若者を傷つけやすい事態をとりあげながら、具体的にはどのようなことに気をつけるべきなのかを考えてみることにします。

本当のことを言うとき

昔話の「鶴の恩返し」では、鶴である本当の姿をみられると、娘はお爺さんお婆さんのもとを去って行きます。

雪女の物語では、男が雪女に会った話をしたばかりに、雪女は男と一緒に暮らせなくなります。

愛し合っていれば、ともにそのことを知りながらくらしていけないいのに、と思うのですが。

人は誰でも触れられたくない世界があります。

たとえ真実でも、いや、真実だからこそ、触れられたくない心があります。

その心の部分には、目をつむってあげること。

触れないこと。

それが、思いやりであり、優しさであり、愛である。

これらの昔話は、そうしたことを教えようとしたものでしょうか。

「嘘も方便」という言葉もあります。

本当のことを言うと相手が傷ついたり、失望したりすることが予測される場面では、多くの人は相手の人を思いやって本当のことは言わないものなのです。

正しいと信じてする行動が、他の人を傷つけていることも少なくありません。

言っていることは正しい。

それなのに、なかなかその主張がほかの人に受け入れられない人がいます。

こうした人は、正面から正論を展開するために、それを受け入れると、相手は自分を負けとして感じざるを得ないのです。

その人の言う事を聞くことは、その人への屈服と感じられてしまうために、素直に折れることが困難になってしまうのです。

正論を述べる場合には、相手の逃げ道をつくっておいてあげることです。

自分と同じことを求めるとき

人は自分が夢中でがんばっているとき、周囲にも同じことを求めがちです。

せっぱ詰まっていればいるほど、意識せずにそうしてしまいます。

がんばり屋の人は、自分がこれだけがんばっているのだから他の人もがんばって当たり前、という意識になります。

あるいは、自分の仕事に自信のある人ほど、他の人もやって当たり前、やれないならやれるようがんばって当たり前、と無意識のうちに思ってしまいます。

こうしたことは、若い人にとっては、自分のいくじなさや無能さを刺激する圧力として感じられます。

とりわけ、それが上司や力のある先輩だと、自分の無能感を強く刺激され、傷つき、意気阻喪してしまうことが少なくありません。

がんばりを無視するとき

学校では、努力とプロセスが強調されます。

しかし、社会に出れば、努力ではなく結果です。

どれだけ努力したかではなく、期間内にきちんと仕事をしあげたかそうかという結果だけが問題です。

ところが、若者は努力を認めて欲しいという欲求が強いのです。

まじめに学校に通った者ほど、この傾向があります。

このために、結果だけに注目した言動は、彼らを傷つけていることがあります。

大事に受け止めないとき

若者から相談されたとき、「そんなこと、たいしたことないじゃない」「グジグジしてないでやってみれば」などと、つい答えてしまいます。

ところが、その人にとっては、「グジグジしてないでやってみる」ことが、とてつもなく大きい壁なのです。

だからこそ、悩んでいるのです。

他の人にとってはちっぽけかもしれない悩みなので、なかなか言えない。

それでも思い切って相談したのに、このように軽く言われてしまうと、ちっぽけな自分、無力な自分を確認させられたようで、傷つきます。

突き放されたように感じます。

プライバシーに踏み込むとき

かつての日本の会社の理想像は、社員を公私ともに面倒をみるという形態でした。

そして、これに応えて社員もまた、自分の公私を会社に捧げるという姿を理想としていました。

ところが、経済のグローバル化と長引く不況は、こうしたわが国の会社のあり方を根底から揺さぶりました。

会社は、まさに必要なときにだけ社員の労働力を買う組織である、という本性をあらわにしました。

こうした新しい会社のあり方は、実は核家族の心性と合致するものでもあるのです。

核家族とは、家族内の秘密と家族外の世界との間に強い障壁を設けた存在であり、まさにこれこそが核家族で育った若者の心性ともなっているのです。

すなわち、現在の若者は公と私の間に壁をつくる傾向が強いのです。

このために、プライベートな領域に踏み込まれるのをひどく嫌います。

心の中にまで介入するかのような上司や年長者の言動を嫌います。

もちろん、プライベートな時間もまた、彼らにとって踏み込まれたくない領域です。

たとえ好意によってであることが分かっていても、飲みに誘われるのを迷惑と感じる人も多いのです。

会社を出ると同時に会社での顔を捨て、別な仲間との時間をまったくちがった顔で楽しみたいと思っている若者も少なくありません。

自分の欲求を優先させるとき

物欲の強い人は、自分の利害のために人の心を乱暴に踏みにじることで、他の人の心を傷つけがちです。

顕示欲求の強い人は、自慢したり、他の人の弱点を指摘したりして、いつでも優位にたとうとします。

このために、周囲の人は自分をおとしめられたように感じます。

顕示欲求の強い人のなかには、毒舌で傷つける人もいます。

相手が部下や若い人なら反撃できませんので、いっそう痛快です。

傷つけているという自覚なしに行ってしまいがちです。

出世欲や権力欲の強い人は、自分の欲求を満たすために部下や周囲の人を一つの道具として利用します。

味方につける手管など非常に巧みな人もいますが、現在の青年はそうした感覚が鋭いものです。

遅かれ早かれ利用する魂胆が透けて見えてしまいます。

もっとも、たとえそのことが分かっていても、この罠からぬけでることができない若者も少なくありません。

出世欲や権力欲の強い人は、自分になびくものは面倒を良くみるけれども、反抗する者は徹底的にたたこうとする傾向が強いからです。

ゲームにのってしまうとき

さみしくて誰かに話しを聞いてもらいたいのに、あるいは、心が不安定で心通じ合い甘えたいのに、そうした心とは裏腹に、つい悪態をついてしまう。

そして、その結果、相手を怒らせてしまう。

そんな体験が若い頃にあったことに、思い当たる人もいることでしょう。

素直になれない気持ちがその人の性格になってしまい、こうしたことを繰り返す人がいます。

キック・ミィ・ゲーム」を演じる人です。

これを演じる人は、自分が傷つけられたと感じているのですが、実際には、自分を傷つけるように相手を挑発しているのです。

相手に加害者の役割を演じざるを得ないように意識的、無意識的に仕向けているのです。

たとえば、いつも上司に怒鳴られている男性。

彼は、自分は真面目にやっているつもりなのですが、どこかに微妙な落ち度を残します。

二度、三度と注意された箇所を直さないなどです。

これは、上司からみると、意図的に反抗しているかのように感じられ、つい怒鳴ってしまうというわけです。

この場合、上司は、感情的になって相手を傷つけてしまったと、自己嫌悪の感情に不愉快な思いをさせられます。

性的からかいが傷つける

思春期になると、男子の性的欲求は高まります。

この性欲を満たすためには、男子はいろいろな術策を用います。

本心とは裏腹な言葉を言うこともできますし、状況さえ許せば、そのような面倒な術策を省略して、強引に性交を求めるレイプまがいの行為に移る可能性もあります。

まじめな女性は、性を求める相手の行為の背後に、愛や誠実さを読み取ろうとするでしょうが、男性はそうした心を離れて性欲だけで関係を求めることができる存在なのです。

ですから、青年期に、「女性を傷つけるような性的裏切り行為をしたことは一度もない」と言い切れる男性がどれだけいるでしょうか。

大人になってからも、男性は性的なことをからかいの対象にするので、このため若い女性が傷ついていることがあります。

男性の方は、ごく軽い気持ちで、しかもときに好意を持って性的なからかいをすることさえあります。

その意図とは裏腹に、若い女性からは、不愉快なセクハラ行為としか感じられないことが少なくないのです。

傷つける性格

大部分の人は、他の人をできるだけ傷つけないようにと、気を使っています。

そして、不用意に人を傷つけてしまうと、そのことで自分を責め、少なからず自分自身も傷つきます。

これが通常の人の姿です。

しかし、そうでない人がいることも事実です。

周囲を意図的に傷つけて、平気な人がいます。

周囲を傷つけることが習癖になっており、人を傷つけることを楽しむ人がいます。

人を傷つけることで、優位性を保とうとする人もいます。

さらには、自分では傷つける性格だという自覚がないのに、じっさいにはそうした人がいます。

他の人を傷つける代表的な性格をあげておきます。

強迫的傾向の強い人

特定のことにひどくこだわったり、完璧を求める性格の人です。

このタイプの人は、他の人の不十分さや落ち度にも目をつぶれないので、つい同じようにすることや完全さを要求して、周りの人を傷つけます。

抑うつ的傾向の強い人

感情を害しやすく、感情を害すると自分に閉じこもる傾向の強い人です。

このタイプの人は、抑うつ状態のときには無愛想になり、周囲の人に不快な感情をもたらします。

不機嫌さで相手に対応し、傷つけます。

分裂的傾向の強い人

常に自分を見ている冷静な自分がいる。

そうした傾向が強い人です。

このタイプの人は、自分の心の動きには敏感ですが、相手の人の感情に共感する能力が低いので、不用意な言葉で傷つけたり、平気で辛らつなことを言います。

支配欲求の強い人

本人は面倒を見てあげているという意識なのですが、支配欲求が強ければ強いだけ、相手の人の心に無遠慮に侵入し、傷つけます。

依存的傾向の強い人

このタイプの人は、無意識のうちに非常に巧みに相手の人に依存してきます。

そのために、本来本人が負うべき責任まで相手の人に負わせてしまいます。

負わされた方は、自分が主体的に引き受けたという形になってしまい、依存した人を責めることができずに、密かに傷ついていることになります。

攻撃的傾向の強い人

いつも弱みを見せないよう身構えており、自分に都合が悪くなると、他の人を攻撃する人です。

相手のちょっとした弱みを見つけると、それを執拗に攻撃します。

この攻撃性は、相手を選んで発揮されます。

倍の激しさで怒鳴り返すような相手には、決して表現されません。

「弱い」と見える人や誠実に対応しようとする人に対して遠慮なく発揮されます。

気が弱く、人が良く、誠実であろうとする人が、もっとも犠牲者になりやすいのです。

被害者意識の強い人

自分が不当に差別されていると思い込んでいる人です。

他の人の言葉や行動を曲解し、すねたり、ひがんだり、ねたんだりします。

そうした心をベースにして、周囲の人に文句を言ったり、密かに相手を傷つける方策をとります。

先の攻撃的傾向とこの被害者意識の強さが同居する人がいます。

こうなると最悪ですが、近年、若者にこのタイプの人が増えているように感じられます。

傷つける快感

子どもを繰り返し虐待する親。

その親は、後悔よりも快感が勝り、その快感の誘惑から逃れられないという面があります。

学校でのいじめも、子ども達は人を傷つける快感から行うものです。

部下を怒鳴り散らす上司。

生徒を叱りとばす教師。

選手を怒鳴りちらすコーチ、監督。

「子どもの為」「部下のため」

そう理屈をつけて、ほんとうは傷つける快感のために、つい一言よけいなことを付け加えてしまうというようなことはないでしょうか。

人を傷つける快感を求めてしまうのは、そうしないとバランスを取れないその人の弱い心があるのです。

ある女子中学生は、いじめを受けた体験を通して、いじめる子の心の底を次のように見通しています。

「私は今、自分にあることを禁じて生きてるの。「人を故意に傷つけない」どんなにムカついてもそればかりは守ってる。

そのうちね、「いじめっ子」の心の中の「弱み」が見えるようになるよ。

かわいそうだよ、あの人達は。

自分の心の弱さを知ってるんだよね、本当は。

でも自分をいじめてるから他人までをまきこんじゃって、はまった沼から足をあげられなくなってる。

自分の心の底の気持ちを大切にしようよ」(進研ゼミ」中学講座編『学校で起こっていること 中学生たちが語る、いじめの「ホント」』ベネッセコーポレーション、1997年)。

傷つけずには生きられない

最後に、私達はどんなに注意していても、人をまったく傷つけずに生きることはできないことを認識しておく必要があります。

「Aさん、Bさんと結婚するんだって!良かったわね」

こんなめでたい会話も、AさんやBさんになんらかの感情のわだかまりがある人が聞くと、密かに傷ついていることがあります。

「昨日の飲み会、楽しかったわね」

楽しい会話も、ちょっとした行き違いから参加できなかった人には、傷つきの原因になることがあります。

「A君、あの仕事、良くできていたぞ」

A君に自信を与えようとしたこの上司の言葉も、他の部下には、「自分の仕事はだめだったのだ」という失望を与えているかもしれません。

好意でさえも、人を傷つけることがあります。

好意で援助したり、心配してあげたりしたことでも、相手の人は、入りこまれたくない自分の心に踏み込まれた、と感じることがあるのです。

あるいは、見下ろされたように感じて、傷ついていることもあります。

たしかに、相手のことを考えれば、やはり傷つけざるを得ないことがあるかもしれません。

教師は、子どものある行為に接した時、子どもの将来を考え、たとえ一時傷つけても、その行為を注意し、叱らなければならない時があるかもしれません。

親や、上役、親友などの立場にいる人でも同じことがあるかもしれません。

こうした好意や忠告が、そのまま若者にありがたい忠告として受けとめてもらえるか、逆に、若者を傷つけることだけで終るかは、彼らとの間にどれだけ信頼関係が築かれているかに依存します。

信頼している人からの注意や叱責であれば、忠告や激励と受け止めてくれるでしょう。

そうでない人であったら、傷つけられたと感じるだけで終ることが多いでしょう。

このように、注意していても私たちは傷つけることが避けられないものならば、その傷つきを遠慮無くフィードバッグできる回路を開いておくことと、必要に応じてすみやかにフォローする手だてを準備しておきたいものです。

※参考文献:傷つくのがこわい 根本橘夫著