”不幸を受け容れると、やるべきことが見えてくる”

さて、幼児的願望が満たされないものはどうすればいいのか。
することは5つある。

まず第一に、「オレの人生は辛い」と認めることである。

シーベリーが不幸を受け容れる気になると、何をしたらいいかが見えてくると言っている。
「不幸は不可避的なものであるから、すでにそのためにもわれわれは、これと何とか折り合わなければならない。
人生においてわれわれが到達しうるのは、ただ自己の運命とのまったき和解であり、これは「みなぎる流れ」のごとき内面的な不断の平和で」ある。

「自分は他の人と違うのだ」と心に決めることである。
「自分は神の子として生きていくのだ」と心に決めることである。

じぶんが「アユ」でもないのに清流に住もう」とするから、人生を間違える。

タコにはタコの生き方がある。足が8本あるということをタコが忘れたら、うまくは生きられない。

「自分は他の人と違うのだ」と気が付けば、心理的に健康な人に対するねたみも消える。
羨ましさは残るかもしれないが、ねたみや敵意は消える。
憎しみも消える。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は、「自分は人に見られるのが緊張するのだ、恥ずかしいのだ、怖いのだ」と受け容れることである。

”自分一人で生きる土台をつくる”

自分は心理的に健康な人とは全く違った動物だ、と心の底から決心する。
「これが私の運命だろう」、そう決心できた時が救いへの路を歩きだしたときである。

ただ、本当に心の底からそう思わなければ救われない。
なかなか「私には親はいない」と決心できない。

心理的に健康な人が親からもらうものを、自分はもらえなかった。
心理的に健康な人は、親から生きる土台をつくってもらえる。

しかし、自分は一人で生きる土台をつくらなければならない。
そう決断することは並大抵のことではない。「なんでじぶんだけがこんなに苦しい目に合わなければならないのだ」と世を恨む。
「神様は何のために自分だけをここまで苦しめるのだ」と悲しくなる。

この感情に負けない自分、それが自分との闘いである。
そして、それが偉大な自分なのである。

あなたに残された救いへの道は、自分の中での心の対決しかない。
そしてあなたは必ず「偉大な幸せ」を得られる。
「偉大なな幸せとわざわざ幸せに「偉大な」と付け加えたのは、単に「楽ができる」ということからくる幸せではなく、「充足した」という意味である。

最後は自分には心の充足が待っていると思えば、今の不愉快な感情、重苦しい感情、憂鬱な感情などと闘える。
最後は天国が待っていると思えば、闘える。

先が見えないと、自分の中にあるマイナスの感情と闘えない。

自分の運命を受け容れるという覚悟をしないから、その後の人生での出会いもおしくなってくる。

そして、傷口を広げてしまう。

今述べたように、「オレの人生は辛い」と認めることである。
それを認めないから、まわりにひどい人が集まってくる。
「オレの人生は辛い」と認められないと質の悪い人ばかりが集まる。
そして、最後には社会的に問題を起こす宗教集団に入る人も出てくる。

もし、「オレの人生は辛い」と認めることができれば、出会う人も変わってくる。
質の良い人とたくさん出会えるようになる。

質の悪い人とは、人のものをとるひとである。
人を利用する人である。
人から搾取する人である。

もともと、だっこされないで育った子供と、母親からやさしくだっこをされた子供を同じに考えることに無理がある。
同じ人間でもまったく違った動物と考えたほうがよい。

母なるものを持った母親とそうでない母親のもとに生まれた違いの大きさは、想像を絶する。

しかし、その運命をうけいれることが自立でもある。

ドッジボールで、ものすごい球を受け止める人がいる。

あのように、自分の運命をしっかりと受け容れることである。

自分のところに来たものをうけとること。
それ以外に彼が幸せになる道はない。

対人恐怖症、社交不安障害を克服する為には自分の運命をしっかり受け止めることである。

母なるものを持った母親に育てられても人生は厳しい。
ましてや、母なるものを持たない母親に育てられれば、人生は苦しいのが当たり前なのである。

だいたい人生は上手くいかないようにできている。
それが人生の基本である。
その点を間違えると、とんだことになる。

人生が「うまくいかないなー」と思いながら何もしない人が多い。
人生が上手くいかないのにはうまくいかない原因がある。

その原因を見ないふりをしているから、それが発酵してさらに苦しくなる。

自分の人生が「何かうまくいかないなー」と思った時には、まず、「自分は何を無理しているのだろう」と考えることである。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人はまず、「自分は何をむりしているのだろう」と考えることである。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著