多くの場合、幼児的願望を満たしてくれるのは母親だけである。

その母親が大人だったら、与える喜びを知っているから、幼児的願望は満たされる。

しかし幼児的願望を満たしていない母親は、子どもに自分の気持ちをぶつける。

子どもは母親に気に入れられようとして、自分の気持ちを押し殺して「良い子」になろうと努力する。

だから、「良い子」は幼児的願望が満たされないまま大人になる。

大人になって幼児的願望をあからさまに出したら、恋人は逃げていく。

これがマザコン青年の失恋である。

愛された人だけが人を愛することができる。愛される中で愛する能力が培われる。

しかし、愛されなくても社会的には大人になっていく。

そして、人から何かをもらいたいときにでも、自分が与えなければならない立場になっていく。

したがって、幼児的願望を持って社会的に大人になれば、日々生きるのが辛くなるのは当たり前なのである。

日常生活が辛くて、「じっと我慢」することになるのは当たり前なのである。

人間関係で不満になるのは当たり前である。あの人にも不満、この人にも不満になる。

「こうしてほしい」「ああしてほしい」という気持ちが強い時に、逆に「あれも、これも」と色々なことを相手にしてあげなければならない。

自分の苦しい気持ちをわかってほしい時に、逆に相手の苦しい気持ちを理解してあげなければならない。

自分が泣きたいときに、相手を慰めてあげなければならない。

「オレのこの気持ちをわかってくれー」と叫びたいときに、相手の気持ちを理解してあげなければならない。

これで対人恐怖症や社交不安障害やうつ病にならなければ、ならないほうがおかしい。

この辛い気持ちを誰かがわかってくれれば、あなたは対人恐怖症や社交不安障害やうつ病にもならなくてすんだのである。

先のユカちゃんの母親である。

辛い気持ちを汲み取ってあげる

母親は、「この子は家では、てこでも動かない」と不満を言う。

さらに母親は、「もう私が泣きたい」と悲鳴を上げた。

この母親は、実は幼児的願望がみたされていないままに母親になってしまったのである。

だから子育てがうまくできない。

子どもが言うことを聞かないときに子供を殺したくなるという。

これが、幼児的願望をみたされないままに大人になってしまった者の心理である。

幼児的願望を満たされないままに母親になった者は、がんばっているにもかかわらず、子育てを上手にできない。

そこで「もう泣きたい」と悲鳴をあげるくらい辛い日々になる。

対人恐怖症や社交不安障害で子育てをされている母親の方でがんばりすぎてしまってるひとはいませんか?

もう一度、自分自身を見つめなおすチャンスかもしれません。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著