ネガティブ感情もポジティブ感情も表現する

「そのときそのときに感じた自分の気持ちを表現して伝え合えれば、相手とうまくいくと先生が言うのはわかります。けれども、傷ついたことをいちいち言葉に出していたら、相手が不愉快になってしまうと思います」

「あなたは、自分の気持ちをどういうふうにとらえていますか?いまの話を聞いていると、あなたの中にある気持ちというのは、否定的なものばかりのように聞こえます。

感情にはマイナス感情だけでなく、プラス感情もあるでしょう。むしろプラス感情を表現するほうがもっと大事です。あなたはプラス感情を積極的に表現していますか?

「そう言われれば、ノーですね」

カウンセラーが「感情を言葉で表現しましょう」と言うと、彼女はその感情をマイナス感情だととらえてしまいます。

いまの彼女はどうしてもマイナス感情を拾ってしまいがちなのかもしれませんが、それは自分の世界を否定的、悲観的にみているということです。

同じ光景でも、その光景の中から自分が拾い集めるものは多種多様です。

世の中のプラスの面を積極的に拾い集めるか、マイナス面を拾い集めるかで、世の中の見え方はまったく異なってくるでしょう。

「あなたの一日をイメージしてみてください。まず目覚めて、朝起きたときの気分はどうですか?朝の陽射しをどう感じますか?顔を洗うときの水の感触はどうですか?朝食の味は、匂いは?こういう見方をするならば、感謝できることがたくさんあると思います」

「そうですね。健康でありがたい。住む家があるのはありがたい。食べる物があってありがたい。着る物があってありがたい。ちゃんと仕事があるのはありがたい。家族がいるのはありがたい。友達がいるのはありがたい・・・」

しかし、そんな感謝とはちょっと違います。

彼女のその言い方から、彼女が「感謝しなければならない」という思考にとらわれているようにも聞こえました。

なぜなら、彼女の言葉からは、少しも体感が感じられなかったからです。

感謝できることを羅列しても、頭で考えた感謝では心が伴いません。

環境は変わらなくても、見方は自分で決めることができる

「大切なのは、その感謝を実感しているかどうかです。例えば、食事のときはどうですか?美味しさを味わっていますか?味、匂い、固さはどうですか?」

「朝は急いでいて、とてもそんな時間はないし、まあ、昼食も夕食も、同僚と話をしながら食べていたりテレビに夢中になっていたりして、食事そのものを味わうということはあまりないかもしれません。せいぜい高級レストランに行ったときぐらいでしょうか。」

私たちはこんなふうについ惰性や習慣で無感覚になりがちですが、本当はささやかな日常のほとんどがプラスの感覚に満ちていて、そのありがたさを実感しようとすればできるはずです。

にもかかわらず、とくに悩みを抱えている人の多くは、わざわざマイナス面だけを拾い集め、その感覚や感情だけを体感して、世の中や自分の運命を悲観的にとらえてしまいます。

しかも、たくさんのプラス面に無頓着になっているために、プラス感情を言葉で表現することすら忘れてしまいます。

「そうかもしれない。親だったらやってくれて当たり前だと思うし、街で親切にされても、言い慣れていないから、心の中では感謝していても、その気持ちを言葉にするのを迷って、結局口の中でボソボソとつぶやいて頭を下げるぐらいしかできません。」

それは普段からプラス面に意識を向けてそれを実感したり、言葉に出したりしていないからではないでしょうか。

カウンセラーは思いつくままに、プラスの感情を言葉にしていきました。

「なんて爽やかな朝なんだろう。なんてきれいな花なんだろう。なんて鮮やかな緑なんだろう。優しくしてくれて嬉しい。側にいてくれて嬉しい。手伝ってくれて助かった。仕事がうまくいってよかった。待っててくれてありがとう。あなたといると楽しい。子どもってなんてかわいいんだろう。あなたが側にいてくれるだけで、生きていく勇気がわいてきます。

あなたの楽しそうな顔をみていると、私まで楽しくなってくる。あなたが好きなことに夢中になって輝いているのが素敵。こんな時間をもてて、あなたに感謝したい」

「聞いていてどんな気分になりますか?」

「気持ちがほのぼのとしてきました」

「そう言ってくれると、私も嬉しいです」

相手に「自分を認めよ」と要求するよりもこういう会話をしているほうが、自然に相手と親しくなれるでしょう。

環境は同じでも、自分がどういう見方をするかは、自分で選択できることです。

仮に自分の環境が好ましいものではないとしても、その中で生きて行かなければならないのなら、その中でラクに生きる方法を探したほうがいいでしょう。

そうやって自分の見方を変えていけば、やがて環境も運命も変わっていくのです。

「プラス面に目を向けて、それをもっと実感しながら言葉で表現する。それほど難しいことではありません。これで人生が変わるかもしれないのなら、試してみる価値はあると思います」

伝える時は自分の気持ちのみ見つめる

彼女はもう一度、彼と逢って本当の気持ちを伝えてみようと思いはじめていました。

しかし「苦しみから解放されるには、彼に言うしかないんだ」と、そう心の中でつぶやくと、もうそれだけで胸の鼓動が速くなってしまいます。

「うまく伝えることができるでしょうか」

「うまく伝えようとする必要はないです。ずっと言っているように、自分の気持ちだけをみつめていればいいだけです。

彼の反応は目をつぶっていて、みなくてもいいぐらいです」

「そうでしたね、私の正直な気持ちをそのまま言えばいいんですよね」

「そんなに難しく考えないで大丈夫だ。言葉を選ぶ必要もないです。多少乱暴な言葉でもかまわないです」

もちろん、相手を責める言葉はできるだけ使わないほうがよいでしょう。

しかし、実際には、使われるその言葉よりも、仕草、表情、態度、声のトーンなどにあらわれている意識のほうが、相手に伝わってしまうのです。

もしも、「裏切ったのは許せない」と相手を責めていれば、どんなに丁寧な言葉を使おうが、伝わるのは相手を責める気持ちのほうです。

「あなたが彼に自分の気持ちを伝えるのは、彼を説得するためではないんだ。自分の満足のためにやるんだと考えてほしいのです」

彼を責めたり説得したりするのを目標とするか、自分の満足を目標とするか。

その目標のもち方だけでも気持ちが変わってきます。

気持ちが変われば、使う言葉も柔らかくなっていくでしょう。

自分が恨みから解放されるために表現する

私はこれを目標にしてほしいと思いました。

あなたのその気持ちは、主張する価値がある

「もしあなたが彼と話して、どんなふうに言ってもらえれば心が軽くなるでしょう?」

「・・・わかりません」

「私ならこう言いたいな。『もう恋人としてつき合うことはできないけれども、いまでも君を大切に思っているし、君が僕と逢うことで気持ちが軽くなるのなら、僕が必要ではなくなるまで側に寄り添っていたいと思う』。

彼がこんなふうに言ったらどういう気持ちになりますか?」

「うーん、現実はそうはならなかったけど、自分の気持ちを受け止めてくれているなって感じがして、嬉しい。

そんなふうに言われたら、淋しいけれど、もうあきらめようって気持ちになっていくと思います。

でも、実際の彼は、私を拒否しています」

「あなたは彼に、いまのような態度をとってほしかったと言いましたね。彼が言わないとしたら、あなたがそれを要求するというのはどうですか?」

「私から彼に要求するのですか?」

「まあ、要求というよりも、自分を大事にするために相手に働きかけてみるということですね。

それを言葉にしたら、どういう言い方になるでしょう」

「提案なんだって思ったら言えるかもしれないですね・・・私はいまでもあなたのことが忘れられないけど、裏切られて許せないという気持ちもあるんですね。

自分でもどうしたらいいかわからないです。

あなたにはもう少し私の気持ちを受け止めてよって言いたいです。

もっと時間がほしいです。

だから、気持ちが落ち着くまで側にいてほしいです」

それを伝えられれば、仮に彼が「ノー」と言ったとしても、いまの彼女の状態よりはラクになれるはずです。

彼が彼女の気持ちを受け入れようとしないのなら、「逃げないで、私の気持ちを受け入れてほしい」と自分のほうから主張する・・・そうできるように、彼女自身が自分の価値を認めてほしいと私は思いました。

もちろん相手の同意なしに、力ずくでその要求を通すことはできません。

それでも、自分の気持ちを「第一の感情」のまま表現できれば、その結果のいかんにかかわらず、心の痛みはその分だけ軽くなるでしょう。

人間関係というのはあくまでもお互いの関係性で成り立っています。

だから彼女がこれまでとは違った接し方をすれば、相手も変わらざるを得ません。

自分の対応が変われば、支配したり操作したりしなくても、相手は必然的に変わるのです。

そうなれば彼との間でも、いままでの恋愛関係とは異なる新しい関係を築けるかもしれません。

悪感情を手放す以上に大切なこと

彼女に本当に学んでほしかったのは、「彼への憎しみを手放す」以上に「自分を大切にするとはどういうことなのか、それを知ること」でした。

彼女に必要なのは、さまざまな問題を我慢してあきらめてしまうことではなく、自分を価値ある存在として認め、大事にし、そのためにはどう行動していけばいいのかを考えることでした。

そう考えると、彼との恋愛でこのような問題が起きたのは、決して偶然とは言えないでしょう。

彼女がかわらなければ、彼との問題が起きなくても、いずれはどこかで似たような状況に直面するに違いありません。

彼女が悩んでいたのは彼との恋愛問題でしたが、根本的な問題はもっと奥にありました。

言い方を換えるなら、彼女の生き方に少し問題があったから、彼女は彼を選び、起こるべくして問題が起こったと言えるのです。

例えば、彼女の理想の男性像は、「甘えられて、黙っていても自分をぐいぐいと引っ張ってくれる男性」でした。

一方、彼は「自分に逆らわないで、黙って尽くしてくれるような女性」を求めていました。

この二人の関係は、支配・被支配の関係と言えるでしょう。

依存的な彼女の目には、彼のそんな支配的な態度が、とても頼りがいのある男性だと映ったのです。

しかし、実際には彼は「相手を思い通りにしよう」としているだけでした。

彼のほうも、自分に尽くしてくれる彼女を可愛いと感じて優しくします。

ただしそれは、彼女が彼に従順である場合に限るのです。

もしも、彼女が自分を大事にしはじめれば、どうなるのでしょうか。

彼女は従順でいることがイヤになるでしょう。

「甘えたい」と思うよりは、「お互いに話し合える関係になって、大事にし合いたい」と思うかもしれません。

「自分をぐいぐいと引っ張ってくれる人」よりは「自分の気持ちを大事にしてくれる人」を求めるようにもなるでしょう。

たとえ彼が彼女に「従順な女性」を要求し続けても、彼女はもはや、それにはノーを言い、自分の意思をもち、自分の責任で選択して生きていく自由と解放感を選びたいと思うでしょう。

彼との関係は、そんな彼女自身が自分の生き方の誤りを修正するためにあったと言えるのかもしれません。

そう考えることができるなら、結局二人が別れてしまうことになったとしても、その関係の中から得られるものが必ずあるのです。

そうやって彼女が新しい生き方を学ぶことができれば、次に知り合う人たちは、もっと互いに大事にし合える人に違いありません。

彼女は、いっときは恋人との別れで悲嘆に暮れるかもしれませんが、それによって自分自身が変われば、もっと心地よい相手が近づいてきます。

そうやって未来は変わっていくのです。

他人に自分を大事にさせようとしても、恐怖や不安が募るだけ

「私、少し成長できたと思います。今回のことではっきりしました。彼とのことだけではなく、何をやっても満足できずに、いつも不安にかられていたのは、他者を中心にしていたからだって、ようやくわかったんですね」

後日、彼女は、さっぱりとした顔で、私の前にあらわれました。

そして、最終的には別れることになるだろうが、彼が自分の気持ちにつき合ってくれているから、少しずつ憎しみを手放していけそうだと言ったのです。

彼女は、彼に裏切られなければ、本気で自分が変わろうとはしなかったでしょう。

もし、この問題をどうにかやり過ごして彼と結婚したとしても、いつか同じように彼と争うことになっていたかもしれません。

恋愛感情というのはなかなか断ち切れないものだから、逃げようにも逃げられません。

自分と直面せざるを得なくなります。

そんな学び方もあるのです。

「私はきっと怠け者だから、こういう形で自分を追いつめなければ、学ぼうとはしなかったでしょう。私には相応しかったのかもしれません。家を飛び出して独りで暮らそうとしたのも、親から逃げたかっただけだもの」

「そういうふうに考えると、やっぱり、現実は自分でつくっているんだと思いませんか?自分の成長のために」

「はい、本音のところはとても辛いけど、でも、こういうことが起こらないと、自分を大事にするってことが、永久にわからなかったかもしれないですね」

人付き合いを安心と満足に変える唯一の方法

「彼への気持ちはすっきりしてきました。同時に新しい恋愛がしたくなってきたんです。どうしたら新しい恋愛に近づけるのでしょうか」

彼女は恋愛に相手との一体感を求めていました。

それが感じられれば、自分の苦手な人付き合いを解消できるのではないかと考えていたのです。

けれども苦手な人付き合いを安心と満足に変えるには、究極的には自己信頼を高めていくしかありません。
苦手な人付き合いから解放されたいと願うのなら、それを人に求めるのではなくて、自分の中に求めて、自分自身がその時々の満足を実感し、それを表現していくしかありません。

心からの満足感はそれではじめて得られるものなのです。

「あなた自身がまず自分に対して愛を感じ、その愛を表現することではないのでしょうか。あなた自身が愛を感じれば、それが相手に伝わるのだもの」

愛は、呼吸のようなものです。

呼吸の呼気と吸気のように、自分が出せば入ってくるのです。

自分は出そうとせずに愛や癒しを求めても、心の中が愛や癒しを、”欲する気持ち”で満杯状態なら、どこに愛の流入する余地があるのでしょう。

「どんなに誰かがあなたを愛してくれていても、心の中が誰かに満たして”ほしい、ほしい”でいっぱいになっていれば、愛がそばにあっても、その愛を感じることはできないでしょう。
”ほしい”という思いで愛を拒否しているのは自分自身なのだから」

その時々の自分に満足を感じる

人間は誰でも「他者と一体になりたい」という思いをもっています。

私たちの記憶の中には、すべてが一つだという一体感の心地よさが体感として刻まれていて、個人として誕生したときも、その一体感の心地よさを忘れられずに、それを目指して成長していくのだと思っています。

「例えばどういうときなの」
「あなたの記憶には残っていないかもしれないけれど、あなたがお母さんのお腹の中で胎児として生きているとき、母親とのとても心地よい安心感や一体感をもっていたはずなのね。

でも、あなたがこの世に誕生して母親の満ち足りた胎内からから離れるとき、あなたはお母さんから隔てられて、分離感や孤独感といった淋しい感情を味わったかもしれないです」

「覚えてはいないけど、未知の世界へ放り出されたような不安や淋しさは、感じていたのかもしれないですね」

だからこそ、人は一体感を目指して成長していくのかもしれません。

そして、それが得られないために多くの怒りや恐怖が生まれるのでしょう。

調和や一体感を得られないときに、人は悲しいという思いにかられます。

その悲しさを変形させていったのが、怒りや恐れといったものなのです。

「だからといって一体になることを望んではいけないと言っているわけではありません。欲求はとっても大切です。欲求があるから成長していくのだから」

けれども、「ほしいけど得られない」という飢餓感で行動するのと、「もともと自分の中にもっている一体感を、もっと質の高いレベルで感じてみたいから欲求する」というのでは支柱にしている心の位置が違うのです。

飢餓感を支柱に行動すれば、それが満たされている最中でも、感じているのは飢餓感だけでしょう。

質の高い欲求というのは、最終目標の欲求は欲求としてもちながら、そこにとらわれないことです。

最終目標にとらわれず、そこまでに至るプロセスのどの段階にいても、その時々の満足を大事にすることなのです。

「他者の目を気にせず自分を大切にして、その時々の自分に満足を感じることができれば、それが自己信頼につながると思います。」

”ほしい、ほしい”状態をエスカレーターとするならば、「満足」は、階段と階段の間にある踊り場のようなものです。

欲求したら、その都度その都度、踊り場を踏みしめて下さい。

「要するに、満足って、自分をどれだけ信じられるか確かめる作業のようなものではないでしょうか。自分が自分の能力や価値をどれだけ信じられるか、満足を通して自分の価値を自分で実感する。それが自己信頼を高めるということだと思います」

他人の目を気にしないことは自信になる

他人の目を気にしないというのは、周囲の人たちと立体関係を築くということです。

立体関係なんて、ちょっとわかりにくいかもしれませんね。

惑星が太陽を中心にして公転していることをイメージしてください。

私たち一人ひとりが太陽だとします。

私たちは油断をすると、つい他人の目を気にしてしまいます。

会社で上司を中心にする。

嫌われるのが怖いと友人を中心にする。

恋愛では相手を中心にする。

こうして、他人の目を気にしてしまいがちです。

しかし自分を太陽に見立てるのなら、親も恋人も上司も友人も、他者は自分の惑星なのです。

もちろん、相手を支配したりコントロールしたりしようとすれば、利己主義になってしまいます。

しかし、それを手放してさえいれば、自分が望む道を自分の意思で選択して自由に生きることが、誰を傷つけるというのでしょう。

「例えば、あなたが仕事で独立しようと決めたとしても、それを止める権利は誰にもないでしょう」

親は心配かもしれません。

しかし親が心配だからといって、彼女の意思を尊重するならば、それをあきらめさせることはできません。

会社に迷惑をかけてしまうかもしれません。

あるいは親に資金面で援助してほしいと頼まなければならなくなるかもしれません。

このように他者と関わる問題が出てきたときは、前述したように、まず自分の「やりたいこと」を中心にして、そのためには「どういうふうに解決していけばいいか。どういう形で援助をしてもらうか」などを提案して、話し合っていけばいいのです。

そういう姿勢でお互いに納得のいく話し合いができるなら、すべての人が自分を中心に置いていて、どれほどの不都合が起こるというのでしょうか。

こうやって支配とコントロールを手放せば、それぞれが太陽であり、お互いの惑星であるという関係で、立体的につながっていけます。

このようにして立体関係を築ければ、ひとり一人の個性が輝き、しかもそれは全体の調和を乱したりはしないでしょう。

「理想論に聞こえるかもしれないけれど、いまは多くの人が、他者に意識を向けているでしょう。だからこそ、自分を取り戻すために、とりあえずは自分だけをみる。それで充分ではないでしょうか」

少なくとも、もしもあなたが、いまの生き方でうまくいかないと感じていたり、トラブルや悩みを抱えていたりするのだとしたら、いまのやり方は適切ではないということです。

適切ではないやり方にいつまでもしがみついているより、新しい見方、やり方を試してみてはいかがでしょうか。

他者の目を気にせず自分を大切にする意識をもつ。

肉体の感覚に意識を向ける。

表現することの快感を味わう。

こうして、自分への信頼度を高くしていけば、他者に強制して自分を認めさせたり、自分を抑えて他者に合わせようとしたりしなくても、お互いに認め合うことができます。

そのとき、自然に他者と近しくなっている自分に気づくことでしょう。