「あそこまで行けば、あそこまで行けば」と必死になって頑張り過ぎて歩いている。

有名大学に入れば、有名企業に入れば、課長になれば、部長になれば、役員になれば幸せになれると、生きる辛さに耐えて頑張り過ぎている。

本人はそれまでに自分のしたことを吹聴して自慢しているが、心理的に健康な人には、無理をして頑張り過ぎているのが見える。

頑張り過ぎている人は無理をしなければ好かれるのに、無理をして頑張り過ぎるから好かれない。

他人は「あそこまで頑張り過ぎなくてもいいのに」と痛々しく思っている。

しかし頑張り過ぎている本人は、他人がそう見ているということに気がついていない。

頑張り過ぎている人はそれは「自分には見えない部分」である。

頑張り過ぎている人は人からは見えているということがわかっていない。

心理的に健康な人も同じ道を歩いているのだが、楽しく歩いている。

だから歩いている姿には躍動感がある。

本人はそれほど頑張っているつもりはない。

しかし他人からはうらやましがられる。

うまくいかなくても無気力にはならない。

社会的にうまくいかなくても、心理的には元気である。

対人恐怖症の人をはじめ、先に挙げた人達は「見返したい」という気持ちで、辛いのに頑張り過ぎて動いているが、心理的に健康な人は「したい、楽しい」という気持ちで動いている。

辛いのに頑張り過ぎている人よりも、楽しんで歩いている人のほうが、結果として遠くにいける。

手動ドアの前で、いくら足踏みしていても・・・

対人恐怖症の頑張り過ぎている人をはじめ、先に挙げた人達は”不安な緊張”から、相手をまったく見ていない。

頑張り過ぎている彼らは、相手が何を考えているか、わかっていない。

相手の心をドアにたとえるとどうなるか。

ノックしてもドアが開かない。

ドキドキする。

ドアをノックするのだけれども、それがアコーディアンドアかふすまか、ガラス戸かがわかっていない。

頑張り過ぎている彼らは、「自分がお金持ちになれば、ドアが開く」と思っている。

頑張り過ぎている人はお金持ちにならなければ相手は自分を低く評価すると思って、いつも恐れている。

頑張り過ぎている人は相手がまったく見えていないのだから、これではお化けと一緒にいるようなものである。

お化けは見えない。

頑張り過ぎている人は相手は見えない。

頑張り過ぎている人は相手に何をされるかわからない。

対人恐怖症の頑張り過ぎている人をはじめ、先に挙げた人たちは、お化けの集団の中にいるようなものである。

頑張り過ぎている人はそのお化けから低く評価されることの恐怖がある。

頑張り過ぎている人はそこで高く評価されないと絶望する。

頑張り過ぎている人は自分の偏った価値観の中で自分に絶望する。

頑張り過ぎている人、これが現実にコミットしないで、独りよがりの想像の世界で生きているということである。

頑張り過ぎている人はお化けの集団から抜け出せば、自分を評価してくれる人がこの世の中にはたくさんいるのだけれども、その人達のところに行き着かない。

また、たまたま出会っても自分を評価してくれる人を、その人自身が評価しない。

頑張り過ぎて自分で自分の首を絞めている。

蛇は嫌、お化けは怖い。

現実にコミットして「相手がこんな人」とわかれば対処できる。

ところが頑張り過ぎている彼らはそれがわからない。

頑張り過ぎている彼らにとって相手はメダカでも金魚でも人でも、皆、同じなのである。

サルが石で栗を割ろうとするのに、栗の状況を見ないで割れば怪我をする。

安らぎは「頑張り過ぎている独りぼっち」からは生まれない

ダラダラダラと、自分のことばかり話すこと自体が間違っているのではない。

そのように親しい関係の人に話すことが大切だということである。

そのような人間関係の距離の人に話すことが大切だ、ということである。

昨日今日の付き合いの人に、そんな自分のことばかりダラダラダラと話すのはマナーをわきまえていない。

それが「人間関係の距離感がない」ということである。

したがって、このダラダラダラと自分の話をした後に、相手に「この人がいるおかげで、自分の気持ちがバランスを失わないでいる」と思って、相手に「ありがとう」という気持ちになることで、親しい人間関係が維持される。

そういう気持ちになる人とならない人とがいる。

それが長くコミュニケーションできる人とできない人との違いである。

要するにコミュニケーションをうまくするためには、頑張り過ぎず素直になることである。

難しいことではあるが。

対人恐怖症の頑張り過ぎの人をはじめ、先に挙げた人達は、こうしたコミュニケーションの方法を学んでいない。

頑張り過ぎの彼らは蚕みたいなものである。

頑張り過ぎの彼らは自分で糸を出して自分を守ろうとする。

頑張り過ぎの彼らはだから自分を守れない。

不幸な頑張り過ぎの人は自分一人で安らぎを得られると思っている。

安らぎは愛によって与えられる。

笑顔でめざしを食べるほうが、文句を言われながら刺身を食べるよりも安らぎがある。

頑張り過ぎていない人はふと笑う。

頑張り過ぎていない人はふと耳を傾ける。

頑張り過ぎていない人はそんなときに安らいでいる。

頑張り過ぎていない人は親しい人に、つい愚痴を言ってしまったとき、その人は安らいでいる。

お金を貯めて森に別荘を買って、そこに行っても、それだけで安らぐわけではない。

生きることはコミュニケーションすることである。

頑張り過ぎていない人は優越することよりも心が触れ合うことである。

人に優越しても人生は必ずしもうまくいかないが、人とコミュニケーションできれば、だいたい人生はうまくいく。

※参考文献:無理しない練習 「自分らしく」生きたほうが好かれる 加藤諦三著