“自分の立場に相応しい行動をする”

アメリカの本の翻訳で、「収入に見合った生活をすること」という言葉が出てきた。
そのときに、私は次のような解説を書いた。

「これは収入についてばかり言えることではない。

快適な人間関係を持って社会生活をしたいなら、収入に見合った生活をすると同時に、自分の社会的立場に相応しい行動をすることである。」

見ていると、何が見合った生活なのかと言う基準が分からない人が多いようである。

周囲とごたごたを起こす人は、どういう基準で自分が生活したらいいのかわかっていないのである。

周囲の人から、「あの人が出しゃばりでなかったらどんなに助かるだろう」と思われる人がいる。

その人が出しゃばりでなければ部下として使いたいと上司は思う。

有能な人ではある。

しかし、人々がその人を使うのに二の足を踏むのは、その人がでしゃばりだからである。

係長のうちから課長の態度をしたがる。

新人のうちから主任の役割をしたがる。

知人のうちから友人のふりをしたがる。

友人のうちから恋人として振る舞いたがる。

補欠のうちから正選手の脚光を浴びたがる。

中堅どころのビジネスマンのうちから大物ビジネスマンの出るような会合に出席したがる。

素人のくせに専門家のような顔をしたがる。

六人兄弟の末の妹が、親の葬式で喪主の役割をしようとする。

そうすると、周囲の人は、そのひとの存在が困ることになる。

要するに、広い意味で自分の能力よりも大きな立場を要求する人は、何が自分に見合った生活であるかというきじゅんがわからないのである。

社会がその人に期待する役割を果たす人は、社会から尊重される。

人は誰でも社会から何かを期待されている。

社会と言うのが大げさなら、周囲の人々でもいい、あるいは会社と言ってもいい、あるいは仲間内と言ってもいい、家族でもいい。

ところが、その期待されている役割と違った役割を果たそうとするから、周囲の人から嫌がられるのである。

周囲とごたごたの多い人は、たいてい周囲の期待する役割と違った役割を演じようとしている。

しかし、周囲はそれを望まない。

そこで本人はいつも不満でイライラすることになる。

見合った生活の基準を間違っているのである。

ある英語学校の先生である。

初級コースの先生なのに、私は〇〇大学を卒業し、アメリカにも行ったし、ということで、初級の英語を教えたがらないで、偉そうな話ばかりしている。

生徒も嫌気がさしてその先生を尊敬しない。

やがて辞めさせられた。

その先生は、いつも面白くなさそうな顔をしていた。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには、自分の立場にふさわしい行動をすることである。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著