私たちは人と交わるとき、意識的、無意識的に自分が傷つかないようにいろいろな防衛策をとっています。

こうした自己防衛策は、巧みに偽装されているので、自分では防衛策だと意識していないことも少なくありません。

しかし、自己防衛策のために心も体も絶え間ない緊張を強いられており、このために人の中で時間を過ごした後は疲れを感じるのです。

ですから、「自己防衛しない」と心がけると、緊張が緩和され、心と体が軽くなります。

もっとも、こうした自己防衛は、私たちの心と体に深くしみこんでいます。

そのために、自己防衛の姿勢を完全に捨て去ることはほとんど不可能です。

そこで、とりあえず自分がどのような防衛策をとりがちであるかを知り、それが生じたときに、「あ、また自己防衛しているな」と意識してみましょう。

意識していなければ、対処のしようがありませんが、意識していれば、対処することが可能になります。

たとえ今は対処できなくても、意識できていれば、やがて対処できる可能性が高まります。

また、たとえ対処できなくても、自分のこの行動や心の動きが自己防衛策なのだとわかるだけで、ある程度気持ちが落ち着きます。

それは、子どもが「これ何?」と聞いたときに、その物の名前を教えただけで納得するようなものです。

古典的な精神分析でも、無意識下に抑圧された記憶や願望、衝動を意識化することが精神的治癒につながることを明らかにしています。

ですから、まず、自分が自己防衛策をとっているときに、そのことに気づくことです。

そして、可能なところから少しずつ自己防衛を解除しようと試みることです。

身体的防衛

自己防衛には、身体的防衛、心理的防衛、行動的防衛があります。

最初に身体的防衛について述べることとします。

初対面の人と会うとき、圧迫感を与える人と対面するとき、あるいは大勢の前でスピーチするときなど、私たちの身体は自動的に防衛体制をとっています。

心拍数が上がり、血管が収縮して血圧が上昇し、ストレスホルモンといわれるアドレナリンやコルチゾールの濃度が上昇します。

全身の筋肉が緊張し、呼吸は浅い胸式呼吸になり、内臓機能は抑制され、排泄機能に変調をきたします。

腰は後ろにひけ、首が前に突き出る姿勢になりがちです。

ひどい場合には、膝がガクガクしたり、手が震えたり、背筋がぞっとしたりします。

こうした身体的防衛は、動物が危険を感じたときの防衛体制に起源があると考えられており、自動的に生じるので、完全に取り除くことはできません。

ただし、その程度を減じることはできます。

それが、呼吸法や自律訓練法、セルフトーク法などのリラックス法です。

人付き合いが苦手な人は、とりわけこうした身体的防衛を喚起しやすく、自分の身体的変調を意識することでいっそう心理的混乱が増幅されます。

このために、自分に合ったリラックス法をぜひ身につけることをお勧めします。

心理的防衛

私たちが用いる心理的自己防衛策は、実に多様で複雑です。

●(能力がないと思われないように、かつ自慢とうけとられないように)さりげなく自分をアピールする。

●(後で責められないように)前もって言い訳を用意する。

●(失敗しても自己価値が脅かされないように)最初から逃げ道を作っておく。

●(非難されることのないように)完璧であろうとする。

●(緊張を隠すために)笑いをとろうとする。

●(嫌われるのが怖いので)もっぱら相手に合わせようとする。

●(自己価値を守るために)責任を他の人になすりつける。

●(自分が劣位になるのを避けるために)本当は助けて欲しいのに、口では断ってしまう。

●(自分の行動を正当化するために)相手の欠点だけを強調する。

心理的防衛は、人間関係の中だけでなく、生活全般において使われています。

●期待水準を過度に低くしておくか、最初から無理なレベルに設定する。

失敗することがないほどの水準を期待しておけば、失敗による自我の傷つきを避けることができます。

達成が無理なレベルに設定しておけば、達成できなくて当たり前なので、自我の傷つきから逃れることができます。

●ものごとを「くだらない」とか「無意味だ」と評価する。

「くだらないこと」や「無意味なこと」であれば、それが達成できなくても自己価値には結びつきません。

それに取り組むことから逃げてしまっても、自分を責める必要はありません。

●努力をほどほどにとどめる。

努力してもたいした結果が得られなければ、「自分には能力がない」という事実に直面させられます。

このために、全力で努力するということを避けてしまいます。

心理的自己防衛は、必ずしもすべて否定すべきものではありません。

むしろ私たちは日々、こうした心理的防衛を使いながら心の安定を保っているのであり、心理的防衛をうまく使える人の方が精神的に健康でいられるのです。

たとえば、なにかまずい事態が生じたときに、それを相手のせいにできる人は、もっぱら自分の責任と受け止めてしまう人よりも、感情的に落ち込むことが少なくてすみます。

このことを実証した実験があります。

実験助手の採用試験で、面接官が「変な人」を演じた場合と、普通の人であった場合に、その採用試験に落ちた人の落ち込み程度を比べてみました。

その結果、変な人が面接官であった方が、落ちた人の落胆が少なかったというのです。

それは「変な人だから落とされたのだ」と、言い訳ができたからでした。

防衛のために生まれる性格

さらにいえば、私たちの性格そのものが、自己防衛システムの一環として形成されたものなのです。

とりわけ人間関係が重荷に感じられる人に、この傾向が顕著にみられます。

その代表的なものの一つは、人間関係や社会から逃避することで自分を守ろうとする回避性性格です。

この性格の人は、交際を避け、一人でいることを好みます。

たとえ、人と交流しても、表面的な交流にとどめます。

自分の力で対処できないような場面からは逃げてしまいます。

勝ち負けを争うゲームとか、他の人との競争から前もって降りてしまうということもあります。

二つめは、反抗性性格といって、反抗したり、攻撃的になることによって自我を守ろうとする性格です。

この性格の人は、自分が不利になりそうな兆候に非常に敏感です。

そうした兆しを察知すると、強い口調で自己主張したり、攻撃的に反論したりします。

本人には必ずしも悪意や敵意があるわけではないのですが、周囲の人にとってはちょっとのことで反撃されるかもしれないので気を抜けません。

そのために周囲の人は身構えざるをえず、反抗性性格の人はますます緊張を強いられるということになります。

三つめは、分裂性性格といって、感情的に外界に関わらないという形の自己防衛策をとる人です。

この性格の人は、もともと敏感な神経系を持っています。

そのために人一倍感情が喚起されやすく、傷つきやすいのですが、それが苦しいので感情を切り離すことによって平穏な心を保とうとするのです。

悲惨な災害やひどい暴力、信じられない裏切りなど、自我が耐えきれないほどのショックを受けたときに、普通の人でも心理的乖離現象が生じることがあります。

それはたとえば、自分に起こった出来事ではなく、あたかも映画のシーンを見ているかのように感じるなどです。

これと同じように、外界と生身で接するのがつらいために、感情を閉ざして外界と接するのです。

こうした接し方は、自分に対して傍観者になることなので、いっそう自分の心や行動を敏感に感じるようになります。

というのは、たとえば、スポーツの試合に夢中になっているときは自分を意識することがないように、何か外の物に熱中しているときは自分を忘れています。

ところが、他の対象に没入していないと、意識がおのずと自分に向いてしまうのです。

このために、分裂性性格の人は、自意識が過敏になり、たとえば笑っていても、目の周囲の筋肉が固まっているのを意識します。

腸のちょっとした変調を、ひどい変調と感じます。

相手の話に同意のうなずきをしていても、「どこか違う」と思っている自分を感じています。

このように自分自身に過敏になっていくと、この自己感覚、自己意識が相手にさとられないようにと、いっそう自己防衛を強めざるをえなくなります。

こうして他者と接することに、ますます緊張を強いられることになります。

以上のように、自分の性格を自己防衛という視点から考えてみることは、自分を深く知る上で非常に有益です。

行動的防衛

行動的防衛には、ストレスになる状況を回避する行動や、ストレスをできるだけ少なく済まそうとする行動があります。

たとえば、気の重い会合を欠席する、出席しても発言しない、ある担当に選任されたのに辞退してしまうなどです。

同僚と一緒の電車にならないように退社時間をずらすとか、同じ車両に乗らないようにするという行動もあります。

電車の中では、専ら携帯を操作していることが自己防衛になっている人がいますし、ヘッドホーンで自分の世界に閉じこもることによって防衛している人もいます。

電車を待つとき、一番前には並ばないという人がいます。

一番最初に電車に乗ると、すでに乗っている人の視線を集中的に浴びるのがつらいからです。

少なくない人が、講義や講演会などでできるだけ後ろの方の端の席に座ります。

前の方の正面の席に座ると、講演者と視線があってプレッシャーを感じるからです。

裸眼での視線を交わす圧迫感を避けるために、メガネやサングラスをかける人もいます。

他の人がおかしいと思わないだろうかなどと、服装をもっぱら自己防衛という視点から選ぶ人も少なくありません。

もう少し手の込んだ行動的防衛は、自分に言い訳できるように行動するというものです。

たとえば、プレゼンテーションしなければならないのに、その準備に十分な時間をとらないとか、急ぎでない他の仕事に取りかかるなどです。

これなら、プレゼンテーションのできが悪くても、「準備しなかったのだから当たり前。本当はやればできるのさ」「他の仕事で忙しかったから」と言い訳ができます。

自己防衛として、好戦的な行動に出ることもあります。

とくに自我が傷ついたときとか、傷つけられそうなときです。

こうしたとき、攻撃は最大の防御とでもいうように、相手を責めます。

嫌みを言ったり、辛らつな皮肉を言うことがあります。

また、行動に表出できない場合には、「どうしようもない人」などと相手にレッテル張りをすることで心のバランスを取ろうとすることがあります。

こうした防衛的行動は、一時はそれで心が落ち着いても、自己欺瞞を感じて自己嫌悪になることがあります。

自分の回避行動を意識する

「自己防衛しない」と心がけるとき、その主要な対象となるのは回避行動です。

回避行動とは、本来たちむかわなければならないストレスのある場面から逃げてしまうことです。

回避行動は、それがうまくいけばいくほど、回避しようとする傾向が強化されてしまいます。

そのために、事態に適切に対処する能力が育ちません。

むしろ無力感が強まってしまいます。

私たちは自分で明確に意識していなくても、日常生活のなかで、じつに多様な手管を使って回避行動をしています。

そして、それらを回避行動と思っていないことも少なくありません。

たとえば、ある人は、会議に定刻きっちりか、少しだけ遅れて出席します。

そうすれば、会議が始まるまでの時間の「なにを話せばいいのかわからない苦痛な雑談」を避けることができるからです。

ある人は、パーティのときに、料理を作るのを手伝うとか、飲み物を運ぶ、片付けをする、掃除するなど、もっぱら陰の働き役をします。

それによって、会話する負担から逃れることができ、その上、その場での自分の存在価値も実感できるからです。

このような自己防衛としての回避行動をまず意識することです。

この行動、あの行動が本当は回避行動なのだと、素直に認めることです。

そして、修正できる回避行動は修正するように努力することです。

ただし、今すぐに全面的に修正することは不可能です。

ですから、回避行動でごまかしている自分を責めないで、今は修正できないことについては、自分の価値に関わることではなく、「戦略として防衛するのだ」と考えるのです。

たとえば、どうしてもつらくてある会合に参加できないとき、「逃げているふがいない私」ととらえるのではなく、「心を休ませるための戦略」と考えることです。

「自己防衛しない」と心がけるだけで、今までの自分とずいぶん変わったと感じます。

焦らずに、ゆっくりと、できるところから修正していけばよいのです。

●まとめ

「自己防衛しない」と心がけよう。
そのために、回避行動を意識しよう。
可能なところから防衛を捨てよう。
捨てられない防衛は、心を休める戦略と考えよう。

※参考文献:「つらい人間関係」がぐっと楽になるヒント 根本橘夫著