人間関係における重荷は、見栄を張ったり、その場しのぎの行動など、自分で種をまいたものであることが少なくありません。

ですから、ちょっとした心がけで負担を軽減することができます。

優秀であると思われたい。

非の打ち所がない自分でありたい。

恥をかきたくない。

これらは、いずれも見栄に根ざすものです。

私たちの悩みや苦しみの多くは、こうした見栄を張る気持ちに原因があります。

ですから、見栄を張る気持ちを捨てることで、生きるのがずいぶん楽になります。

見栄を張る気持ちは、ちょっとした行動に出てしまいます。

たとえば、他の人が自分の知らない話をしているとき、知っているかのように頷いてしまうことがあります。

仕事を頼まれたとき、つい自分の能力が評価されるかのように思って、無理して引き受けてしまいます。

いったん見栄を張ると、さらにその見栄を張り続けなければならなくなります。

「知らない」と言ってしまえばそれで済んだのに、「知っている」ふりをしたために、ずっと「知っている」ことを前提に行動しなければなりません。

見栄を張って「できる」と言ってしまったために、いまさらその仕事から手を引けなくなってしまいます。

こうして、結局見栄を張ることから降りられなくなり、どんどん重荷が積み重なっていきます。

見栄を張る人のなかには、積極的に自分をアピールするタイプもあり、自分の優秀さを誇示するために他の人の落ち度を声高に指摘したりします。

そのために、周囲からあからさまに毛嫌いされたり、それとなく敬遠されたりして、居づらい人間関係の中に身を置くことになります。

見栄を張らないことが自信になる

見栄を張りたくなるのは、自分に自信があるからではありません。

自信がないから、見栄を張らざるをえないのです。

知らないことやできないことで、自分の評価が低められてしまうのを過度に恐れるために、見栄を張ってしまうのです。

人は誰でも知らないことがあり、できないことがある。

そんなことは当然のことで、自分の存在価値とはなんの関わりもないこと。

このように確固とした自分の存在価値を信じている人は、素直に「知らない」「できない」と言うことができます。

学生時代に、高名な老教授が、学生の質問に対して「私にはわかりません。調べてみます」と悪びれずに答えたことが、今でも印象に残っています。

わからないことは「わからない」と素直に言える姿は、とても清々しいものです。

私たちは、「見栄を張ること」とは、他者に対して行なっているものだと思っています。

でも、このように見ていくと、じつは自分自身に対して行なっているものであることがわかります。

自分を価値ある人物だと思いたいがために、見栄を張ってしまうのです。

しかし、見栄を張ることで、自分に価値があるという実感は得られません。

なぜなら、見栄を張ることは、自分を実際以上に見せかけることであり、その見せかけ通りの自分が存在しないことを意識せざるをえないからです。

見栄を張らないように努力する方が、本当の自信につながっていきます。

見栄を捨てることは、ありのままの自分を信頼することだからです。

自分を信頼することこそ、自信の本来の意味です。

また、見栄を張ることを、プライドを守ることだと思っているかもしれません。

でも、本当のプライドなら、他の人に見てもらう必要はありません。

他の人に印象づける必要はありません。

プライドとは、外に見せるものではなく、自分の中で大事にすべきものだからです。

●まとめ

「見栄を張らない」努力をしよう。

見栄を張らないことが自信につながる。

※参考文献:「つらい人間関係」がぐっと楽になるヒント 根本橘夫著