引きこもりの心理

引きこもりの若者というと、「無愛想で暗い性格」をイメージしがちですが、むしろ人一倍愛想良く、もともとはスポーツ少年であることも少なくありません。

ただ、彼らに共通するのは人間関係において心理的プレッシャーを強く感じてしまう性格であるということです。

比較的多い引きこもりのタイプは、根底の自己無価値感を懸命な努力によって補おうとしてきた人が、その努力に限界を感じて、ついに引きこもるというものです。

たとえば、自己無価値感を勉強によって支えてきた「優等生」や、だれからも好かれる「良い子」であることで支えてきた人です。

ですから、引きこもる人のなかには、ある限定的な領域での自信と、それ以外の領域での極端な自信の無さとが共存することも少なくありません。

引きこもりの多くは、自己無価値感を意識させられるつらさを回避しようとする試みとして理解されます。

引きこもり【U男の事例】-優等生の転落

U男は二十歳。

高校を中退し、家に引きこもりの状態です。

親が話し合おうとしても、部屋のドアをかたく閉じて返事をしません。

食事は親が食べ終わってから一人で食べ、ほとんど昼夜逆転の生活を送っています。

夕方から夜にかけて外出して、コンビニやレンタルビデオ店、本屋などに行きます。

接していて一番安心なのは近所のおばさんたちで、いまでも道で会えば愛想良く挨拶します。

おばさんたちも、U男を小さいときから知っているので、昔のままで気軽に声をかけてくれます。

そんなとき、U男は素直な自分でいられるといいます。

U男がもっとも苦痛なのは同じ年齢の男子です。

コンビニで雑誌の立ち読みなどしているとき、同年齢の男子が入ってくると、そっとその場を離れてしまいます。

U男は、小中学校時代の成績は、ほとんどトップレベルでした。

それで、親の希望もあり、地元の高校ではなく、レベルの高い遠方の高校へ進学しました。

ところが、入学直後、ふとしたことで自分の入試の成績が中程度であったことを知って、ショックを受けました。

その上、自分は同級生にくらべて精神的にも肉体的にも劣っていて、とても太刀打ちできないという感じがしました。

しかも、他の生徒は、スポーツにしろ、趣味にしろ、また話す内容にしろ、それぞれ自分の世界を持っていますが、自分にはそうしたものがなく、自分がひどく幼く、薄っぺらに感じられたのでした。

高校一年の秋頃から登校拒否が始まりました。

最初は嘔吐で、朝起きて顔を洗おうとすると吐くということが何回かありました。

朝食を全部吐いてしまう。

そんなことが何日か続いたので、母親が医者に連れて行きました。

しかし、精密検査をしても、いっさい異常がなく、心因性のものと診断されました。

吐いては休む。

これが繰り返されて、いつのまにか登校拒否という状態になりました。

学校も最初は休学扱いにしてくれたのですが、その期間も過ぎ、やがて退学の手続きをとりました。

自分の部屋に閉じこもっているときには、優等生で強い自分でいられます。

寝ている時間が一番長いのですが、起きていればビデオを見るか、インターネットをするか、本を読んでいます。

チャットでは強気を演じてみることがあります。

意外にうまくいくのですが、いざじっさいに外に出ると、とたんに周囲に圧倒され、弱気になってしまいます。

ふがいない自分をどうすることもできないことが、U男自身を責め立てます。

かつて優等生であったというプライドの高さが、いまではいっそうひどい無価値感をもたらしています。

引きこもり【分析】-感情の激しい母と一歩引いて見守る父

両親とも教師で、姉にもU男にも勉強ができることが当たり前というように接してきました。

姉は最難関といわれる女子大学を卒業し、大学院に在籍しています。

その姉は小さいときから我が強く、反抗期も激しく、母親をだいぶ困らせたのですが、U男は小さいときからおとなしく、母親のお気に入りの子どもでした。

U男は小学校まで病弱で手がかかりました。

しかし、母親は仕事優先で、U男が多少熱を出しても保育所に預けて、仕事にでかけたのです。

U男は、しょっちゅう病気をして健康に自信がなく、また、運動が苦手で、容姿にも自信が持てませんでした。

このことは、「自分」のもっとも基礎となる身体に、しっかりとした自己価値感が付着していないことを意味しています。

母親は、教師として有能で、男勝りで、遠慮のない口の利き方をするタイプです。

そのため、U男の病弱さをあからさまに嘆いていました。

また、子ども心を傷つけるような言葉を無神経に口にすることもたびたびで、たとえば、運動会でのU男の走り方を笑いの種にしたり、姉のピアノ発表会での失敗を繰り返し話題にすることがありました。

もちろん、子どもを可愛がるということでは疑いがないのですが、子どもに対する態度に一貫性が欠け、そのときどきの感情を直情的に子どもにぶつけるのです。

一方、若くして校長になった父親は、母親の感情の激しさから自分を守るためか、子育てや家庭生活にいっさい口出しをしません。

学校での威厳を家庭内に持ち込むことで、自分の居場所を確保しようとするかのようで、子どもたちに対しても、つねに一歩引いて見守るという姿勢でした。

父親のそうした姿勢は、働いている母親にストレスを与えることになり、そのストレスを子どもに向けるようなところがありました。

子どもたちが家の仕事を手伝わなかったりすると、「犬だって飼ってくれる人のために働くのに、犬にも劣る」などと暴言を吐くことがありました。

そして、しょっちゅう「子どもを育てるって大変なことなのよ」「生きていくのは大変」などという言葉を口にしていました。

姉弟の父親評は、「自分たちを愛してくれていたのだとは思うけれど、可愛がられていたという実感はない」というもので、父親からも基底的自己価値感の強化を受ける機会は乏しかったといわざるを得ません。

こうした両親により、U男の心の底には強固な基底的無価値感が形成されており、その無価値感を代償的に補うのは「自分が勉強できること」だけでした。

こうしたU男にとって、高校での優等生の地位からの転落は、自己価値そのものの崩壊につながる脅威でした。

身体的不調を口実に、この代償的自己価値感を守ろうとする試みが不登校なのであり、徹底的な自己無価値感に陥ることを自分だけの世界に入ることで防ごうとしたことが、引きこもりという状態を生み出していると解釈されるのです。