教師、夫、上司―信頼すべき存在が愛着を傷つける

子どもの心や行動の問題の多くは、当人の問題よりも、家庭環境や学校環境の問題を反映している面が大きい。

家庭や学校に居場所があり、周囲から受け入れられ、自分の存在価値を認められていると感じているかどうかが、本人の適応状態を左右する。

実際、居場所や承認の面で改善があると、「病気」や「障害」とみなされていたことが、影をひそめてしまう場合もある。

発達障害のケースでも、居場所ができ、周囲から受け入れられることで、その人の抱えている特性自体は何ら変わっていないのに、生活の支障が大幅に減り、別人のように適応がよくなることもある。

こうした問題は、親子の間において最も顕著に認められるが、夫婦やパートナー間でも見られるし、教師と生徒、上司と部下という関係においても見られる。

こんな場合には、問題があるのは明らかに夫や上司なのに、症状化しているのは妻や部下、というケースは山ほどあるだろう。

だとすれば本人をいくら治そうとしても限界がある。

妻や部下に見られている症状は、本当の問題の「影法師」に過ぎないからだ。

影法師をいくらつかまえ治療しようとしても、無駄である。

つまり問題の本体は、患者とされた人にではなく、愛着障害の本人が最も信頼を寄せるべき存在との関係にあるということだ。

世話や保護を与えてくれるはずの存在が、足を引っ張り、安全を脅かすという共通の構造が、そこには見られる。

こうした状況が、破壊的な作用を及ぼし、病気を生んでしまうのは、その存在との関係が特別なものだからでもある。

受け入れられ、認められ、守られることを期待していたにもかかわらず、正反対のことが起きてしまうがゆえに、深く傷つくのである。

そこで受けるダメージは、虐待された子どもに認められるものと本質的に同じである。

愛され、世話をされ、大切にされるはずの存在に、無視され、虐げられる、という経験をした子どもに起きることと、何ら変わらないのである。

虐待された子どもに起きる問題を「愛着障害」という言葉で最も的確に表現できるように、本来助けとなってくれるはずの特別な存在との関係で傷つくこともまた、愛着という仕組みを傷つけ、愛着障害を生む。

それゆえ、そこで起きている本質的な問題は、単なる「関係性の障害」や「対人関係の障害」ではなく、「愛着の障害」なのである。

愛着の障害が起きることで、それ以外の対人関係においても、うまくいかなくなるのである。

DVやハラスメントもまた、愛着障害を引き起こし、引き起こされた愛着障害が生活全般、対人関係全般をむしばんでいく。

こうした問題の本質を的確にとらえ、有効な対処をしていくためには、繰り返しになるが症状を、本人の病気や障害に由来するものとして捉える「医学モデル」では無理なのである。

安全基地であるはずの存在が、本人を脅かすことで愛着障害が起きているという、「愛着モデル」でとらえることが必要になる。