇給を求めていた。

しかしその欲求を抑圧していた。

抑圧の中心は野心である。

彼は未来について語ることをしなかった。

昇給のための努力もしなかった。

そして人々に罵詈雑言を浴びせることが防衛手段であった。

自分がない彼はおそらく「会社で出世するなんてくだらない」とか「昇給を求める人はお金ばかり求めて人間として卑しい」などの非難をしていたのであろう。

自分がない彼は「あんなに偉くなりたいのかねー、忙しくなるばかりで馬鹿だよねー」と嘲笑することで自分の心の混乱を収めていたのだろう。

自分がない彼にとってビジネスの世界で成功した人は脅威である。

彼らは自分がない彼の抑圧された野心を刺激する。

しかし自分がない彼は自分が会社で出世したいということを認めていない。

だから自分がない彼は刺激された野心のために心の混乱は避けられないものとなる。

自分がない彼にとって彼らといることは面白くない。

それよりも自分がない彼は妻の態度にイライラする。

それは妻がビジネスの世界で成功した彼の仲間を賞賛するからである。

そこで自分がない彼は「あのホモ・レズの芸術家達」と仲間を嫌う。

自分がない彼の最悪の症状は慢性的な不安と絶望感であった。

自分がない人は仲間の成功を「くだらない」と軽蔑することで、現在の自分を正当化していると、いつまでも成功した人にイライラさせられる。

自分がない人にとっては成功した人は脅威である。

自分がない人は人を軽蔑することで心の混乱を収めることは極めて簡単である。

しかし自分がない人はそれは何も本質的な解決とはならない。

自分がない人は軽蔑することでその場は気持ちが収まっても、またすぐにもとのようにイライラする。

自分がない人は彼らを軽蔑するのではなく、彼らに対する恐怖を認めれば、本質的な解決に向かう。

自分がない人はイライラは自分を知るチャンスでもある

ただ自分がない人は周囲に信頼出来る人がいない時には、この恐怖を認めることはなかなか難しい。

しかし認めれば周囲に信頼出来る人が出てくる。

これが悪循環と好循環の分かれ目なのである。

認めれば「あいつもいいやつ」となり友達も出来る。

しかし自分がない人は認めないと「何かイヤなやつ」になり、親しい友達も出来ない。

前項の彼の場合にはやはり小さい頃に問題があった。

小さい頃、家にお客さんが来ると人気者はお兄さんであった。

彼は一人で自分の部屋にいた。

そして外でも同じであった。

お兄さんは周囲の人に良い印象を与えていた。

そのために弟の彼は同じような人間であると周囲の人から期待された。

しかし周囲の人は彼に失望する。

それは彼にとって屈辱的な体験であった。

その結果、彼は自分に失望する。

彼も本当はもっとより多くのことを成し遂げたかった。

自分がない人は自分がイライラした時には、それは自分の本当の姿を知るチャンスでもある。

自分がない人はもしかすると「理想の自分」と「実際の自分」との乖離から、自己蔑視しているということを知らせているのかも知れない。

自分がない人はもしそうなら「なぜ自分は自分を軽蔑することになったのか?」を考えればいい。

或いはある人にイライラした時には、自分がない人は何か重要な感情を抑圧しているという知らせかも知れない。

自分がない人は自分をイライラさせたその人のようになりたいと、自分が心の底で思っているのかもしれない。

封建的な家庭で厳しく育てられた先生である。

伸び伸びとやりたいことをしている生徒にイライラする。

「我がままでけしからん」と非難する。

実はその先生は自分もそのように伸び伸びと生きたかった。

しかしそのような生き方はとうてい許されなかったし、そのような生き方は否定される価値観の中で成長した。

そこでその先生はその欲求を抑圧した。

しかし堅苦しく生きて一切の欲求を抑圧しても、そうした我がまま放題で伸び伸びとした生徒を見ると、心の底に抑圧された欲求が刺激され、活性化する。

そのため心はパニックになる。

そのパニックを収めるためにはその生徒を処罰するしかない。

自分がない人は抑圧が解消されて、初めて自分が本当にしたいことが見えてくる

何か訳が分からないけれども「あいつに腹が立つ」と言う時には、実は自分がしたいけれども出来なかったことをその人がしているのかも知れない。

自分がない人は小さい頃、心ならずも心の底に抑圧しなければならなかった願望の体現者なのである。

自分がない人は「まさか」と思うことを疑ってみる。

それが自分がない人の「本当の自分」発見への道である。

自分がない人がなぜかある人達に激しい怒りを感じるとか、妙にイライラするとかいう時には、自分の中に同じような願望が抑圧されている可能性がある。

自分がない人がイライラするのは極めて不愉快な体験である。

でも、もしかすると自分がない人は自分で自分を不愉快にしているのかも知れない。

自分がない人は迷子になってどの人に「連れて行って」と言ってよいか分からない。

自分がない人はどの人がどういう人か分からない。

自分がない人はそんな時にとんでもないずるい人に引っかかる。

搾取される自分がない人は生涯搾取され続けることが多い。

人はある感情を抑圧すると、その感情に生き方、感じ方を支配されてしまう。

自分がない人は敵意を抑圧するとその敵意に人生を支配される。

自分がない人は怒りの処置を誤るということは生き方を誤るということでもある。

自分がない人は抑圧が解消されて初めて自分が本当にしたいことが見えてくる。

自分がない人は抑圧を取ることが「本当の自分」発見であり、自己実現である。

自分がない人は抑圧が取れた時、脳に新しい回路が出来る。

数学の問題でも、自分の心理でも、何でもいいから、「分かったー」という時がある。

その感動した時こそ「本当の自分」発見であり、自己実現なのである。

ある子は「お母さん、嫌い」と気がつく。

すると不思議に勉強する気になった。

自分がない人は抑圧に気がつくと勉強する気になる。

自分がない人は無理をしていると勉強する気にならない。

自分がない人は無理をしていると自分に対しても人に対しても無関心になる。

だから自分がない人は外の世界全てに無関心になる。

自分がない人は無理をしていると楽しいことも嬉しいこともない。

自分がない人は心の底の抑圧された感情を吐き出せば目的も分かるし、元気になれる。

自分がない人の抑圧はエネルギーの行き場を抑えている。

治療者としてのフロイトの原理も、無意識を自覚することが精神障害を治癒せしめる方法であるというものである。

自分がない人は現実を自覚し、幻想を克服すれば、人生と対決しうる強さをうることが出来ると考えた。

※参考文献:「本当の自分」はどこにいる 加藤諦三著

 

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