従順な”よい子”とすぐに”かたくなる”人

●不安感を打ち破る法

”心のむなしさを何で満たすか”

入社試験であれ、重要な仕事であれ、何かを前にして不安な緊張にかられることがある。

多かれ少なかれ、そういう時は、誰だって失敗するのではないかという恐れを持ち、不安な緊張にかられる。
しかし、その度合いの酷い人と、いざというときに集中できる人とがいる。

この両者の違いは決定的だが、どうしてこの差が出てきてしまうのだろうか。

それは幼い日、周囲が我々に失望したかどうかということから出てくる。

そして、これこそが、この問題を考える出発点なのである。

幼い日、われわれは周囲の人の自分に対する反応によって、自分自身を判断した。
周囲の反応、ことに親の反応は、自分を映す鏡であり、その鏡に映る自分を自分んと考える。

幼少の頃、親に失望された人は、自分自身に失望する。

親の期待を実現しそこなって、親に失望された子供は、成長してからも、他人の期待を実現しそこなうと、他人に失望されることの恐怖に、不安な緊張を覚えるのである。

すぐ”かたくなる”人というのは、自分の小さい頃を振り返ってみれば、それを理解できるのではなかろうか。

幼児期に自分の行為ひとつで、他人があからさまに称賛したり失望したりした原体験を持った人がいる。
そのような人は、成長してからも、自分の行為によって自分に対する他人の愛が変化したり失望されると感じてしまう。

部屋を片付けたことで親から誉められ、部屋を片付けずにいたことで親から叱られる。
ここまではどこでも同じである。問題は、部屋を片付けないで叱られた時、叱られたにもかかわらず、それでも子どもが、自分は親に愛されていると感じられたかどうかなのである。

成績が悪ければ親に叱られる。
問題は、成績が悪くて親に「もっと勉強しろ」といわれても、それでも自分は愛されていると感じていたか、そうでなかったかということなのである。
この感じ方の違いが決定的なのである。

親に落胆され、ためいきなどつかれて、ありありと失望の色をあらわされた子供はは、きっと感じるだろう、自分が愛される条件は、へやをきちんとかたづけることである、いい成績をとることであると。

子どもの頃は誰でも親に叱られる。
問題は、子供が叱られても親に愛されていると確信できていたかどうかということである。

すぐに不安な緊張を覚えて固くなる人、他人の反応に歪んだ敏感さを持つ人、これらの人々は、小さい頃叱られた時、自分は愛されていないのだと感じた人である。

子どもの頃親の言いつけを守り、従順な”よい子”であることが、親の愛を獲得する条件だと感じていた人が、すぐに”かたくなる”のである。

周囲に受け入れられている人が失敗することと、受け入れられていない人が失敗することとは、まったく意味が異なろう。受け入れられていない人は、失敗するかもしれないと思えばストレスを感じるであろうし、失敗すればそれに苦しむであろう。

同じ叱るという行為が、どうして子どもに違った影響を与えるのか。

それは親の情緒の成熟の問題である。
つまり、親が自立性を獲得しているか、まだ依存心が強いかということである。

別の言葉でいえば、親が自分の心の満足を他人の言動にもとめているかどうかということである。
親が自分の心の空しさを他人に満たされるのを期待しているかどうかということである。

自分が必要だと思っている者は、他人を懐柔したり脅かしたりしてでも得ようとする人がいる。

親がこのような人間であれば、子供は叱られることによって深く傷つく。

親の必要とする愛を子どもが与えなければならないとき、子どもは自由を感じることができない。
親が自分自身に頼って生きようとしている時、子どもはありのままの自分でいることが許されると感じる。

われわれは大人になってからでも、どうもあの人といると重苦しいというときがある。
それは、押しつけがましい人、つまり、他人の言動によって自分の心の空しさを満たそうとしている人と一緒にいる時である。

子どもは、大人とは比較にならないほど敏感である。
しかも、全く無力である。

自分の生存を全面的に他に依存している人に、心理的に依存された子供の重圧感というのは想像をぜっするものがある。
子どもに心理的に依存する親の内容というものを考えると、寒気さえ感じる。

つまり、そういう親は依存心が強いから、他人の眼を気にする。
自己中心的、利己主義、自分だけが可愛い、卑怯なのである。

しかも、自分の心の空しさを子どもの言動で満たそうとして、子どもにベタベタしながら、それを子どもへの愛と錯覚している。

自分の心の空しさを満たすものを他人の言動の中に求める人は、結局満たされることがないから、いつまでも他人に不満で、かつ心は空しい。

そして、いつまでも満足を求めて他人にまとわりつくのである。

対人恐怖症、社交不安障害のを克服するには心の空しさを受け容れることである。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著

 

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