自己不信が受け身で外化されると、自分は相手に信じられていないと思ってしまいます。

他人はみな自分を信じていないように感じます。

「誰も私のことなんか信用していない」と感じるようになってしまいます。

自分を信じられない。

その自己不信を受け身で外化すると「あいつが私を信じていない」ように感じます。

自己不信を受け身で外化する人は、病気で会議に欠席する時に「病気です」と言っても、皆は自分が病気だと信じていないのではないかと思います。

自己不信の教授が病気で休講の連絡を大学にします。

それが本当でも「きっと皆は自分が怠けて休講したと思うだろう」と推測します。

こういう人たちは感情的恐喝に弱いのです。

つまりたとえば「友達なのに私を信じてくれないのね」と脅されます。

不動産を買うときに騙された人です。

不動産屋が瑕疵のある土地を売る時に買い手を騙すために言った言葉、「隣人同士なのにゆずってくれないのですね」
この言葉で脅されて、譲ってしまいます。

自己不信を受け身的に外化する人は、ずるい人に何でもされてしまいます。

自分が自分を信じていないときに、受け身ではなく積極的に外化すると「あいつは信じられない」になります。

自分が自分を信じられないのに、「あいつを信じられない」となります。

自己不信を積極的に外化する人は、じぶんが嘘を演じているから、人を信じられないのです。

こういう人には前向きに生きるエネルギーはありません。

本気で仕事をするエネルギーはありません。

相手に愛されていても、
愛されていると信じられません。

どうしても相手のすること、言うことを疑ってしまいます。

自分が信じられないと他人を信じられない。

よく「そんな書類、偽造だよ」と騒いでいる男がいます。

あるいはすぐに「あんなもの信じられないわよ」などと騒いでいる女がいます。

なんであんなに「信じられない、信じられない」と騒ぐのかと首をかしげたくなる自分が信じられない人がいます。

十分に証拠もあり信じられることを信じられないのは、その人の自己不信を表しています。

これらの人は自己不信を積極的に外化しているのです。

自己不信を積極的に外化する人は性格的には非抑制型の人であり、受け身で外化している人は、抑制型の人です。

そして自己不信を外化している人は、同時に自己蔑視も外化しています。

ようするに皆自分を裏切って生きてきた人々です。

そういう自分が信じられない人たちは皆、自分を裏切って、周囲のたちの悪い人に迎合して生きてきてしまったのです。

生まれてきた以上、誰でも周囲に適応しなければなりません。

幸いにして養育者をはじめ周囲の人が、その人に関心を持ってくれる人だったのです。

そうでなればその人はその関心の中で心理的に成長できます。

しかし周囲の人がその人に無関心でした。

でも生きていかなければなりません。

そういう自分が信じられない人は途中で問題を起こす人もいるし、頑張って無理をして適応していく人もいます。

しかし社会的に適応できても心理的には適応できません。

そこで外化が始まります。

要するに自己不信の人も自己蔑視の人も皆、社会的に適応できているが心理的には適応できない人たちなのです。

※参考文献:イライラのおさめ方 加藤諦三著