森田療法は、いつの時代にいかにしてつくりだされたのでしょうか。

「赤面するから人とうまく接することができない」
「自分の視線が人に不快な印象を与えるから、他人に受け入れられない」
「心臓がドキドキするから、電車に乗って目的を果たすことができない」

と思い込み、学校や会社にもいかず引きこもってしまう人には、性格の上で共通した特徴がみられます。

つまり、

1.生の欲望が強く、つねに完全でありたいという願望と意欲をもっている。
2.その一方で、高い欲求水準から、なんらかの自己嫌悪感、劣等感に陥りやすい。
3.そのため、病気でも異常でもないのに、劣等感に理由をつけて、さまざまな神経症の症状を形成しやすい
4.その症状のために葛藤・苦痛を感じて、それを理由に現実から逃避しようとする。

などですが、このような性格特徴を「神経質」性格と命名し、これらの苦悩を訴える人々を科学的に治療しようとしたのが、故・森田正馬博士であり、博士のつくり出した治療法が、森田療法と呼ばれるものなのです。

森田療法が確立されたのは、1921年頃で、当時、日本の精神医学は、ドイツ系を主流にフロイト流精神分析が入りはじめたばかりで、その内実は、まだ曖昧模糊とした状態でした。

森田博士は、クレペリンの素質論を導入し、独自の「神経質」概念を打ち立てて、O・ビンスワンゲルの「生活正規法」をヒントに、作業療法中心の画期的な精神療法をあみだしたのです。

そこでまず特筆されなければならないのは、精神医学の萌芽期にあってそれまで身体病や精神病として片付けられていた「心の病」の一群を、普通神経症、強迫神経症、不安神経症(発作性神経症)の三つの型に分類したことです。

またこれらは病気というより、神経の衰弱でも、まして精神の異常でもなく、健康な人ならだれにでもある心理的現象にすぎないと主張した点です。

つまり森田療法が確立されるまで、これらの神経症は「神経衰弱症」と呼ばれ、治療困難な病気の一つとみられていたのです。

そのために、理学療法や薬物療法、あるいは催眠術などの療法がとられ、まるで精神異常者のように扱われて、ひどい場合は一生を通じて暗い生活を余儀なくされた場合も少なくなかったのです。

そんな人達にとって、森田博士の心理学を基盤とした療法は、まさに福音にほかなりませんでした。

神経症を、悪い心の状態として取り除かなければいけないと考えていた、それまで世界中の学会の通説だった神経症理論からすれば、コペルニクス的転回といわなければなりません。

※参考文献:森田療法入門 長谷川和夫著