“長い孤独と努力の結果、奇跡は起こる”

嫌な性格と素晴らしい性格とがある。

いつも「キーキー」言っているヒステリー性格の子は、皆に嫌われる。
しかし、その子が「キーキー」と勘に障る声を出すのには、それだけの理由がある。

素直な性格の人は誰にも好かれる。
虚栄心の強い人は誰にでも嫌われる。

しかし、母なるものを持った母親の子どもがすなおになったからといって、それは賞賛に値するものではないだろう。

素直さは賞賛に値するし、素晴らしいし、望ましい。
しかし、愛されて成長できれば人は誰だって素直になる。

素直になれる環境と、素直になれない環境がある。
もし母なるものを持たない母親の子どもが素直になったら、それは絶賛に値する。奇跡かもしれない。

先に述べたコペルニクス的転回をおこなえば、奇跡は十分に起こる可能性がある。(参照)
その奇跡の人は、人知れず悲しい思いをし、様々なことを断念し、決断し、長い長い孤独な努力の結果として素直になっているのである。

同じ素直な性格の人でも、その価値は違う。
人間の自然としては罪を犯すのがあたりまえだったり、自殺するのが当たり前だったりする環境の中で、素直になった奇跡も人もいる。

それぞれの性格の裏にも「その人」がいるのである。

人は同じように素直な性格に見えても、それぞれ「固有の性格」なのである。

その裏に、涙なしには語れない長い長い物語のある「素直な性格」もあるし、あっけらかんとした単純な素直な性格もある。

個性とはそういうものである。
だから誰にでも個性はある。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには個性を大切にすることである。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著