自分になるということは、自分を信頼した行動ができることです。

ですから、自分になるためには、自分を信頼した行動を心がけ、積み重ねることです。

このとき、生真面目さで自分を束縛しないことです。

「自分らしくしなければ」ということで、しゃかりきになるのではなく、素直なありのままの自分であろうとすることです。

日本語は、必ずしも主語を必要としません。

そのために、自分の感覚や感情が希薄でも、なかなかそのことを意識できません。

また、自己主張よりも自己抑制が賞賛されます。

こうしたことが、期待された役割を生き続けてしまう一因にもなります。

自分であるために、できるだけ主語をつけて、積極的に表現する努力をすることです。

「私はこう感じます」「私はこう思います」「私はこうしたいです。」と。

これは自然なことですから、楽なはずなのです。

でも最初はなかなか努力がいります。

それでも、そのうちにきっと楽になります。

何しろそれが自然なことなのですから。

自分の感覚を信頼する

自分の感覚を大切に

感覚は自分の出発点です。

自分を生きることは、自分の感覚を大切にすることから始まります。

ところが、期待された役割を生きる人は、自分の感覚よりも、どう感じるべきかに心を向けてしまいます。

たとえば、展覧会に行っても、作品から受ける自分の感覚にどっぷりと浸かるのではなく、そのように感じるべきなのかと気になり、つい解説書を読んでしまいます。

そうではなく、素直に自分の感覚を信じることです。

いつでも自分が感じていることをしっかりと感じ、意識し、味わうようにすることです。

そして、自分が感じていることをできるだけ言葉にしてみることです。

言葉で表現しようとすることで、感覚をしっかりと自分のものにすることができます。

「鮮やかな色彩で、目が覚めるような感じ」とか、「なにか沈んだ気持ちになるけど、どこか懐かしさが感じられる」などと。

たとえその絵が有名な作品だとしても、作者が著名な人だとしても、自分が良いと感じなかったら、「私は好きじゃない」などと、率直に言うことです。

骨董品などを専門家に鑑定してもらうテレビ番組を見ていると、素人はいかに作品を見ることができていないかが分かります。

また、たとえどんなに高額でも、自分の部屋に飾ることは遠慮したい、という作品が多くあります。

私たち素人は、自分の感覚を大事にして、自分が好きな作品なら、それで十分なのです。

全く期待はずれの鑑定になった時に、鑑定士の方が、「(その品を)大切にしてあげて下さい」という言葉をしばしば添えるのも、このことを伝えたいためではないでしょうか。

なにに対しても、この姿勢を保つことです。

音楽を聴くなら、音楽によって内から湧いてくる自分の感覚やイメージ、感情に浸りきることです。

「自分が感じていること」をしっかりと感じ、意識し、味わうようにすることで、感覚が次第に磨かれていきます。

興味があれば、その後で解説書を読むのもよいでしょう。

自分の感覚を信頼すると、自分の感覚と乖離していいた知識が感覚と結び合うようになります。

それにより、知識を増やすことが、より深く、より豊かな体験へと導いてくれるようになります。

自然とつながる

自分の感覚を回復し、味わうには、自然に触れる体験も有効です。

私たちは自然の中から誕生し、自然のなかで進化してきたのに、現在はその自然から切り離されて生活しています。

自然に触れることによって、私たちが本来持っている心と身体の奥底の感応性が刺激されます。

そのために大地とつながる体験をすることです。

裸足で土の上や砂浜を歩いてみると、足の裏にいろいろな感覚がもたらされ、改めて大地の上に生きているのだと実感します。

草むらに大の字の横たわってみると、母なる大地に抱かれているという感覚になります。

青い空へと身体が吸い上げられるような感覚にもなります。

水とつながる体験も有効です。

私たちは水の中で誕生し、身体の三分の二が水であることと結びついているのでしょうか、お風呂にゆったりと身を浸す気持ちの良さはなんともいえません。

のんびりと水に身をまかせて浮いていると、周囲の水に自分が融合したかのような感じがします。

大人になって自然と接してみると、子どもの頃とは違った感覚が得られます。

いくらでも新たな発見があります。

自分の感情を信頼する

感情と結び合う

感覚が自分の出発点だとしたら、感情は自分を方向づける出発点です。

客観的な思考によって物事を判断し、決定していると思いがちですが、私たちは日々、感情によって選択し、決定しているのです。

誰と親友になるか、誰と恋愛関係に陥るか、誰と結婚するか、いかなる職業につくか、大学でなにを専攻するか、レストランで何を注文するか、デパートでどの服を買うか、今晩の献立をどうするか。

いずれも客観的な資料により論理的に判断するよりも、自分の感情に従って判断する比重がはるかに大きいのです。

ところが、期待された役割を生きる人は、自分の感情よりも思考によって判断しようとする傾向があります。

自分の思いと裏腹な選択や決定になってしまうと感じることが多いのは、このためなのです。

また、優柔不断に陥りがちなのも、ここに一因があります。

感情と自分とが結び合うことは、自分が主体になる基本的な条件です。

自分の感情を大事にして、感情に素直に従う行動をとろうとすることです。

そのためには平気を装わないことが大事なことです。

私たちは、感情をないがしろにすることを日常的に求められます。

それは、たとえば、日々の挨拶でもそうです。

「元気?」と挨拶されたら、「元気」と答えることになっています。

英語でも、「Are yo fine?」に対して「I am fine」と答えることになっています。

また、落ち込んでいる様子を見て、他の人が心配して「大丈夫?」と声をかけてくれたときには、「ありがとう、大丈夫」と答えるのが通常になっています。

こうした姿勢が身についているので、つい私たちは平気を装ってしまいます。

そうではなく、「大丈夫?」という問いかけに対しては、「ありがとう、気持ちの整理にはもう少し時間がかかりそう」とか、「まだひどい状態」などと、付け加えて答えるようにすることです。

気持ちでは拒否したいのに、それを受け入れてしまう姿勢も身についています。

たとえば、もう手一杯なのに「この仕事手伝ってくれる?」と頼まれると、「いいわよ」と受けてしまったりします。

散髪に行って「これでいいですか?」と鏡に映しながら聞いてきますが、ちょっと見て少し雑だなと思っても、「けっこうです」と答えてしまったりします。

ちょっと気持ちが引っかかりながらも店員が勧める服を買ってしまって、後で後悔するようなこともあります。

自分の感情に聞いてみて、望むことと望まないこととの区別をつける努力を心がけることです。

感情を表出する

感情は人間にとって自然で、根底的なものであり、自分の中の否定的な感情を責める必要はありません。

いかなる感情を持つかは、まったく自由です。

統制すべきは感情ではなくて、行動なのです。

許容される形で自分の感情を表出することです。

そうでないと、些細なことで大きく感情を乱すことにもなりかねません。

また、強い感情を抑圧していると、感情は変質していきます。

たとえば、怒りを抑圧して表出できないと、恨みや怨念に変わっていきます。

それが過ぎると、卑小感、無力感、自己無価値感などに変質します。

ですから、感情を素直に表出することです。

期待された役割を生きる自分の強い人は、とりわけ、泣く、わめくなど退行的な感情表現を抑制しがちです。

思い切ってそうした激情に浸ってみると、すっきりするものです。

Aさんは、いつもはつらつとして、とても魅力的な発達心理学専攻の女性教師です。

Aさんは、年上の男性教師とチームを組んで仕事をしなければならないのですが、その男性教師は若いときから人を傷つけがちの人でした。

彼女の苦労が偲ばれ、ある時「大変でしょう」と聞いたら、「そんな時は、研究室にカギをかけて思い切り泣くの」と、明るく笑っていました。

カウンセリングにおいても、ずっと泣き続け、それだけでスッキリして帰る人が珍しくありません。

涙とともにストレス物質が体内から排出される、ということを実証したとする研究もあります。

泣きたければ、思い切り泣くことです。

ただし、相手を傷つけることは許されません。

相手を傷つけずに、感情を表出する方法として、次のようなことを参考にしてください。

「私」を主語にして、自分の感情を語る

たとえば、「私は今、自分の誠意が踏みにじられたようでとても悲しい」などと、「私」を主語にして、自分の感情を語ることです。

こうすると、相手は、あなたが心を開いてくれていると感じて、あなたの感情を受け入れやすくなります。

これに対して、「あなた」を主語にすると、しばしば相手を責める言葉になりがちです。

第三者に聞いてもらう

信頼できる人に、感情を表出することです。

今の自分のつらい気持ちを伝え、「とにかく今は甘えさせて」とはっきりと依頼することです。

混乱した感情から立ち直ったら、今度は自分が相手に甘えさせ、感情を受けとめてあげることです。

書きなぐる

自由連想法的に単語でもなんでもいいので、ノートや白紙に書きなぐることです。

絵の方がよければ、絵でも結構です。

書きたい気持ちをぶつけるつもりでどんどん書きます。

書いているうちに気持ちが高じてきて、どんどんと深い感情に触れることができるようになります。

逆に、書いているうちにばかばかしくなってしまうこともすくなくありません。

大声で叫ぶ

野球場やサッカー場に行って大声で好きなチームの応援をするとか、誰もいない海やカラオケ店など大声を出してもよい場所で、「バカヤロー」などと思い切り叫ぶことです。

新人の女優さんを育てるインストラクターによると、女優さんが思いっきり罵詈雑言を叫べるようになると、殻が取れて自然な演技ができるようになるのだそうです。

代理的行動化

たとえば、怒りや恨みなどの感情を、サンドバッグをたたくことで表出するなどです。

ベッドに寝て、幼い子どもがだだをこねるように両手、両足をベッドにたたきつけるとか、新聞紙を丸めてそこら中を叩き回るのも、スカッとするかもしれません。

人は誰でもいつでもいろいろな感情を抱えながら生きているものです。

感情をすべてすっきり吐き出せるということなど、期待しないことです。

ただ、これだけはすっきりさせないと気持ちが穏やかでない、という感情はとどめ置かないで吐き出すことです。

なかには、親への恨みなど、過去の感情にあまりに強くとらわれているために、過去の感情を表出することが必要な人がいるかもしれません。

自分の身体を信頼する

身体感覚の回復

子宮のなかでも、誕生してからも、赤ん坊は、自分の指や腕や足を吸ったり、舐めたりして、自分の身体で快感を味わっています。

このように身体はもともと快感の源泉なのですが、期待された役割を生きる人は、身体感覚を楽しむよりも、身体をコントロールの対象として捉える傾向があります。

統合された自分とは、身体との統合でもあります。

身体との統合のためには、身体との融合体験を積み重ねることです。

その第一歩が、身体感覚の鋭敏さを取り戻すことです。

期待された役割を生きる人は、身体感覚の鈍感さと、ある種の自己感覚の鋭さが同居しています。

この自己感覚の鋭さゆえに、身体感覚も人一倍鋭くなる可能性が秘められています。

身体感覚の回復には、毎日、五分でも結構ですから、何もしない時間をとって、身体感覚を意識してみることが有効です。

この時間をとりやすいのは、就寝前の時間です。

照明を落として、テレビやラジオも消します。

1.ベッドに寝て、全身の力を抜きます。

身体をゆらゆらすると、脱力できます。

それでも脱力できない箇所があったら、そこを思い切り緊張させ、一気に脱力するという方法をとります。

2.軽く目をつむり、三、四回ゆっくりと腹式呼吸をします。

3.普通の呼吸に戻って、自分の身体に意識を向けます。

意識を集中するというような感じではなく、軽く意識を向けるという状態です(心理療法である自律訓練法で受動的注意集中と呼んでいるものです)。

すると、たとえば、肩が凝っているとか、みぞおちの辺りの違和感、目の奥のちょっとした痛みなど、いろいろな身体感覚が感じられます。

凝りをほぐしたいと思ったら、肩をゆすって心地よくします。

お腹の違和感なら、お腹に軽く手を当ててみます。

4.特に感じることがなければ、意識を順次、足先から頭の方に移していきます。

これをやってみると、自分の身体について気付かされることが多々あります。

心臓の拍動とともに、血液が体内を流れていく感覚。

呼吸すると、空気が鼻から入り、肺の方に送られ、暖められて鼻から出て行く感覚。

日中顔を緊張させているためでしょうか、頬の筋肉が堅くなっていることがある人もいます。

目の周囲の筋肉が疲労しているのを感じることがあります。

多忙のために、なにもしないという時間を現代人はほとんど持っていません。

また、疲れたとか、熱がある、あるいはどこか痛いなどという場合を除いて、自分の身体に意識を向けることもありません。

ですから、こうした穏やかな身体感覚に浸る時間は、自分を身体ごと取り戻すように感じられ、安らぎと癒しが得られます。

自己スキンシップ法

身体を感じ、身体を自分に統合するためには、身体との融合を体験することが有効です。

子どもは、親に抱きしめられるというスキンシップ体験により、身体を含めて自分の全てが受け入れられているという実感を持ちます。

大人になっても、愛する人に抱きしめてもらう、愛撫してもらうという体験には、こうした幼子と共通の作用があります。

しかし、期待された役割を生きる自分の強い人は、安心して他の人に自分の身体をまかせきることが困難です。

そのために、セックス・カウンセリングで用いられる自己スキンシップ法を試みてみる価値があります。

これは、自分で自分の身体を愛撫しながら心地よい身体感覚に浸ることで、身体との融合を体験するものです。

1.静かな部屋で、ゆったりとした気分でベッドに横になり、3,4回深呼吸します。

2.私たちの身体は大部分が水でできていますが、その水が体液となって自分の身体のなかをゆっくりと流れているとイメージします。

3.そのイメージを手の先から足の先まで広げていきます。

4.体液の流れに沿うような感じで、手の平でゆっくりと身体をさすります。
顔、首、肩、胸、お腹、太もも、右腕、左腕と、自由にまんべんなく。

気持ちがよければ、「素敵」とか「いい気持ち」などとつぶやいてみます。

また、「私は自分が好き」と頭の中でゆっくりと繰り返します。

このスキンシップの感覚を存分に楽しみます。

自己スキンシップ法を行うと、自分で身体に触れる心地よい感触に改めて気がつきます。

また、快感は性器だけに限定されるものではないことが分かります。

自分の身体がいとおしく感じられ、自分の心と身体とが融合しているという満ち足りた気持ちになります。

運動やスポーツ

運動やスポーツもまた身体との融合状態をもたらします。

ウォーキングなど比較的ゆったりした運動では、心地よさとともに身体との融合感覚が意識されます。

ヨガや太極拳、ストレッチングなどは、より深く身体との融合を体験できます。

踊ることもまた身体感覚と自分との融合状態を引き起こします。

激しい動きをするスポーツでは、無我夢中になることで自分と身体の乖離が消滅します。

テニスで熱中しているときには、ボールや相手の動きに対応して「自分が」動いており、自分と身体とは乖離していません。

ボクシングなど格闘技では、いっそうこの忘我状態がもたらされます。

心地よさや健康のためばかりでなく、身体との統合のためにも、好みの運動を日常生活に組み込むことは有益です。

※参考文献:「いい人に見られたい」症候群 根本橘夫著