子どもの素質

期待された役割を生きる自分の形成と発達は、親の側の要因だけによるのではなく、親と子の性格的な食い違いという相互作用であることが通常です。

かつて、精神医学者クレッチマーが分裂気質とやせ型体格との関係を指摘し、同様にアメリカの心理学者シェルドンが頭脳緊張型性格と外胚葉が発達した体格との関係を指摘したことはよく知られています。

近年では、心の状態に関係する神経組織や多くのホルモンが見いだされています。

これらのことにしめされているように、私たちの心には身体的な素質が基礎にあります。

素質の上に養育環境が作用するのであり、当然、期待された役割を生きる自分を形成しやすい素質があると考えられます。

たとえば、敏感な神経系や比較的脆弱な消化器系は期待された役割を生きる自分の形成につながりやすいと思われます。

なぜなら、こうした子どもは、外界の刺激に敏感であり、外界と内面とのギャップにも敏感です。

また、神経質な手のかかる子であるがゆえに、親の過剰介入的な養育を受けやすいということもあります。

活動性も素質要因となることがあります。

子どもの活動性が高ければ、親は早い段階で子どもへの細々としたコントロールを放棄せざるを得ないからです。

こうした子どもの素質と関わらせて考えてみると、強固な期待された役割を生きる自分を発達させるのは、些細な感受性を持つ子どもと、共感性に乏しい母親という組み合わせになります。

しかし、親が平均的であっても、子どもの感受性が特別に鋭い場合には、親の無意識の願望や隠された感情を読み取って、子どもは期待された役割を生きることになります。

善意の押しつけ

注意すべきは、スパルタ的な養育が必ずしも期待された役割を生きる自分を形成させるというわけではないことです。

むしろ、愛情豊かな善意の養育の方が、期待された役割を生きる自分の発達に導くことが多いのです。

スパルタ的な養育は、行動と内面とのギャップを引き起こし、攻撃性や卑屈さなど自我に歪みをもたらしがちです。

しかし、期待された役割を生きる自分の形成という点では健全さにとどまることが少なくありません。

なぜなら、抑圧を強制する存在として親を明確に意識できるので、行動では服従しても、内心ではそれと違う「自分」を保持するという面従腹背の姿勢で対抗できるからです。

これに対して、善意の穏やかな強制をする養育では、子どもは親を対抗すべき相手として設定することができません。

愛情表現として強制がなされるので、子どもは内心で反発すると罪責感が生じてしまいます。

さらに、こうした善意の養育では、行動上の適応だけではすまされず、内面からの同調を求められるからです。

「行動だけじゃダメ。心が大事なのよ」

「自分の胸が痛まない?」

「心から反省しなければだめよ」

こうしたとき、子どもは言葉では納得しても、感情では納得できません。

ところが、その自然な感情さえ、存在してはいけないもの、罪あるものとされてしまいます。

「そんなこと考えるなんて、ママはとても悲しいわ」
「貴方のことを考えてくれる人を恨んではいけません」
「そんな気持ちになるなんて、恥ずかしいことです」

このように、善意の強制という養育は、本来の自分をすべて親の意向に譲り渡すことを求めるものであり、子どもには期待された役割を生きる道しか残されていないのです。

家族内の葛藤

家族のなかにある葛藤ゆえに、期待された役割を生きる自分を発達させる子どももいます。

安定した愛着が形成できないとき、子どもは愛されているという実感を求める代わりに、賞賛されることを求めるようになります。

賞賛されるためには、非難されるところのない自分になる必要があります。

価値ある自分になる必要があります。

そのために価値あることを達成しなければなりません。

こうして価値ある自分づくりへと自分を駆り立てていきます。

それは素直で明るく、屈託がない性格の良い子であり、また、優秀なできの良い子です。

この自己像にそぐわない部分は、捨て去ろうとします。

その行き着く先は、誰からも賞賛される完璧な子どもということになります。

しかし、こうした子どもになるためには、一定の潜在能力が必要です。

このために、賞賛を獲得できるほどの能力を備えていない子どもは、「愛着の対象から必要とされる」ということによって自分を価値ある存在と感じようとします。

とりわけ、親が自分のことで手一杯なために関心を得られない子どもに、この傾向が強く表われます。

こうした子どもは、親の意識的、無意識的欲求を先読みして引き受けます。

たとえば、弟や妹に対し親のような役目を果たしたり、親に対して本来配偶者の果たすべき役割をとったりします。

「お母さんはお父さんのことで手いっぱいなので、『弟は私が守ってあげなければ』と、ずっと思っていました。

私がそのことを母に言ったら、『だれもそんなことあなたにお願いしていないわよ』と一蹴されてしまい、私のすべてが否定されたように感じて、ひどく傷つきました。

一生忘れることはできません。」(女子大生)

「父は文学少年のままにとどまっているような人で、母はそんな父を受け入れられず、わざとつっけんどんな態度で接していました。

父の繊細な心の部分に付き合ってあげるのが、私の役目だったように思います。」(女子大生)

大人になってもこうした人は、しばしば自分を必要とする人を必要とします。

このために、ぐうたら亭主の面倒をみる妻、浮気性の妻に過度の包容力で接する夫、会社で人が嫌がる仕事を引き受ける人などになることがあります。

なかには、無意識のうちに子どもをトラブルの多い子に誘導して、子どものために自分を犠牲にして尽くす親になるような例もあります。

両親にとどまらず、祖父母と同居するための葛藤を引き受ける子どももいます。

「同居している父方の祖母が厳しい人で、母はいつも祖母に気を使っていました。

それで、母の機嫌を取るばかりでなく、母を祖母から守るために祖母の機嫌を取る姿勢が自然に身についていました。

母を守るためにも自分がしっかりしなければと、がんばってきました。

そんながんばりが完全主義で、融通の利かない性格を作ってしまったんだと思います。」(二十代 OL)

夫婦間の問題や、親の無価値感を埋めるために、貶めた自分という期待された役割を生きる自分を作り上げる子どももいます。

頼りなくてあれこれと手のかかる子、頻繁に熱を出す子、すぐに腹痛を訴える子、失敗ばかりする子、怪我の多い子、学校で問題を起こす子などにこの例が見られます。

こうした場合、親は子どもへの対応に追われ、自分たちの問題に向き合わずにすますことができます。

また、子どもから必要とされることで、自分の存在価値を実感できます。

一方、子どもの側は、親の関心を得ることができ、世話されることで愛情欲求を満足させることができます。

こうしたことで、トラブルの多い関係が、それなりに安定し、継続していくことになるのです。

「僕が熱を出すと、母は仕事を休んで添い寝してくれました。

学校にはいかなくていいし、病気になるのは僕にとって苦痛ではなく、楽しみなことでした。」(男子大学生)

※参考文献:「いい人に見られたい」症候群 根本橘夫著