認知療法や認知行動療法といった治療法の存在が、一般にもよく知られるようになった。

うつや不安の改善だけでなく、パーソナリティや対人関係の偏り、嗜癖的な行動の修正にも、こうした治療法が広く使われるようになっている。

認知療法とか認知行動療法というのは、認知、つまり、物事の受け止め方の偏りに着目し、その偏りを修正することで、より生きやすく、より適応しやすい受け止め方を身につけ直す治療法である。

たとえば、ある人が、会社の上司や隣近所の人とすれ違ったとき、こちらからあいさつをしたのに、向こうからは何も返してくれなかったとしよう。

見捨てられ不安が強い人や自分を認めてほしいという欲求が強い人は、無視されたとか、嫌われていると思い、落ち込んでしまうかもしれない。

だが、同じ状況でも、「何か考え事でもしてたんだろう」と気楽に考える人もいる。

この両者の反応の違いには、それぞれの認知の偏りが関係している。

認知療法や認知行動療法では、こんな場合、相手の顔色に過敏すぎる傾向や、過剰に傷ついてしまう傾向に気づいてもらい、それをもっと楽観的で合理的に受け止める方法を訓練してもらう。

こうした方法は、一群のケースには、とても効果的なのだが、別の一群のケースには、効果がないどころか、状態を悪化させてしまうこともある。

特に愛着が不安定で、他者への不信感が強かったり自己否定が強いケースでは、あまり役に立たないのだ。

というのも、認知療法や認知行動療法の考え方そのものが、「その人の考え方は偏っている」とか「正しい受け止め方ができない」という否定的な見方を前提としたものだからである。

もともと自己否定や他者不信が強い人にとって、「あなたの考え方は偏っている」と言われることは、それがいくら正しい指摘だとしても、反発や落ち込みを招いてしまう。

長年うつや不安症状を繰り返しているような人ほど、不安定な愛着や自己否定、対人不信を抱えている。

こうした人に、通常の認知療法を施すと、「自分の考え方はやっぱり偏っている」「自分はダメな人間だ」「自分の認知はおかしい」というぐあいに、ますます否定的に受け止め、治療を受けること自体が苦痛になって、途中でやめてしまうということも多いのである。

マインドフルネスと新しい認知療法

その点、愛着に課題を抱えた人の改善にも、とても効果的なのがマインドフルネスを採り入れたカウンセリングである。

マインドフルネスとは、物事を価値判断するのではなく、ありのままに受け止めて、豊かな気づきを得ることである。

豊かに感じることと言ってもいいだろう。

もともとは、サンスクリット語のsati(気づき、悟り)を英語に訳した言葉で、悟りとは、囚われを脱し自由な境地を得ることである。

マインドフルネスは、囚われから自由になることを目指す心理的アプローチで、その起源は瞑想にある。

というと何か近寄りがたい、非科学的な匂いを感じる人もいるかもしれないが、瞑想などとともに、マインドフルネスは、科学的にその効果が立証され、医学的な治療にも採り入れられている。

単に認知だけでなく、身体的な反応にも働きかけることで、より深い安定効果を生むのである。

マインドフルネスを採り入れた治療が広くもちいられているのも、うつや不安やイライラ、怒りに非常に効果的であることがわかってきたからだ。

マインドフルネス認知療法やACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)は、その一例である。

現代人の多くは、真面目な人ほど、何か目的をもち、それに向かって進み、それを達成することに知らずしらず価値をおく生き方をしている。

自分の目指す目的や理想の状態というものがあって、それに自分を近づけようと努力しているのである。

理想の状態と、現実の自分が一致していると感じると、完璧にやれた、という満足感を覚え、目的を成し遂げると、やり遂げたという達成感を味わう。

そういう生き方をしていると、物事がうまくいっているときはいいのだが、うまくいかないことが重なった場合、「理想の状態と違いすぎる」「なんて自分はダメなんだ」「もう絶望だ」と、否定的な気持ちに囚われやすくなる。

現状が60点くらいの状態だったとしても、「90点や100点の状態と比べて、なんて自分はできていないんだ」と思ってしまい、自分を責めてしまいやすい。

そうした心のありようが、うつや不安やイライラの大きな要因にもなる。

マインドフルネスでは、認知療法のように、受け止め方が「偏っている」とか「正しい」とかということは問題にしない。

偏った受け止め方は間違っているので、それを正しい受け止め方に直しましょうということもない。

なぜなら、そうすることが、理想の状態に向けて努力しなければいけないとか、理想の状態でなければいけないと、考えることにつながるからだ。

それはまさに、治そうとしている状態を、またつくってしまうことに他ならない。

マインドフルネスでは、価値判断をする代わりに、ありのままに受け入れてそれを感じるということを目指す。

もっと言えば、良いとか悪いとかいった価値判断から自由になることを目指す。

なぜなら、価値判断とは、ある意味、囚われだからである。

何かに囚われているから、「~しなければならない」「理想の状態でなければならない」と思ってしまう。

そうすることが、うつや不安などの症状を生み出してしまう。

囚われから自由になることによって、症状を治そうとしなくても自然に起こらなくなっていく。

それは、従来の方法のように、症状を取り去ったり、コントロールすることを目指すものではない。

まったく逆に、症状を受け入れ、それをコントロールしようとしないことを目指すものである。

奇妙なことに、それが本当の意味で回復することにつながるのだ。

症状から逃げようとすればするほど、症状は追いかけてくる。

症状をあるがままに受け入れられるようになると、症状など大して重要ではないと考えられるようになり、やがて、気にも留めなくなって、気がついたらなくなっている。

マインドフルネスが、何を目指すものかということが、おおよそおわかりいただけたかと思う。

しかし、同時に、どうやったら、そんなふうにあるがままに受け止められるようになるんだと、疑問に思われることだろう。

マインドフルネスの大きな特徴は、頭でわかっても、役に立たないということだ。

心や体を通して、それを実践的に体験し、身につけていく必要がある。

いくら言葉を尽くしても伝えることができない。

実際に体験する中でしか、会得できないのである。

しかし、いったん会得してしまうと、もの事の感じ方が、百八十度変わってくる。

毎日が、もっと生き生きと心豊かに過ごせるようになるだけでなく、これまでは退屈で平凡な毎日にしか思えなかったことや、すぐに心が傷ついたり、つらいことばかりと思えた日々も、さまざまな歓びや豊かな味わいがいっぱい詰まった宝物として再発見されるようになる。

うつや不安やイライラに囚われることがあっても、それが生活や人生を腐らせるのではなく、一生懸命いきていることの証として、大切に感じられるようになる。

何かをするというよりも、ここにあるということ、存在するということ自体を味わい、感じるようになるのである。

われわれは、せっかく今、こうして生きていて、ここに存在を与えられているのに、その一番大切なことを、つい忘れてしまって、これから成し遂げる目的とか、今の状態とは違う、別の理想の状態の方に、目を奪われてしまいがちだ。

だが、この今という瞬間を大切に味わうことができなければ、いくら理想の状態が手に入ったとしても、その瞬間に、それは色あせたものになって、やがてつまらなくなってしまう。

いつも、目の前にないものを、ただ、むなしく追いかけて、時間を無駄にしているだけである。

そうではなく、今この瞬間、ここにこうして存在すること、それを、ありのままに味わう。

それができるようになることが、命というものの本来の輝きを取り戻すことにつながるのである。

マインドフルネスでは、生きるということの原点とも言える呼吸や体の感覚に注意を向け、それをありのままに味わうことから始める。

それを基本にしながら、つらい体験や苦しい感覚も、ありのままに受け止め、味わうことで、そこから、乱されない心と豊かな気づきを手に入れていく。

その意味で、マインドフルネス体験は、とても高次な体験であると同時に、とても原初的体験でもある。

それは、母親の子宮内で羊水の中に浮んでいたときのような、あるいは母親に抱かれたときのような安心感にも通じる。

それが単に心理学的と言うよりも、身体的で生物学的な体験である点に、通常のカウンセリングを超えた、深い浸透効果の秘密があるのではないかと思っている。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著