回避の壁には、心が生み出した恐怖と同時に、もう一つ重要な要素がある。

それは、期待や理想の高さである。

これが、失敗に対する不安や恐れを強め、回避の壁を高くしてしまうのだ。

学校や仕事に行けなくなっている人に多いのは、たまに行っても、まるで毎日来ているかのように社交的にふるまおうとしたり、勉強や仕事に熱心に取り組もうとすることである。

それで疲れ果てて、翌日からまた行けなくなってしまう。

そうなるのは、自分の目指すラインがとても高いからだ。

行く以上は高い水準でやりとげなければならない、それができないのなら、行かない方がましだと思う。

ずっと行っていないのだから、すぐにうまくやれたり、友達や同僚と社交的にふるまうことなどできなくていいのにもかかわらずである。

大学生のK美が、連休明けから大学を休むようになり、最近ではずっと行けずにいるということで相談にやってきた。

K美は、英語が好きで、将来は留学したいという夢を抱いて、外国語を専門とする大学に進学した。

外国人講師による少人数授業や英語でのプレゼンテーションなど、魅力的な授業内容で、K美はやる気に燃えていたはずだった。

ところが、しだいに頭痛がして朝起きられなくなり、休みがちになってしまった。

何日か休んでたまに出席すると、K美はクラスの友達と社交的におしゃべりをし、授業でも積極的に発言しようとした。

出席する限りは、きちんとしなければならないという思いがとても強いのだ。

だが、一日出席すると、気をつかって疲れ果て、翌日からまた調子が悪くなり何日も休んでしまう。

そういうことを繰り返しているうちに、まったく行けなくなってしまったのだ。

K美は、「理想の自分」「こうあるべき自分」というものへの囚われが強かった。

その基準に達することができなければ、参加しない方がいいと思ってしまう。

優等生タイプの不登校やひきこもりの青年によくみられるパターンである。

理想的な状態へのこだわりが強いため、それより以下の自分では受け入れられない。

何も発言せずに黙って座っている自分や、友達からぽつんと取り残されている自分は、みじめだと思ってしまう。

授業に出る以上は、先生や他の生徒に認められるよう、いいところを見せたい。

ましてや何も答えられなくて、恥をかくような真似は絶対したくない。

休むことは、プライドが傷つけられる状況を回避するという意味をもつ。

そうすることで自分を守っているのである。

そこに、頭痛がしたり、気分が落ち込んだり、朝に起きられないといった「症状」が加わることで、回避が正当化され、固定化されていく。

こういうケースに対処する際は、まず本人の苦しさをいったん受け止めた上で、状況を回避しているという事実に向き合い、そのことを自覚することが必要になる。

そうすることで、闘うべき相手が、頭痛や朝起きられない症状ではなく、自分が傷ついてしまう不安から逃げようと回避していることだということを気づかせるのである。

その上で、一番恐れている状況を話してもらいながら、これを思考の遡上にのせていく。

K美の場合であれば、「久しぶりに出かけて行った自分を、みんなは忘れているのではないか」「誰も相手にしてくれず、無視されるのではないか」「どうして休んでいたのか聞かれたら、何と答えていいか困ってしまう」といった不安が語られ、また、「授業も進んでいて、今さら行っても付いていけないのではないか」「当てられても、何も答えられないのではないか」といった心配もあった。

K美が過度に悲観的な見通しをもっていることが見てとれるだろう。

そこで、これについて検討する作業を行なう。

「本当に忘れられているかな?」「本当に無視されるかな?」と、質問しながら、もう少し客観的に事態を予測し直してもらうのである。

すると、「たぶん、自分を見つけたら友だちは寄って来て、自然に声をかけてくると思う」と語った。

授業についても、「留学する」という目標を取り上げて、留学したら、今よりもっとわからないことに出会うことが多いのではないか。

当てられても答えられないという場面もあるのではないか。

だとしたら、そのことに今から慣れておいた方がいいのではないか、と視点の切り替えを促した。

こうした操作をリフレーミングという。

「答えられないことがダメなことだ」という視点から、「答えられないことも役に立つ」という視点に切り替えるのである。

K美は、なるほどという顔をしたが、「頭ではわかっていても、気持ちが怖がってしまう。

実際、そうなったら、やはりイヤだと思う」と、自分の心境を語った。

もっともなことである。

不安や恐れというのは、心理的であると同時に、生理的な現象である。

頭よりも体が反応してしまうのだ。

だから、不安や恐れを取り除かねば、なかなか動けない。

そこで、有効なのが、さきほど述べたエクスポージャーである。

K美に一番怖い、恐れている場面を思い浮かべてもらう。

想像することで、疑似的に体験してもらうのである。

最初はつらさや苦しみが強く迫ってくるが、それでも、その状況を思い浮かべ続けるように促す。

そして、どれくらいつらいかを訊ねる。

「死ぬほど、つらい?」
「耐えられないほどつらい?」
と訊ねる。

すると、だんだん表情が穏やかになり、「つらいけど、死ぬほどというわけではない」「耐えられないほどではないかも」「ちょっと深刻に思いすぎていた」「大したことではないように思えてきた」と、嫌悪反応がだんだん弱まっていく。

やがて、K美は「行ってみようかなという気がしてきた」と語った。

このまま休みたいと思うこともあるが、また逃げて、どうなるかと客観的に考える。

逃げても状況は悪くなるだけで、後でもっとツケが回ってくる。

もっと行きにくくなって、動けなくなったときの苦しさを思い出すと、そんなのイヤだと思って、行動のスイッチが入る。

こうして、K美は、長く休んでいた大学に、次の週から出席を再開した。

その後も、ときどき休むということが見られたが、しだいに登校が続くようになった。

回避している状況に対して恐怖が強すぎる場合には、想像することさえ困難で、これではエクスポージャーは時期尚早である。

しかし、本人が乗り越えたい、そのためにつらい状況にも向き合ってみようという気持ちをもつようになると、エクスポージャーは強力な武器になるのである。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著