“人とどう違っているかが、あなたの運命である”

あなたは事業に失敗したかもしれない、第一志望の大学に落ちたかもしれない。

そして、「もしあの仕事に成功していたら、あいつにかるくあつかわれなかったのにとか、「もしあの大学に受かっていたら、あのポストを得られたのに」と悔やんでいるかもしれない。

しかし、あなたは事業に失敗したからこそあなたなのである。
あの大学に落ちたからこそあなたなのである。

もしそれらを悔やんでいるとすれば、あなたはあなたの指紋を悔やんでいるようなものである。
ひとの指紋が違うようにあなたの人生は人と違っているのである。
どう違っているかがあなたの運命である。

自分の運命を受け入れられない人は、自分の指紋を拒否しているようなものである。

大学に不合格になるといっても、いろいろな不合格があるし、いろいろな合格がある。

ある人は怠けて不勉強で落ちたかもしれない。
ある人はたまたま不運にも風邪をひいて落ちたかもしれない。
また、ある人は、親のプレッシャーで実力が発揮できないで落ちたかもしれない。
親のプレッシャーが大きければ実力は発揮できないのが当たり前である。

もしかしてあなたは、高校時代にもう少し勉強してもっと有名な大学に入っていたら、とおもうときがあるかもしれない。
しかし、それは違う。

あなたがどのような理由で大学に不合格になるにしろ、それにはそれなりの理由がある。
その不合格の後ろにあなたがいるのである。
そこにあなたの運命がある。

あなたが不合格になったのと、他の人が不合格なったのとでは、心の世界の中では全く違うことなのである。

あなたの不合格はあなた固有の不合格である。

合格した人も色々であろう。

たまたま運よく合格したひともいるだろう。

極端な場合にはカンニングをして合格した人もいるだろう。

親の期待のプレッシャーをはねのけて合格した人もいるだろう。

同じ合格でも、「落ちて受かっても周囲の人から受け入れられる」と思ってリラックスして受けることができて、実力を発揮して合格した人もいるだろう。
また親の非現実的な期待のプレッシャーのなかで一人で闘って合格した人もいるだろう。

同じ合格をしても合格の価値は人によって違う。

リラックスして試験を受けられて合格した人はうれしいだろうが、賞賛に値するものではない。

そういう人が試験で実力を発揮できるのは当たり前なのである。

それはその人の環境である。

しかし、親のプレッシャーの中で必死になって、たった一人で闘って受かった人の努力は称賛に値するだろう。

親のプレッシャーの中、そこには涙ぐましい孤独な戦いがある。

同じ大学の同じ試験問題でも、実は合格するための困難さは人によって違う。
ある人にとっては合格は難しいことではないが、別の人にとっては極めて難しい。

合格の後ろにはあなたがいる。あなたの合格は、あなた固有の合格なのである。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには、あなたがもし成功したら、それは格別のものだと思うことである。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著