読書で得た知識は得をする

政治と宗教の話は人との話題にしないほうがいいとよくいわれます。

どちらも人を必要以上に熱くさせるからです。

世の中にはディベート好きな人もいます。

勝ったとなれば相手を見下すし、負けたとしても負けを認めません。

この人たちがよく新聞や本を読んでいるのは事実でしょう。

でも、世の中のことを知ることは人に勝つためではないはずです。

「争うのが嫌いな人」は、人と話をすることは嫌いではないし、情報交換になる話なら積極的に耳を傾けます。

聞き上手なのです。

それがこの人の生き方です。

でも、聞き上手になるためにはその分野についての最低限の知識が必要になります

ですから本はよく読むし、新聞、雑誌も時間があれば目を通します。

そのおかげで相手の話の概略ぐらいは理解できて、わからないことは質問できるようなら安心します。

たとえば経済や政治に詳しい人間に会えたときに、何一つ話題にできないようではあまりにもったいないし悔しい気がしますが、短い時間でも大事な知識をそこで得ることができれば、ものすごく得したような気持ちになるのです。

他人と争わなくても知恵の武装は必要

「マイペースな人」は、口論も嫌いなはずです。

他人と感情的なことばをぶつけ合うことはできるだけ避けようとします。

でも他人と話すことが嫌いなわけではありません。

一つのテーマを巡って、おたがいに考えていることを語り合うのは楽しい時間だからです。

そのとき、たとえ考えが違っていても、相手が知識も豊富でその知識をベースとして導かれる推論や意見を述べてくれれば、こちらも冷静に話を聞くことができます。

それが自分とは異なる意見でも、「なるほど、そういうことなのか」と納得できます。

相手がもし、知識はないのに思い込みだけが強い人間だとすればどうなるでしょうか。

落ち着いた話し合いにはなりませんね。

向こうはすぐに感情的になってしまうからです。

「マイペースな人」はそういうとき、黙り込むしかありません。

「この人には、いくら話してもムダなんだろうな」と思って、話題を変えるしかないのです。

そのことで、べつに「議論に負けた」とは思わないはずです。

わたしが本を読んで知識を得ることは大事だと思うのは、こういったケースに冷静に対応できるからです。

相手がどんなに思い込みが激しく自分の感情をむき出しにしてくるような人であっても、その場の「勝ち負け」に巻き込まれずに済みます。

「ここはまあ、いいたいことをいわせておこう」と笑い過ごすことができるからです。

でも、こちらに知識がなければそうはいきません。

感情のぶつかり合いになってしまえば、争いの嫌いな人は身を引きます。

相手は勝ち誇り、こちらは悔しい思いをします。

たとえ他人と争うつもりはなくても、知的な武装はしておいたほうがいいのです。

座右の書をもつ人は心がしなやか

作家の野坂昭如さんは、終戦後の食うや食わずの時代に正岡子規の『墨汁一滴』『病床六尺』『仰臥漫録』といった一連の著作の文庫本をつねにもち歩き、読み続けたといいます。

その男性的な文章のリズムや、死を目前にしながら毎日の献立を詳細に書き続けた生き様が、へこたれそうな自分のこころを支えてくれたのだといいます。

こういった例はじつに多くの人が語っています。

左遷や出向で不遇の時代を過ごすビジネスマンが、城山三郎さんの企業小説や藤沢周平さんの時代小説に登場する人物に自分を重ね合わせたり、スランプに陥ったスポーツ選手が偉大なアスリートたちの自伝を読んで奮い立つといったケースです。

若い人たちにも、その日のイヤなことはすべて、自宅に帰って『指輪物語』や『ゲド戦記』の続きを読んでいるうちに忘れてしまうということがあるでしょうし、40歳を過ぎて夏目漱石の『三四郎』や『それから』といった小説にいまさらながらはまってしまったという人もいます。

将来に漠然とした不安を感じるときに、神谷美恵子さんの『生きがいについて』を読むと心が落ち着くという女性もいます。

すべて、一冊の本が生きる勇気を与えてくれるという話です。

本を読まなくなった人の心の本棚

たいていの人には自分の本棚があり、そこに何冊かの本が並んでいるはずです。

引っ越しや整理のたびに何冊かの本が処分されたかもしれません。

ふと思い出して探してみたらどうしても見つからなかったという経験もあるでしょう。

それでもいま残っているというのは、その本を「また読むことがあるかもしれない」と思ったからですね。

では、読んでみましたか?

読むつもりで取っておいても、この何年か、手に取ったこともない本が大部分ではないでしょうか。

そうなのです。

これだけ本が売れない時代になり、活字離れはもうずいぶん前から指摘されてきたのですから、本棚に並んでいるほとんどの本は「いつか読むだろう」と考えたものばかりなのです。

つまり、どんな人でもその気になれば、いますぐにでも読書の世界に戻ることができるのです。

かつて心を遊ばせてくれた世界が、目の前の本棚にいまでも並んでいるからです。

読んできた本に求める世界が隠れている

本を読む習慣がなくなった人でも、ときどき「何か面白い本はないだろうか」と考えます。

書店に出かけてうずたかく積まれたベストセラー本のコーナーを眺めます。

そこで評判になっている本を買い求め、読んで面白いと感じれば「面白かった」、つまらないと感じれば「つまらなかった」、それで終わってしまいます。

みんなが読んでいるという理由で買った本ですから、その先に進めません。

またみんなが読んでいる本が発売されないかぎり、自分から本を手にすることはないのです。

けれどもきっかけはなんであれ、「やっぱり読書は楽しいなあ」と気がつけば、そこでもっと読みたくなる人がかならず出てきます。

そんな人こそ、ぜひ再読を試みてください。

なぜなら、自分の書棚に並んでいる本こそ「いつか読み直したい」と思っていた本だからです。

それを、5年、10年といった時間を経て読み返してみることで、気がつくことがきっとあるのです。

これはある人文系の大学教授の話していたことですが、過去に読んできた本をふたたび手に取って見ると、自分のめざしてきたものがはっきりと見えてくるといいます。

「手当たり次第に読んできたようでも、好みの基準があって、それがいまの自分をつくっているんだなと気がつく」

それによって、ではこれからどういったテーマを追い求めていけばいいのかというヒントが浮かんでくるのだそうです。

つまり、再読することで忘れかけていた世界を思い出すことがあります。

書店に出かけて面白そうな本を探すのは、それからでも間に合います。