すべき思考は危険

すべき思考が人を苦しめる

すべき思考で認められよう、受け入れられよう、愛されようとして「こうあらねばならない」「こうあるべき」と思い込んで生きている人は、自分から生きることをつらくしている。

カレン・ホルナイが「すべき思考」ということを言っている。

この「『すべき思考」に支配されて、生きるエネルギーを失っている人は、心の奴隷である。

「すべき思考」に囚われている人は、小さい頃から親子の関係に失敗している。

自然なコミュニケーションを失った親子関係で、子どもは恐怖感を学習してしまった。

生きることが苦しいすべき思考の人は、無理して自分自身を偽って愛を求めているから、自己喪失している。

すべき思考の人は自己喪失するから人を愛する能力を失う。

すべき思考の人は愛することができない。

すべき思考の人はこの悪循環に陥る。

愛することができないすべき思考の人は、無理しなければ愛されないと思っている。

この勘違いは大きい。

すべき思考の人は無理して自分でない生き方をするから、魅力を失う。

質のよい人は離れていく。

生きることに苦しんでいるすべき思考の人は、いつも自分しか見ていない。

すべき思考の人は自分を中心にして物事を捉え、考える。

人とのつながりの中で物事を捉え、考える。

その結果、「私だけがこんなに苦しまなければならない」と世を恨むようになる。

生きることに苦しんでいるすべき思考の人は、今を生きるのに精一杯。

すべき思考の人は相手を見る心の余裕がない。

その結果、人と心のふれあいがないから生きるエネルギーが生まれない。

そうして、ますます生きることが苦しくなる。

今を生きるのに精一杯頑張っているすべき思考の人は、いったい何のために頑張っているのか?

自分でない自分を演じて、人に認められるためである。

その結果、自分自身の目的を見失っている。

すべき思考の人は今、自分が本当に何を求めているのかわからなくなっている。

今を生きるのに精一杯頑張っている人、無理して人に気に入られようとして生きているすべき思考の人は、「自分自身の目的」がわからなくて生きている。

昔、下駄の鼻緒が切れたことで悩んだひとがいた。

それは何も、下駄の鼻緒が切れたことが悩みの原因ではない。

すべき思考の人はもう生きていることが、その時点で精一杯だったのであろう。

すべき思考の人はこれ以上何をしろと言っても、もうできない。

水がこぼれんばかりにコップにいっぱいになっている。

そこに一滴の水を注げばこぼれる。

例えば、小学生が学校に行きたくない。

でも行かなければならないから家を出た。

しかし途中で雨が降ってきた。

傘を持っていないことが、家に帰った理由ではない。

「学校に行きたくない」と、雨が降り出す前から思っていた。

それが学校に行かない本当の原因である。

生きるのがつらい「本当の原因」は、すべき思考の人が自分自身であることを放棄したからである。

承認されなくても大丈夫

なぜそうなったか?

それは小さい頃、全く無力な頃、すべき思考という人に認めてもらわなければ生きていけないという恐怖感を学習してしまったのである。

すべき思考の人は人と関わりながら生きることで、生きるエネルギーが湧いてくるということを学習しなかった。

すべき思考の人は愛することで生きるエネルギーを得ることを学習しなかった。

すべき思考の人は逆に嫌いなことをやり続けて、生きるエネルギーを失った。

たとえデートをしても、嫌いな人とデートするのではつらい。

生きるエネルギーは出ない。

ウサギがシカのまねをして生きていた。

そうしたら一人のときにはつらい。

シカでいるのは周囲の期待でしかない。

実際には、誰でもその人自身には信じられないような力がある。

その力を発揮させなくしているのが、すべき思考である。

負けてもよい、落ちてもよいと思うから実力が出る。

成績が悪くてもよい、そう思えればリラックスできる。

そして実力が出る。

成績が悪くてもよい、そう思えればリラックスできる。

そして実力が出る。

自分には力がないと誤解しているすべき思考の人は、「成績が悪いと大変だぞ」と脅かされて生きてきた。

そういう人に囲まれて生きていた。

「この時間は、捨てる。無駄でよい」と思う、それで落ち着く。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言う。

ところが、すべき思考の人は捨てられない。

今あるものに執着する。

人に気に入られなくてもいいと思ったとき、本当の自分に気付く。

すべき思考の人は人に認めてもらえなくなると「大変だ」と本人が思っている。

実際に大変なことは何も起きない。

起きるとすれば、人気がないというそのことくらいである。

つまりすべき思考の人はその人が認めてもらいたいという気持ちが問題なだけである。

認めてもらいたいという気持ちがなくなれば、生きることは心身ともに楽になる。

今の職を替わったら大変と思うから、上司の顔色をうかがい、誇りを失う。

自分を見失う、今のポストを失ってもいいやと思うから、誇りや自分に気がつく。

すべき思考の人は今日から、本当に好きなもの、好きな食べ物を見つける努力をすることである。

人に認めてもらわなければ生きていけないという恐怖感を学習してしまったすべき思考の人は、今まで心がふれあう人と出会っていなかった。

イソップ物語風に言えば次のようなことである。

自分が猫だとわかっていない猫が犬のまねをしました。

しかし、犬のように楽しく遊べませんでした。

そこで、猫は狐のまねをしました。

やっぱり面白くありませんでした。

そこにネコが来ました。

猫のまねをして遊びました。

すると今度はとても面白く遊べました。

「ネコさんはいいなあー」と猫は思っていました。

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すべき思考からの解放

癒しの関係でエネルギーが生まれる

頑張って愛されようと思っているすべき思考の人は自分自身を見失う。

自己喪失する。

すべき思考の人は自然なコミュニケーションができないから、与えつつ与えられるという関係が生じない。

愛されれば幸せになれると思って、愛されようと思って、我慢しているすべき思考の人がいる。

愛されようと思っていれば、「ああしてほしい、こうしてほしい、こう言ってほしい」等々と際限もなく「してほしい」ことが出てくる。

しかし世の中で、こんな際限もない要求を満足できる環境はない。

そうなれば、当たり前のことであるが、すべき思考の人は不満になる。

それを我慢していればいつしか憎しみを持つ。

すべき思考の人は周囲の人、近い人に不満になる。

いい人のように振る舞って愛されようとするすべき思考の人は、人を愛する能力をなくす。

壊れる関係は壊れる。

無理をして維持しても自分を見失うだけ。

そういう覚悟でぶつかって心は成長する。

そういう覚悟で心が磨かれる。

見たくない真実を見ることによって人は成長する。

自然なコミュニケーションの中で、ぶつかることを通してお互いの心の通路が広くなる。

会話には、自己表現の会話と自分を隠すための会話との二つがある。

自分を隠して話していると、すべき思考で相手との心の通路がどんどん狭くなる。

生きるエネルギーを失う。

すべき思考の人は隠すから、些細なことが重要なことに感じられてくる。

すべき思考の人はさらにかくさなければならないことがどんどん増えてくる。

その結果、人といていつもびくびくしている。

すべき思考の人は人といて疲れる。

すべき思考の人は会話が癒しにならない。

だから、なぜかいつもイライラしている。

人は、癒しの関係で生きるエネルギーが生まれる。

癒しの関係がなければ、エネルギーは生まれない。

耐えることで愛されようとしている人は、自己無価値感に苦しむ。

その結果、ほかのところで恩着せがましくなる。

例えば夫婦関係で耐えている親は、子どもに恩着せがましくなる。

無利して何でも受け入れることで愛されようと思っているすべき思考の人は、自分が自分でなくなるから生きている実感をなくす。

母親から生まれる恐怖感

子どもが言うことを聞かない。

母親は「あなたのためを思って言っているのに」と、不満な表情で言う。

自分は頑張って子どもを愛しているつもりになっている。

「それなのに、どうして言うことを聞いてくれないの?」と子どもを責める。

この母親は、自分では「子どものために言っている」と意識している。

しかし実は子どもに向かって自分の欲求不満を吐き出しているだけである。

欲求不満のはけ口が子ども。

そうした関係の中で、子どもはすべき思考という人に認めてもらわなければ生きていけないという恐怖感を学習してしまったのである。

「あなたのためを思って」というようなことを言うときにはだいたい、母親は家庭も仕事も自分の思うとおりにいっていない。

例えば夫と上手くいっていない。

しかも何で上手くいかないのだかわからない。

もちろん欲求不満の原因は夫との関係ではなく、ほかの関係だったりということもある。

そこで母親の気持ちがとても不安定になっている。

母親がイライラしている。

そのイライラの原因が、母親は子どもだと思い込んで、こどもに責任転嫁している。

基本的に母親のイライラの原因は「理想の自分」と「現実の自分」のギャップであり、母親の依存心であり、母親のナルシシズムである。

そこで子どもの方は、母親から生きることの恐怖感やすべき思考を学習してしまう。

逆の場合もある。

母親は愛する子どもからエネルギーをもらう。

そこで子どもは、自分自身を大切に生きる生き方を学ぶ。

そして親子にとって、心の通路は癒しの関係になる。

小さい頃、この心の通路を学習する人と、恐怖感を学習する人がいる。

恐怖感を学習した子どもは、いい人であるかのように振る舞って愛されようとするすべき思考の人になる。

自分に無理をして得た愛はやすらぎではないのに、無理して「人から愛されよう」とする。

すべき思考の人は愛されることで心の傷を癒そうとする。

すべき思考の自分の心の傷を癒すことしか考えられない。

その結果、すべき思考の子どもは大人になって、頑張っても実らない努力をする。

努力が事態を悪化させる。

それは恐怖感を学習しているから、愛を体験していないから。

子どもの成長を最も助けるのは、自分自身の力に自信を持たせること。

「あなたのためを思って言っているのに」と言う母親は子どもを助けているのではなく、子どもの成長を妨害しているのである。

そこに母親は気がつかないで、「あなたのためを思って言っているのに」と独りよがりの愛を叫んでいる。

「私ばかりつらい目にあう」となげいているすべき思考の人と同じ錯覚をしている。