“「自分は嫌われている」という怯え”

人は、幼児的願望が満たされないだけでも大きな問題であるが、母親から幼児的願望を満たしてもらえない人は、多くの場合、父親からも「破壊的メッセージ」を与えられている。

子どもが心理的におかしくなる時には「両親の関係が悪い」とは、そういうことである。

親一方が心理的におかしい時には、たいてい他方もおかしい。

「破壊的メッセージ」とは、たとえば交流分析でいう「存在するな」などというメッセージである。

たとえば恩着せがましい父親が子供に送るメッセージである。

父親から、「お前のために俺はどんなに苦労をしているか」と言われ続ければ、子供は、自分は他人の不幸の原因だとかんがえても不思議ではない。

認めてもらいたいと思う人はそういうメッセージを得れば、生きる自信がなくなる。

認めてもらいたいと思う人は他人との関係で「自分はいつも迷惑になる存在だ」としか感じられなくなる。

だからこそ、うつ病者などは「役に立っている」と感じる時が気分がいいのである。

その時にうつ病の気分が晴れる。

「役に立っている」のだから、「自分は迷惑な存在」ではないと感じられるからである。

「お前には価値が無い」というような破壊的なメッセージを受けて育ったものは、人間関係で自信が持てない。

認めてもらいたいと思う人はいつもビクビクしている。

自分は「好かれていない」という怯えである。

「自分は嫌われている」という怯えである。

「自分がいないことをみんなは望んでいる」という絶望感である。

認めてもらいたいと思う彼らにとっては生きていることそのことが、そのまま負い目になる。

だからこそ、認めてもらいたいと思う人はだれからでも誉められるとうれしい。

誰からでも認めてもらいたい。

幼児的願望を持っている人がだれからも認めてもらいたいというのは、基本的欲求としての「社会的承認の欲求」が深刻化したものである。

彼らの「認めてもらいたい」という欲求は、幼い子供が持っている「人から認めてもらいたい」という自然の幼児的願望より、もっと深刻である。

つまり、認めてもらいたいと思う人は強迫的なのである。

つまり、認めてもらわなければ生きていられないのである。

この強迫的であるか否かが幼児と神経症者の違いである。

認めてもらいたいと思う人はなぜ強迫性を持ってしまうかといえば、破壊的メッセージを与えられているからである。

破壊的メッセージに対する反応が、強迫性である。

その点をカレンホルナイは説明していない。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著