自己評価が低い人が自信をもつ初め

過程よりも結果を重視する

自己評価が低い人は、過程よりも結果が大切になる。

それは自分をどう評価しているかを気にするからである。

自分の可能性を追求しないで、人を意識した行動ばかりをする。

何でそうなるか。

「自分探し症候群」の人は、「本当の自分」が分からなくて、自己不在である。

従って自分で自分を評価出来なくて、人からの評価が気になる。

そこで当然自己評価が低い人は虚栄心が強い。

この点でヒステリー性格の人に似ている。

つまり「自分探し症候群」のは、「実際の自分」より自分を高く見せようとする

だから無理を自己評価が低い人はする。

無理をするということは例えば、自分の給料からすれば買うことの出来ないような高級車を買う。

そして一人で得意になっている。

周りは愚かと思っているのだが、本人は気がつかない。

クラス会の時、帝国ホテルで食事をして、「『ホテルオークラ』の方が美味しいんじゃない」と言いながら、帰りに安いファストフードを買って帰るような人である。

そして何をしても、自己評価が低い人はしていることが好きではない。

従って自己評価が低い人は自分がしていること自体から満足を得られない。

成果が出なければ自己評価が低い人は満足出来ない。

逆に自分のある自己評価が高い人は、無理をしない。

自己評価が高い人はしていること自体から満足を得られる

従って自己評価が高い人は「自分探し症候群」の人に比べれば、結果を気にしない。

そして人知れず何かを続けている。

「自分探し症候群」の自己評価が低い人は、いくら「結果よりも過程が大切だ」と言われても、していること自体に興味がないから、「過程よりも結果が大切」になる。

「自分探し症候群」の人にしてみれば、結果がよくなければ、何のためにそれをしていたのか分からない。

従ってどうしても自己評価が低い人は利己主義者になる。

自己評価が低い人は自分の問題が整理出来ない

「自分探し症候群」の人は自分の問題が整理出来ていない。

知人から見ると自己評価が低い人は、「あいつはどうなっているんだか分からない」という状態である。

仕事がどうなっているのか、家族がどうなっているのか、将来何をしようとしているのだか、何がどうなっているのか分からない。

今つきあっているあの人が恋人なのかただの友達なのか、分からない。

例えば「仕事がどうなっているのか分からない」ということは、今している仕事の性質が分からないということと同時に、本人はそれがアルバイトのつもりなのか、定職のつもりなのか分からないということである。

とにかく周囲の人から見て自己評価が低い人は「何か知らないけれども訳の分からない人」である。

部屋でいえば、それは居間だか台所だか書斎だか玄関だか分からない。

極端にいえば自己評価が低い人は周囲の人から見ると得体の知れない人なのである。

自分の踏んでいる階段が自己評価が低い本人も何段目だか分かっていない。

整理が出来ていないと生きることが快適ではない

それは整理された部屋と、散らかり放題散らかっている部屋とでは、どちらが住んでいて快適かというのと同じである。

では、整理するとはどういうことか?

「これは自分には難しい、これは自分に出来る、これは今から準備を始める、三年後には解決する、あと二年すればこの人とは関係なくなると思うこと」などである。

何が今自分の問題なのかということが自己評価が低い人は整理出来ていない。

そこで今の困った状態に自己評価が低い人は手も足も出ない。

何をするにも自己評価が低い人は準備が出来ていない、整理が出来ていないということは、何を先にするのかというような順番が分からないということである。

自己評価が低い人は必要なものと不必要なものを区別する

日々のことが整理されていないと、いいことがあっても気が重い。

いらないものを捨てないから、自己評価が低い人は気が浮かない。

重い鞄を自己評価が低い人は、整理しよう!

持っていなくてもいい物とそうでない物とを分けていったら、捨てられる。

従って自分のある人はシンプルだけれども、自己評価が低い人は複雑である。

よい服は、生地そのものがシンプル。

食べ物も、美味しくてよい物は新鮮な素材を使い、シンプル。

高く見せるために飾りをつけていない

老いるということは周りを整理していくことである。

有名な成功者でも見ていると、老いの準備をしないままに不安が先に立って焦って忙しくしている自己評価が低い人がいる。

生きることを、いかに終わるか。

エネルギーは必ず終わる。

自分が分かれば、自分探しが成功すれば、自分に必要なものと、必要でないものとの区別が出来る

トラブルを一つ一つ自己評価が低い人は解決しよう

今まで起きたトラブルを自己評価が低い人は解決していない。

現実の小さなことを自己評価が低い人は一つ一つ解決していない。

何よりも生活基盤にかかわる問題が自己評価が低い人は解決されていない。

人間はその年代その年代で解決すべき大きな問題が生じる

「その年代、その年代に起きる大小の様々なトラブルをいかに解決するか?」ということが成熟した大人になるためには重要である。

ある離婚調停中の自己評価が低い女性である。

「今の離婚騒動をどう解決するか?」が自己評価が低い彼女にとって最大の課題である。

それなのにその問題から自己評価が低い彼女は逃げて知人のペットの世話に行っている。

それは知人のペットの世話をしていれば、自己評価が低い彼女は知人から大切にされるからである。

しかしこれは知人にとって自己評価が低い彼女は都合のいい人間になるというだけのことである。

ある若い二代目経営者は総務部長が色々と問題のある人だと分かっている。

彼はしかしその人事に手をつけないで、銀座で毎晩のように飲み歩き、時には有名なゴルフコースに出かけて行く。

ことさら会社の経営に今のところ問題が出てきている訳ではない。

しかし社員の心は次第に離れていっている。

やがてツケが来るのは自己評価が低い彼には目に見えている。

またある財界二世である。

財界二世といっては少しオーバーであるが、要するに二代目社長である。

とにかく常軌を逸して自己評価が低い彼は働いている。

家族も何も犠牲にして自己評価が低い彼は猛烈に働く。

ただ働く割には自己評価が低い彼の会社の業績は上がっていない。

この二代目社長は父親との対決をしていない。

そして父親から求められた期待を自己評価が低い彼は実現できないので、自己憎悪に陥っている。

その劣等感から自己評価が低い彼は猛烈に働いているのである。

働いていないと自己評価が低い彼は不安である。

心の中の問題を自己評価が低い彼は解決していない。

またそのことから出てくる現象を自己評価が低い彼は解決していない

現実の生活の面にしろ、心の問題にしろ、自己評価が低い人は、本来解決すべきことを解決していない。

はじめに記したように問題が整理されていない。

一つ一つの問題が解決されていく過程で「本当の自分」が見えてくる

このように逃げていると自己評価が低い人はいつまでたっても「本当の自分」は見えてこない。

人が自信をもつにはイヤなことを書き出してみる。

忙しい人ほどスケジュールが詰まっている。

確定している。

生きるのが下手な自己評価が低い人は整理が下手な人。

計画表を作るが、いつも計画倒れ。

自分が現実の上に立っていないで、出来ると思う感覚で計画を書いている。

そこで、計画倒れになる。

そういう職場や学校のイヤなことを自己評価が低い人は全て書いてみる。

自分の一週間の生活を見れば、自分が見えてくる。

全くの空白の時間もある。

何をしていたか覚えていないし、しっかり覚えている時間もある。

それが自分にとって大事な時間。

それが一番大事な時間。

それを頭に置いて次の週の計画を立てる。

「自分探し症候群」の人は、基準がわからないから無理をしている

限界の基準が分からず、自己評価が低い人は無理をしてしまう。

努力をするのだが、自己評価が低い人はその努力が実らない。

限界を教える親と不可能を要求する親がいる。

その違いは子どもにとって天国と地獄の違いである。

親から限界を教えてもらっていない。

母なるものを持った母親は「この場合にはこうするのよ」とか、「これがあなたの限界よ」とか教えてくれる

ところが神経症の自己評価が低い親は、自分のことで精一杯だから子どもに限界を教えるということをしない。

自分の心の葛藤に自己評価が低い親は気を奪われて、子どもどころではない。

「自分探し症候群」の自己評価が低い人は、端から見ると欲の皮が突っ張っているのだが、本人は自分の人生を「どこまでやっていいか分からない」のである。

親がその子に限界を教えていない。

だから自己評価が低い人は誰と会っても、その人と自分を比較してしまう。

ゴルフの上手い人に会えば、自分が愛犬と散歩をする幸せがあることを忘れる。

そして相手が高い会員権を持っていて、ゴルフも上手くて、ゴルフ仲間もいてと相手を羨ましがるし、自分を惨めに思う。

自己評価が低い人は達成感がないと自分は自分と思えない

親がこれでもかこれでもかと期待をするから、いつまでも自分の限界が分からない

小さい頃、夜遅くまで算数を勉強した時に「凄いに、ここまで頑張って」と言ってくれる親がいなかった。

そう誉めてくれる親がいて、夜中の一時まで勉強してここまで出来たということが分かる。

そこで達成感を味わった。

「頑張った」というエネルギーが分かる。

ある子どもである。

30問の宿題が出た。

子どもは頑張った。

それなのに母親は「1問残っている」と言った。

これは母親の方が問題。

そして算数も国語もやれと母親は言う。

この子どもはエネルギーを失っている。

しかし、そこで誉めればエネルギーが出る。

「30のうち1題でもいいから解きなさい」と言えばエネルギーが出る

一問出来れば、凄い。

ここで誉める。

ここで励ます。

「出来るところまですればいい」

「お母さんも起きているからね」とお母さんは言う。

その話を先のお母さんにした。

すると「えー、一問だけでいいんですか?」と言った。

「30問やっていけないといけない」と、この母親は思っている。

この母親の中には憎しみがある

トイレ掃除はこの自己評価が低い子はしている。

何とか母親に認めてもらいたい。

しかしやってもやっても自己評価が低い子に母親は認めてくれない。

こうした子どもが最後には母親殺しに走る。

達成感を持てれば、自分より多くの問題を解いた友達と会っても、自分は自分と思える。

しかし次から次へと期待をする親に育てられれば達成感がないから、自己評価が低い自分は自分と思えない。

だから自分より出来る人に会えば、惨めになる

自分の基準がないと自己評価が低い人は、他人と比較してしまう

いずれにしてもこういう自己評価が低い人は基準がない。

自分の中に基準がないから、出会った人が基準になってしまう。

自分自身が基準ではないから「今日はよく出来た」「今度はよく頑張った」というようにならない。

自分自身が基準なら「今日はよく頑張ったなー」となる。

或いは「もう少し頑張らなければ」となる。

自己評価が高い人は「自分がある」とは自分の器が分かっているということである。

自分の器が分かっていれば、自分に対して非現実的な要求をしない。

それが自分の基準があるということである。

基準がないから、自己評価が低い親になったら今度は「自分の愛をキリストのような愛」と錯覚する。

そしてキリストのような愛でなければいけないと思い込む。

こういう人は自分の限界が分からなくて走っている。

自己評価が低い人は表面的な友達が多い

「自分探し症候群」の人は表面的な「友達」が多い。

本来、人は一人親しい人がいれば後はいらない。

「自分探し症候群」の人は、「今週は毎晩パーティーで・・・」などということをよく言う人である。

「新しい青山のマンションを買って」と自己評価が低い人は言う。

自分の部屋があるのに、それでも自己評価が低い人は人に見せるために新しい青山のマンションを買わないではいられない。

自分の部屋があれば十分なはずなのに、それでは満足しない

自己評価が高い人は自分が分かっている人、自分のある人は、今の自分のマンションを大事にする。

「自分探し症候群」の人は、自分でも分からない自己評価が低い自分に動かされているのであろう。

アルコール依存症、人間関係依存症、名誉依存症、こういう自己評価が低い人は、こんなことをしない方がいいと分かっている。

それをしていてうれしくはない。

でもしないではいられない。

依存症的パーソナリティー

それはそうしないではいられない自己評価が低い性格の人。

虚栄心の強い自己評価が低い人は皆依存症的パーソナリティー。

それを見せないではいられない。

ある自己評価が低い女性が友達5人で食事に行った。

しかし彼女にとっては別の5人でもいい。

2カラットのダイヤモンドの指輪をしてきた。

「彼がちらっとそれを見て、500万円で買ってくれた」と言う。

それを言わないと相手にしてもらえないと自己評価が低い彼女は思っている。

それで後で悪口を言われている。

後で軽く見られている。

見栄のある自己評価が低い人はものに触る。

「ステキですねー」と言いながら2カラットのダイヤモンドに触る。

普通は「ステキね」で終わる

自分をこの自己評価が低い女性は、大切にしていない。

自分はない。

この女性は、自分よりもっと不幸な人の面倒を見て救われている。

ダイヤモンドを見せ終わった後に、自己評価が低い彼女はどう見られるか。

それに彼女は気がついていない。

軽く見られている。

自分探しが、お金や名誉になっていく。

友達は多いが、悪口を言う友達ばかりである。

自己評価が低い人のトラブルの原因はトラブルそのものにはない

ナルシシストであればナルシシストであるほど悩みは大きい

ナルシシストが「悩まない強い人になろう」と頑張っても効果はまったくない。

とにかくいったんありのままの自分を自己評価が低い人は受け入れる。

そして今述べたように自分を分析してみたら、自分の幼稚さが分かったとする。

そうしたらそれはそれでよい。

年齢の割に幼稚な自分を責めてみても何も生まれてこない

愛されないで成長して情緒的に成熟していたら、その人はお化けである。

だからその幼稚な自己評価が低い自分を受け入れて前に進む。

受け容れるということは、素直に自分を受け容れて周囲に溶けこむことである。

不満な顔を自己評価が低い人がしていると、周囲の人はその人を受け容れない。

素直に自分を受け容れれば、周囲の人はその人を受け容れる

闇雲に自己評価が低い人は母なるものを求めることが自己執着につながる。

自分の母親が母なるものを持った母親なら、小さい頃自分は守ってもらえる。

しかしそうした母親がいなかった自己評価が低い人は、自分で自分を守らなければならない。

それが自己執着である。

そしてそれが人を見る能力を極端に破壊する。

自己執着の強い自己評価が低い人は自分にばかり気を取られて、相手を見る心理的ゆとりがないからである。

ある就活中の大学生である

就活でエントリーシートを書いてくれと、ある先生に言った。

それ以前にその自己評価が低い学生は、その先生を怒らしている。

先生は「私を怒らしておいて、いいこと書いてくれると思う?」とその学生に聞いた。

分からない顔をしているのでさらに「レストランでコックさんを怒らしておいて、美味しいスープを入れてくれると思う?」と聞いた。

そこで分かったようである。

このように自己執着の強い自己評価が低い人は、自分と相手との関係が分からない。

自分の要求することと、自分と相手との関係がずれている

母親なら怒らしておいても、いいことを書いてくれる。

人間関係のトラブルが起きたときに、自己評価が低い人はその起きたことが原因と思っている。

しかしそうではない。

トラブルは昨日のことが原因ではない。

「トラブルはわたしたちの上に降ってわくものじゃない。

こちらからトラブルに首を突っ込んでいくのです。

どんな心配にも常に、それに先立つ事情がある。

私達はその大もとのところで一役買っているのです」

自己評価が低い気むずかしい人の心理

小さな子どもが母親に絡んだり、まとわりついたりする

それが不安性愛着であるが、自己評価が低い人は不安性愛着があるということは基本的欲求が満たされていないと考えてよい。

つまり安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求等が自己評価が低い人は満たされていない。

そうした基本的な欲求は愛着人物との関係で満たされる。

しかし人によっては成長する過程で愛着人物との関係でそれが満たされない。

小さい頃に愛着人物との関係が安定していて、愛情欲求が満たされるというのは、望むときに愛着人物に近寄れるということである。

雷が鳴って怖い時に、お父さんの胸の中に飛び込める。

外で苛められても家に帰ればお母さんが味方になってくれる。

悲しい時にお母さんが側にいて慰めてくれる。

望む時に愛着人物を得られるという安心感が心の安定をもたらす

そうして子どもは成長していかれる。

「望む時に愛着人物を得られないという可能性ほど恐怖をもたらす事態はないと思われる」

愛着人物の「接近性と応答性」という言葉をボウルビィは使っている。

それは愛着人物に望むときに近づき得るということである。

難しく言えば接近性である。

そして近づいたら愛着人物が自分に応えてくれることである。

子どもが「今日、100点をとったよ」とうれしそうに話しかけて、お母さんの袖を引っ張ったら、お母さんが知らん顔をして向こうに行ってしまったというのでは、子どもは不安になる。

それが自己評価が低い人につながる愛着人物の応答性がないということである。

この「接近性と応答性」を、「愛着人物の有効性」とボウルビィは言う。

小さい頃に愛着人物の有効性がなかった人が不安性愛着を引きずることになる

そのように不安性愛着があると、基本が自己評価が低い不安だから相手のちょっとした一言で酷く心が動揺する。

ちょっとした一言で自己評価が低い人は深く心が傷つく。

今そこにいる相手の言動に自己評価が低い人は自分の心の安定が依存してしまう。

よく「あいつは気難しい」というようなことを言う。

この気難しい人が自己評価が低い人だと思っていいだろう。

機嫌がよくても、自己評価が低い人はそれは不安定な土台の上での機嫌のよさであるから、誰かの一言で途端に不機嫌になる。

常に相手に対するどん欲な欲求が自己評価が低い人はみたされていないと不機嫌になる。

愛情欲求が満たされていない自己評価が低い子どもは母親にしがみつく。

大人になれば周囲の人にしがみつくわけにはいかない

しかし心理的には母親にしがみつく自己評価が低い子どもと同じである。

母親にしがみつく自己評価が低い人は子どもは母親に対する要求が大きい。

つねに「こうして欲しい、ああ言って欲しい」というような要求がある。

その要求が自己評価が低い子は叶わなければ傷つく。

そして怒る。

落ち込み自己評価が低い子は不安になる。

しかし自己評価が低い子はそうして拗ねると母親から見捨てられると思えば、不安と怒りを抑えて「よい子」になる。

しかし心理的に自己評価が低い子は究めて不安定である。

それと同じ心理が自己評価が低い子は大人になっても働いている。

不安性愛着障害の大人

傷ついた心は触れられると痛い

不安性愛着障害の自己評価が低い大人は、不安性愛着障害の子どもと同じように嫉妬深く占有的である。

「何かに、誰かに」自己評価が低い人はしがみつこうとしている。

そしてしがみついた人に自己評価が低い人は支配的になる。

そしてその人の何気ない一言が自己評価が低い彼の全存在を脅かす。

心理的に安定した自己評価が高い人にはこれが理解できない。

自己評価が高い人はなぜたわいもない一言で、そこまで怒りを爆発させたのかが分からない。

それは心理的に安定した自己評価が高い人は基本的な欲求が満たされて、心の土台があるからである。

小さい頃、愛着人物の有効性があって、心理的に成長でき、情緒的に成熟している自己評価が高い人がいる。

そういう自己評価が高い人は他人の一言で途端に不愉快になるということがない。

自分が確実に愛されているという感覚をしっかりと持って幼児期、少年少女期を過ごした自己評価が高い人は、別に大人になって周囲の人からチヤホヤされたいとは思わないだろう。

しかしそうした感覚を持たないままに成長した自己評価が低い人は、たえず周囲の人が自分を認めていることを確認しなければならない。

自分が認められているか認められていないかは自己評価が低い人にとって重大な問題なのである。

極端に言えば生死にかかわる問題である。

だから他人の何気ない一言で心が動揺するのである

日常的な言葉で言えば自己評価が低い人ということは心が傷ついているということである。

成長期に愛情関係が自己評価が低い人には確かな関係でなかったということである。

肉体的な傷口に触れられれば、誰でも痛い。

心もそれと同じである。

傷ついた心は触れられると痛い

ちょっとした言葉で傷ついた自己評価が低い人の心は敏感に反応してしまう。

自己評価が低い人は心の傷がない人が無視してしまうような言葉に過剰反応する。

どうでもいいような言葉に自己評価が低い人は激怒する。

「逆鱗に触れる」という言葉があるが、同じ言葉でもある自己評価が低い人の逆鱗に触れるが、別の人の心には何の反応も引き起こさない。

傷ついた心は触れられると痛いが、傷ついていない心は触れられても痛くない

ある一言で心に傷のある自己評価が低い人は落ち込むが、別の人は何も感じない。

不安性愛着障害の自己評価が低い人には感情の土台がない。

だからどうしても周囲の人からすると自己評価が低い人は「気難しい人」になってしまう。

小さい頃、親への不満が深刻であれば、自己評価が低い人は電信柱にも腹が立つ。

自分の問題を他人の問題にすり替える

四十歳の娘のことである自己評価が低い女性が悩んでいた。

娘は三十五歳の年下の男性と同棲していた。

二年後にまた新しく四十歳の同年齢の男性と同棲を始めた。

最近になってこの自己評価が低い女性は、その娘に「仕送りをしている」と言う。

ところが自分にはお金がなくなってきた。

それで「困っている」という悩みである。

娘に仕事をしてもらいたいと、この自己評価が低い女性は言う。

これから娘は「自分で生活していかなければいけないから」と言う。

娘がしっかり生きていかれるようになってもらいたい

そのしきりに自己評価が低い女性はそう主張する。

しかし考えてみると、もし「この子のために」と言うなら、もっと早く、そうしているはずである。

この今という段階で突然「娘にしっかりとしてもらいたい」と言い出すのが不自然である。

盛んにその自己評価が低い女性は、「これから娘がどう生きていくのか心配で、心配で」と言う。

いったい何を言わんとしているかが、分からない

実はこの自己評価が低い女性は、自分自身の生き方や将来が心配なのである。

しかしそれを自己評価が低い彼女は認めたくない。

後から分かったことは、この自己評価が低い彼女は男性との同棲等々自分の娘と同じことを、昔自分がしている。

娘は「お母さん、仕送りして」と言っていない。

この女性はいくら仕送りをしているという金額も言わない。

娘は「アパートの家賃が払えない、送金して」と言っていない。

送金を頼んでいない。

それを言うと自己評価が低い女性は「私のほうで心配して、送金している」と言う。

ようするに自己評価が低い自分が不安だから現実に直面することを避けているだけである。

将来に何となく曇りが出て、自己評価が低い自分が晴れやかではなくなってきた。

それを娘の人生を通して感じている。

「娘は独りなんですよ、独りなんですよ」と繰り返し言う。

それは自分が独りだから、そう言うのである。

「私は独りなんですよ、独りなんですよ」と、この自己評価が低い女性は無意識に言っているのである。

娘のほうは別に今経済的に困っていない。

母親に助けを求めてもいない。

母親に相談もしていない。

「娘の将来が心配」とその女性は言い張る。

この自己評価が低い女は自分の心の中の不安を、娘を通して感じているだけである。

つまり外化である。

「何かが心配な時は、常に、自分が回避している中心的な事実があるのです」

娘の将来ということでその自己評価が低い女性は、相談しているが、そうではない。

その女性は、娘の将来が不安で心配なのではなく、「私の将来が不安で心配」なのである。

その自分の不安と心配を娘に外化している。

そして娘の将来を通して自己評価が低い自分の不安と心配を感じ取っている。

さらにこの人はなぜここまで自分の将来が不安で心配なのか?

それはその自己評価が低い人が基本的に不安だからである。

なぜ基本的に不安なのか?

それは基本的な心の葛藤を自己評価が低い人は持っているからである。

この自己評価が低い女性はふしだらな女である。

でもふしだらな女をこの自己評価が低い女性は嫌いなのである。

自分自身が、自分の嫌っている自己評価が低い女である。

この基本的な心の葛藤が自己評価が低い彼女の不安である。

その不安が外化されて、「娘の将来が不安で心配で」という台詞となって表現されている。

これがこの自己評価が低い女性の悩みの原因の核心的部分である。

娘の将来云々は附随的なことである。

表面的にはこの自己評価が低い女性は普段は控えめな女である。

彼女はそうして男の心を引きつける。

彼女は嘘もある。

そうして男性を自己評価が低い彼女は操縦して生きてきた。

娘も同じように男を操ってきた

自己欺瞞をして生きているうちに、この自己評価が低い女性は、自分自身が見えなくなった。

そして現実をこの自己評価が低い女性は認めない。

現実に向き合うのがこの自己評価が低い女性は嫌。

そこで娘にかこつけて、この自己評価が低い女性は自分のことを話す。

現実否認でこの自己評価が低い女性はエネルギーを消耗する。

正面から現実と向き合っていないということは、真剣勝負をしていないということである

自己評価が低い人は進歩していないということである。

この人はそれは心に核がないからである。

心の支えがないからである。

この人は心に核がないとは、楽しいことがないということである。

自分のことを他人のこととして相談してくるこの自己評価が低い人は、どこかで外化をしている。

自分の問題をこの自己評価が低い女性は他人の問題とすり替えてしまっている。

「私は自分の将来が不安です」とこの自己評価が低い彼女が意識できれば解決はつく。

それは悩みの本当の原因を突き止めたからである。

そうして

大きく成長し、生きることはどんどん充実していく

しかし自分の悩みの核心から眼をそらしてこの自己評価が低い人が「娘の将来が不安で」と言って、人と相談している限り悩みの解決はつかない。

この人の悩みは果てしなく続く。

この人は娘の不安ではなく不安はもちろん他のことでも表現されてくる。

ある人は健康診断でガンの精密検査をするように言われた。

この人はそれだけで心が動揺して、ソファーに倒れた。

不安で仕事も手につかなくなり、この自己評価が低い人は寝られなくなり、生活そのものができなくなった。

基本的に心の葛藤に苦しんでいた

つまり不安に苦しんでいた。

この自己評価が低い人はその不安がガンの不安として外化されたのである。

基本的に不安な人や、基本的に不満な自己評価が低い人は、悩んでいることそのことで不安であったり、悩んでいることそのことに不満であったりしていると思っている。

しかしあまりにも心の動揺が凄い場合には、多くの場合にそれは、その自己評価が低い人の中に積もった不安や不満の外化である。

※参考文献:「本当の自分」はどこにいる 加藤諦三著
※参考文献:イライラのおさめ方 加藤諦三著