発達とは「自分」になること

発達過程において「自分になること」がとくに課題となるのは、反抗期であることはずでに述べました。

青年期以降については、精神分析学者のユングと、人生のプロセスを探究したレビンソンらの研究が参考になります。

個性化

成人期以降の心理的発達を本格的な研究対象として最初にとりあげたユングは、40歳を境に人生を前半と後半とに分けました。

前半は、幼いころからの親子関係のなかで形成された心理的傾向や親との葛藤を引きずっており、必死に家族や社会からの要求に応えようとします。

また、主な関心は、外面的な成功や個人的目標の達成に向けられます。

人生の後半になると、親からの影響を離れて、独自の内面をつくる方向へと心が動いていきます。

中年期を過ぎると、達成よりも統合に関心をもち、心の全体性の調和を求めるようになります。

すなわち、私たちは無意識に支配されている部分が大きいのですが、この無意識の部分を意識化し、受け入れることで精神的豊かさがもたらされるというのです。

たとえば、男性は、本来自分の中にある女性的な部分を抑圧することでこれまでの人生を築いてきましたが、中年期以降はこの抑圧した女性性の部分をも自我に統合することで、より豊かな精神性が得られるのです。

そして、こうした過程は直線的に進むというよりも、何度も同じ基本的な問題にぶつかり、そのたびに問題がより明確になっていくという形で進行するというのです。

こうした心理的な発達を、ユングは個性化と呼んでいます。

発達とは、より自分になることであり、それは個性化することなのです。

人生の四季

青年期以降の人生プロセスを研究したレビンソンらは、人生には安定期と過渡期とがあり、これが交互に繰り返されていくという姿を明らかにしました(D・J・レビンソン著、南博訳『ライフサイクルの心理学(上・下)』講談社学術文庫)。

過渡期とは、自分が作り上げた生活と自分の内面との食い違いにより、心理的葛藤に遭遇し、より自分らしい生活へと舵を切らざるをえない時期のことです。

安定期とは、自分が期待し、努力することで自分にふさわしい生活が築かれ、心理的にも生活でも比較的安定した時期のことです。

人はその時々に置かれた条件の下で、自分が望む生活を作り上げようと努力します。

そして、そうした生活が形成されると、心理的にも生活の上でも安定した時期を過ごします。

しかし、現在の生活とは、それ以前の自分が望んだものであり、いわば過去の自分にふさわしい生活であります。

そのために、早晩、現在の生活と自分の内面との間に葛藤が生じ、生活を修正する過渡期を迎えざるを得ません。

人生とはこうした安定期と過渡期を繰り返しながら進行していくのですが、職業や境遇を超えて共通な発達段階が存在するというのが、レビンソンらの結論なのです。

たとえば、三十代前後では「三十歳の過渡期」を体験しますし、四十歳を過ぎることになれば、「人生半ばの過渡期」を体験します。

六十歳を迎えれば、「老年への過渡期」に遭遇せざるを得ません。

この過渡期の乗り越え方は、いつの時期の過渡期であるかとか、その人の置かれた状況により異なります。

たとえば、「三十歳の過渡期」では、生活でも仕事でも大胆に舵を切り直すことができるでしょう。

しかし、四十歳前後の「人生半ばの過渡期」では、家庭生活がしっかりと根づいており、また、職場では重要な地位にいるなど、生活や仕事の大幅な修正には慎重にならざるを得ません。

また、個人的に見れば、仕事と生活へのエネルギーの比重を少し変えるとか、配偶者への接し方を変えるなど、生活の微修正で済む人もいるでしょうし、転職をするとか、別居や離婚など、大きな決断を要する人もいるでしょう。

いずれにせよ、この過渡期を建設的に乗り越えることが、その後の人生の幸福に大きく影響するのです。

レビンソンらの発達段階論は、発達をより高い価値の達成であると、単純にとらえるものではありません。

春が来て、春が過ぎると夏が来る。

やがて夏も過ぎ、秋となり、冬が来る。

春よりも、夏の方が価値があるわけではありません。

それぞれの季節特有のものがあるだけです。

成人期の発達過程もまた、これと同じだというのです。

今の苦しさが発達課題

ユングが述べるように、私たちは、人生の前半は多かれ少なかれ期待された役割を生きる自分として生きているのです。

ですから、誰にとっても、より自分になることはその後の人生の課題なのです。

期待された役割を生きてきたと強く感じている人が、これまでの生き方が間違っていたということではないのです。

このようにしか生きられなかったのであり、置かれた環境のなかで、自分なりにしっかりと生きてきたのです。

むしろ期待された役割を生きてきたことは誇らしいことなのであり、自分を誇りに思い、この誇りを出発点とすることです。

そして、これからの人生をよりいっそう自分で満足でき、自分が豊かと感じられる方向に舵を切り直すことです。

レビンソンが明らかにしたように、私たちは自分をつくり、自分の生活をつくる努力をします。

そして、そのようにして作りあげられた自分と生活とは、これまでの自分にふさわしいものなのです。

これまでの自分と生活は、否定すべきものではないのです。

何年かすれば人生上の次の課題が提起されてくるのは必然なのです。

もし人生がレビンソンの指摘するようにきまった順序で進むとしたら、未来から現在を生きたら賢く生きられるのではないか、という問を発したくなります。

たしかに、部分的にはそうしたことも可能かもしれません。

しかし、レビンソンらの研究結果が示しているのは、じっさいにその時期を生きてみなければ、次の課題が現実のものとして提起されてくることはない、ということなのです。

今、あなたが期待された役割を生きる苦しさに直面しているということは、自分に人生の次の発達課題が提起されているということなのです。

この課題に真摯に対応することが、より自分を生きるということにつながるのです。

※参考文献:「いい人に見られたい」症候群 根本橘夫著