●自分のことが好きになるために

”自分を低くしか評価しないのはどうしてか”

われわれは自己評価が低いからこそ、他人の自分に対する評価をあげようとして無理をするのである。
自己評価が高い者にとって、他人の評価はそれほど重要なものではない。

心の底で自分に自信のない人は、他人に対して身構える。
そして、他人の些細な評判にも敏感である。
自己評価が低ければ低いほど、汚点のない評判を維持することに身の細るような努力をする。

たとえば、自分に自信のない男、つまり自己評価の低いある男が、無理をして酒を飲み、トイレに行っては吐いている。

そんなに苦しければ、酒の付き合いを止めればいいのだが、彼にはどうしてもやめられない。
翌日は二日酔いで、頭はガンガン、死にそうな気分で会社にいくこともしばしばあった。

その男が気にしていたのは、「あの男は酒も飲めない」「あの男は付き合いが悪い」という周囲の評判だったのである。

血のにじむようなつらい思いをしながら、自分の評判を維持しようとした彼の人格の核にあったものは何であったのか。

それは「自分は競争社会においてやっていけない男ではないか?」という恐怖感である。
そして、その恐怖感は「自分はダメな男である」という自己のイメージのうえにあった。

自己評価の低い彼は、付き合いをよくすることで、自分の評判を維持し、他人が自分を失脚させないようにしたのであった。

自分のことが好きになれない彼は、それだけ無理な付き合いをしながらも、じつは他人を信じてはいなかった。
自分のことが好きになれない人は心の底では、他人が自分を失脚させることを恐れていたのである。
自分のことが好きになれない人はだからこそ、他人に自分の弱点を見せまいとした。

人間を信じられない、これは様々な精神の歪みの底を流れる感情である。

では、なぜ彼はそんなに自己評価を低くしてしまっているのだろう。

それには二つの原因がある。

一つは、小さい頃、周囲の人の彼に対する反応が間違っていたこと。

何か失敗をして、周囲の人から屈辱感を味わわされてから、彼は周囲の反応で自分を評価するようになった。

彼は失敗に対して防衛的な態度を身に着けたのである。

成長してからも、自分を低くしか評価できないのは、それ以後、彼がこの恐れに基づいて行動してきたからである。

自己防衛的な行動の繰り返しが、自己評価の低さを彼の中にしみこませたのである。

出発点は親を中心とした周囲の態度の間違いであることは言うまでもない。

しかしそれ以後、彼は他人に迎合して生きてきた。

嫌いな酒も無理して飲んだ。

嫌いなギャンブルにもつきあいで手を出した。

それらにつきあったのは、全て嫌われるのが怖かったからである。

人々の自分に対する評価が、彼には怖かったのである。

「自分はダメな人間である」という文字を、その子の心の中にインクで黒々と書いたのは親である。

そしてそれ以後、彼は他人にすかれることによってしか、自分は生きていけないような気がして、ただひたすら他人に迎合して生きてきた。

しかし、彼は飲みたくない酒を、他人を喜ばすために飲むことで、心の中のインクをより鮮明にしていたのである。

自分はダメな人間であるということを無意識に感じている彼は、他人を喜ばすこと以外に、生きていく方法が分からなくなってしまったのである。

そして他人を喜ばせても喜ばせなくても、自分はダメな人間であるという自己のイメージが、心の底にこびりついてしまっている。

自分を好きになれない人は二日酔いでガンガンする頭をかかえて会社に行きながらも、彼はこの自己イメージをどうすることもできないのである。

自分を好きになれない彼が自信を持つために何より必要なことは、他人を喜ばすための酒の付き合いをやめることである。

もし自分を好きになれない彼が、他人を喜ばす動機から出るすべての行動をやめることができれば、自分のイメージに変化をおこさせることができる。

好きでもない酒を、自分の評判を維持するために飲むのをやめることで、自分に対する感じ方が変わってくるはずである。

そのような酒をやめることで、そのような酒を飲ませていた心の核にあるものを彼は変えることができる。

自分の評判を維持するために、好きでもない酒を飲み続けているなら、彼は自分の自分に対する感じ方を変えることはできない。

とにかく彼に必要なことは今までの行動を止め、動機を変化させ、自分に対する自分の見方を変えることである。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには今までの行動を止め、動機を変化させ、自分に対する自分の見方を変えることである。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三