自己信頼

内発的成長力と自己信頼

赤ん坊は自分を無条件に信頼しており、周囲に従うのではなく、周囲を従わせます。

ごく幼い子どもは、自分が欲するものと欲しないものをはっきりと分かっており、じぶんが欲しないものは頑固に拒否します。

自己信頼とは、こうした幼いころから持っている自分の内なる感覚や感情、欲求、衝動、願望を信頼することです。

もともと私たちは、適切な環境さえ与えられれば健康に発達していく力があるのであり、これに依拠することが自分を生きるということにつながるのです。(K・ホーナイ著、『自己実現の闘い―神経症と人間的成長―』アカデミア出版会)。

「人間の場合もこれと同じで、時期がくれば、その人独自の潜在力が発達していく傾向をもっている。

その時、彼は真の自己のもつ独自の活力を発達させるであろう。

すなわち、自分自身の感情や思考や願望や興味をはっきりさせ、深め、自分の資質を開発する力や強い意志力を育て、自分に具わる特殊な才能や天分を伸ばし、自分の意見を述べ、自然な感情で良い対人関係をつくっていく能力を発達させる。

すべてこうしたことを通じて、彼はやがて自分の価値観や人生における目的を見出すことができるようになる。

要するに、彼は本質的に脇道にそれることなく、自己実現に向かって成長していく。」

「(そうした成長のためには)自分自身の感情や考えをもち、思っていることを表現できるような、心に安定感と自由との両方を与えてくれる温かい雰囲気が必要である。

また、困っている時に助けてくれるだけでなく、彼が成熟し、完成した人間になるように導き、激励してくれる他人の善意が必要である。

そのうえ、他の人の願望や意志との健全な摩擦も必要である。

もし彼が愛情や摩擦を経験して、他人との人間関係のなかで成長することができれば、それはまた真の自己に即して成長することにもなろう。」

こうした見方は人間性心理学と総称される心理学で共通の認識であり、また、現在の発達心理学の共通認識と言っても過言ではありません。

このように、私たちの内面そのものが健全な発達を遂げる性質を持っているのであって、自然な自分がそもそも社会との適合性を備えているのです。

私たちの内面は本来的に信頼できるものであり、内面を信頼することで健全な発達がなされるのです。

ですから、自分が感じたことを大事にし、自分の感情に浸り、自分の欲求や衝動を表出し、自分の願望や夢の実現を目指してすすむことです。

自分の感覚を大事にすることは、外界と接する自分を大事にすることであり、自分の感情に浸ることは、外界と自分の内面との結びつきにしっかりと身を置くことであり、自分の欲求や衝動を満たすことは、自発的、能動的に外界に働きかけることです。

自分の願望や夢の実現を目指してすすむことは、自分の人生を自分で主体的につくろうとすることです。

このように、自己信頼とは、自分の目で自分を見ることであり、自分が欲する自分でいることであり、自分が選択した人生を生きようとすることなのです。

自己信頼の力

存在への自信

自己信頼した行動を続けていると、自分に根底的な力があるという感覚がもたらされます。

それは、あることができるという能力への自信でなく、存在自体への自信です。

すなわち、自己価値感です。

賞賛や非難、評判によりいたずらに揺るがされない自信であり、それ故に、外界は恐れるべきものではなくなっていきます。

自分の感覚を大事にして、不必要に感情を抑制せず、率直に自分の考えを表明し、自分の欲する行動がとれるようになります。

このような他者から容易に動かされない人は、他者にとって手強い人です。

重きを置かれ、まんいち好かれなくとも(多くの場合、こうした率直な人は好まれるものです)、尊敬される人になります。

自己充足の喜び

自己信頼とは、自分を表現し、自分が欲するものを追求するのですから、向上の喜びや充実感、達成感を伴いながら物事をやり遂げる力が得られます。

自分の内から発した願望や夢を追求するのですから、困難に遭っても容易に挫折することはありません。

つらくても、努力のプロセスそのものが充足感を与えるので、粘り強く取り組む力が発揮されます。

大学の学生相談室には、毎年、他にやりたいことがあって進路変更したい、という学生が来ます。

ところが、親は「今のところでしっかりやれなくては、他に移っても同じだ」という理由で、反対することが少なくありません。

しかし、自分がやりたいことをやれるとなると、人は取り組む姿勢が変わることが多いものなのです。

親や教師の勧めで入学した学科で不適応になり、もっと自分に適した学科に移ったり、本来やりたかった専門学校に入り直したりして、元気でやっている人も多くいます。